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【トリプルネガティブ乳がん闘病記】⑥どんどん酷くなる副作用と退職

6月5日、パクリタキセル7クール目
週末にフローズングローブを貸してくれている研究員さんからLINEがあって、体調を崩して休んでいるから明日は持って行けません、とのこと。久しぶりに自前の保冷剤で冷やすことにした。投与前の看護師問診で歯茎の調子が悪いことを話すと、隣のブースにわたしのお気に入りのベテラン看護師さんがいて急にステップインしてきて「歯医者さんに行っても平気だから今のうちに治しておいて!歯茎のせいで食べれなくなってこれ以上痩せちゃったら大変よ~」と忠告してくれた。なんだ、歯医者とか行って大丈夫なんだ。
先週研究員さんに投与後に血圧がバク上がりすることを相談したところ、投与中に水を2リットルくらいは飲んだ方がいいとのこと。そしてトイレもできる限り行って投与中から抗がん剤を出してしまうこと、が副作用を緩和するコツらしい。だーれもこんなこと教えてくれない!彼女に質問して情報入手したわたしがエラいわー。2リットル飲むのはしんどいので、500のペットボトルを2本飲むことにした。水筒を持って行っていたけどフローズングローブをしていると蓋を開けるのが面倒でペットボトルのが意外にも楽。トイレに行くときは薬が漏れるとやけど状態になるので1回点滴チューブを外して食塩水に差し替えて、と忙しい看護師さんの手を煩わせるんだけど、自分の副作用緩和のためにはそれを気遣っている場合ではないので今回は2回も行った。投与部屋のトイレはいつも誰かが入っているので外の院内トイレに行くと、点滴棒の高さよりトイレのドアのが低くてひっかかり、出たり入ったりが一苦労、点滴針が捻じ曲がるかと思った。まあその効果あってか、その日は通常血圧、翌日も超平常血圧だった。一方で、案の定痺れはフローズングローブなしの影響がきつく、親指はほぼ感覚がなくなってしまった。いわゆる麻痺状態。火曜日に味覚が全部塩味になっていることに気付く。週末に会社の友人が自宅に遊びに来たいというので”痺れ”がひどいから云々、というLINEを何回かしていたのだが、返信にいつも”腫れ”と書いてあって、よく読んでない模様。なんか彼女に小さな不信感が生まれた。
水曜日から金曜日まで仕事、相変わらず日本人上司は私の退職を開示しない。粛々と引き継ぎ書作成とプロジェクトを進めた。土曜日は痺れきった手足へ幼馴染に鍼をうってもらい、手は親指以外は回復。筋肉痛も相変わらずきっちり回復。日曜日は上述の会社の友人が自宅に来て、会社で配布されたものや私の好きなパン屋のきな粉パンを持って来てくれた。彼女が帰ったあと夫が仕事から帰ってきて「どうだった、色々聞いてもらった?」と聞かれ、9割が彼女の会社の愚痴だったことに気付く。夫に「えー、なんか面倒くさいねMさん」と気遣われた。

6月12日、パクリタキセル8クール目
天気のせいか体調が思わしくなく、熱もちょっとあった。軽く下痢をしていてお腹も痛い。今日は研究員さんが来たのでフローズングローブは借りれたが、研究員さんの体調が心配で少し話を聞いてあげた。どの職場にも虚栄心ばっかり強い人っていますよ!と励ましてあげると、すごく喜んでくれた、なんかよかった。先週グローブがなくて親指の痺れが酷くなった、と話すと、親指下の手の平の腹を冷やすのが1番大事なんだとのこと。今回から気をつけよう、もう手遅れっぽいけど。
そして今日も水をがぶ飲みしトイレも行き血圧上昇は回避。だけど投与後すぐに、1番痺れが少なくて助かっていた人差し指の痺れが増幅してしまい不安に。鍼灸師の幼馴染に一応LINEした。
火曜日も依然体調そのものが悪かった。筋肉痛が水曜日を待たずに出てしまい、右脚は肉離れクラスの痛み。首肩も12時間勤務してしまった日バリの痛み。日本の上司と自分のチームに、今週は水曜日も休む旨連絡した。それはそれと日本社他部署はわたしの状況を知る人が全くいなかった。でも仕事で関わっていた人は勿論沢山いたし、役員クラスからは個別に依頼を引き受けたりよくしていたので、今の状況と来週最終出勤日なのはさすがに知らせる必要はあるだろう、と先にメールを流してしまった。”Typical Japanese”じゃない人、そもそも日本人ではない人、からは即メール返信があって、中にはビデオ電話しないと気が済まない!と言ってくれる役員もいた。嬉しかった。
木曜日出勤してすぐのTeam Meetingで、とうとう日本の上司がわたしの退職をチームにコールアウトした。ひとりの社員は驚いたのか軽く泣き出してしまった。
この日から、引き継ぐ相手はいないけど日本社代表として一応どんな仕事があってどんなことをしなければならないのか、を日本の上司とアシスタントマネジャーのI子に怒涛の引き継ぎセッションをスタートした。I子は自分が引き継がなければならないのかと困惑し機嫌が悪くなってしまい、こっちも困惑した。引き継ぐ相手が用意されていないのに聞かされてもそりゃあ困るよねえ、とわたしからは言えはしないし、申し訳ないがもう正直今後の会社のことはどうでもよかった。
土曜日に夫に車を出してもらい会社のデスクの片づけに行った。毎朝拭いていて綺麗だったわたしのデスクは埃だらけ、もう半年出社してなかったもんなあ。フロアには土曜日出社している人が誰もいなくてラッキー、なんにせよ見た目が激変している中他人に会いたくはなかった。ちょうど去年フロアの大レイアウト変更でデスクが新しくなり書類や私物の断捨離を1度していたので、片付けそのものはそれほど大変ではなかった。今のビルはちょうど震災くらいに入居したから12年ほどいたことになるけど、なぜだかそれほどノスタルジーモードにはならなかった。最初4年くらいだけ所属した部署は楽しかったし今でも飲み会があるけど、今の部署は本当に合わないコミュ障タイプの人ばかりだった。もっと和気あいあいと仕事したかったなあ、そんな気持ちしか沸いてこない。I子が既に退職のプレゼントを用意してデスクの下に置いておいてくれた。そしてI子のデスクにはわたしからの退職お礼品を日本社他部署用、同部署他チーム用、わたしのチーム用、ともんまり置いて付箋をつけておいた。あらかじめ頼んでおいて快諾してくれたけど、忙しい中配分してもらうので申し訳ない気分になった。
翌日は疲れて爆睡してしまった。今週は鍼もマッサージもしてもらっていないので来週は体調最悪だろうけど、いよいよ最終出勤週、やり残しなく退職しよう。

6月19日、パクリタキセル9クール目。
投与前の医師との問診で、手術日の相談あり。通常最終抗がん剤投与から1か月で手術だけど、私の場合は副作用が相当ひどいのと体調への影響が強いのでプラス1週間あけよう、となり、8月18日が決定した。ガンと胸を摘出後にティッシュエキスパンダーという皮膚拡張バッグを筋肉の下に入れてまずは1回目の手術は終わりで、約1年後に再建手術がやっとできるらしい。2回目手術が1年後にあるってことはそれまで再就職は難しいし、そんなに期間あけて就職ってできるのかしら。この年で。もやもやした。
今回の投与はフローズングローブも着けたし、水もガブ飲みしたし、投与中トイレも行ったけど、投与後すぐに痺れも筋肉痛も悪化した。どんどんどんどん何もかもが酷くなってくる。髪も眉毛もまつ毛もないし、味覚は変だし、もう私はどうなるのか。ひとまず筋肉痛対策で5万円くらいするPanasonicの巻きつけるタイプの脚マッサージ器をAmazonで注文した。病気になってからすぐに日用品すら買いに行けないわたしは、Amazon Primeの当日もしくは翌日配達のサービスが本当に助かっている。すぐそこの薬局で売っているものすらAmazonで買っていた。夫に頼んでも同じものがないだけで買わずに帰ってきたり、まったくもって間違って買ってきたり、の繰り返しだったので、もう日用品を頼むのはやめていた。基、マッサージ器はぎゅうぎゅう揉みしだいてくれるなかなかのモノだった。でも"治る"までには至らない。ただ辛い状態に何かをしていないと心身共に耐えられなかった。
火曜日、ニット帽を被って眉毛シールを貼って、お湯ではがせるマニュキュアをして、10年くらい通っている歯科医院に行った。ずっと通っているところでアシスタントさんに至るまで長い付き合いなので、わたしの見た目の豹変ぶりを見てだいじょうぶですか~!?とか言われるのが嫌だった。でもそこはプロフェッショナル、今の抗がん剤がどのクールでいつ終わるのか、いつ頃からこの歯茎の状態か、など何事もなかったように通常通り聞いてくれて、通常通り歯の掃除をしてくれて、しみている場所を丁寧にみつけて全部埋めてくれて、「今までの歯茎下がりと違って全体に歯茎が炎症してるね、完全に抗がん剤のせいだと思うよ。抗がん剤は体全体の水分を奪っちゃって口の中も乾燥してしまうから、よく水を飲んで常に口を潤すようにしてあげて」と適格かつ丁寧にアドバイスをくれた。それを言っている間もいつもと同じテンションの先生、おかげでわたしもいつもと同じようにアシスタントさんをしこたま笑わせて、元気に「がんばります!」と言い残して帰った。でも帰り道にほんとうに大した距離ではない医院からバス停までの徒歩で足がガクガクになり、足の裏が焼けるようにあつーくなってしまい、家について靴下を脱いでみると足の裏全体が真っ赤に炎症していた。
水曜日、最後の引継ぎセッションをした。木曜日午前に最後の引き継ぎ書を仕上げ、午後に日本の部署全体からお別れVideo Meetingをしてもらった。思いのほか自分のチームよりもうひとつのチームの子たちからのメッセージの方が熱いものがあり、しかももうひとつのチームで年齢が近くてかわいがっていた男子が送別YouTubeを作ってくれていた。あまりにも予想外で、絶対に泣かないわたしも思わずううっと泣いてしまった。アメリカと時差で最終のメールが見れなくなるので、海外の上司&同僚にも退職最後のメールを先に流した。本当にほぼすべての人から返信が来た、中には「この会社に復職したくなったら絶対力になれるから連絡して」とまで書いてくれるアメリカ人もいた。海外の同僚にはほんとうに恵まれていたことに感動した。
金曜日最終日。最後の人事とのMeeting、役員とのVideo Meetingなどなど、ほとんど電話をして終わった。香港の上司とも軽く電話をした。そしてとうとう17年間のご奉公がこれで終了した。有森裕子状態だった。自分で自分をほめてあげたい。
週末、昨日の怒涛の電話合戦の影響で疲労がひどかった。幼馴染は今週は治療ができなかったので2週連続で筋肉痛と痺れが放置状態。もはや歩くのもままならなくなってきていた。手足の痺れもひどく親指は完全に麻痺状態、薬を押し出すことすらできなくなっていた。



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