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【トリプルネガティブ乳がん闘病記】①それに気づいたのは

毎月1~2回理学療法士にパーソナルでストレッチをやってもらっていて、左向きに寝たり左側を動かしていると違和感があることに気づいた、「なんか左胸に邪魔なもんがあるな」と。それが2022年6月か7月ころ。あ、これはもしかしてもしかするなーと思いつつ、「冬の健康診断まで置いておいていっか」とほったらかしでいた。
12月5日に健康診断があった際は乳房触診をする医師に「わたし左脇に夏ころから違和感があるので、何もなくとも”要再検査”的な注意書きを入れてくださいね」と自己申告した。
12月27日に健康診断の結果が郵送されてきて、予想どおり乳房検査欄には「左側上外側 乳房腫瘤の疑い」、E判定、と記載があった。翌日から夫の実家の大阪に行かなくてはならなかったし、もう病院はどこも仕事終わりを迎えている、まあ年始すぐに病院に行こう、と特に重く受けとめることもなく正月を迎え、年始仕事も普通にこなし、最初のクリニック受診は2023年1月13日になってしまった。その時まだわたしはなんだか他人事のような、歯科医院に定期健診に行くような、非常に気楽な気持ちでいた。
クリニックではまずはマンモグラフィー撮影、エコーを行った。そして、医師はとても配慮のある優しい言い方で、「石灰化している粒が無数に両胸にあって、左に3つ、1つは1.3センチ、もうひとつも1.2センチでその2つが少し大きくて、でも画像の範囲では悪性か否か判断できないんです。例えばこういう画像の人はガン、この画像の人もガン、こんな状態の人もガン、でもどれも少し違うでしょ?というわけで今日生検をします。局所麻酔でガチャンって針を刺すけど大丈夫?」
隣の部屋で左胸に麻酔を打ち、ピアッサーみたいな箱に入ったイヤホンコードくらいの太さの針を左胸脇の塊に刺した。刺してすぐ”ガチャン”というホチキスを止めたような音がした。3回、左胸にある3つの塊にガチャンがなされた。それなりにぶっとい針なので結構血がでるみたいで、分厚い白いテーピングで左胸をがっつりぎっちり固定された。「今日はシャワーもしないでそのまま寝てください、明日の朝にテープを外してシャワーもしていいですよ」と看護師さんが優しく言ってくれた。結果は1週間後に予約なしで聞きに来てください、とのこと。その晩は昔の同僚たちとの飲み会で、完全にこの不安な出来事を忘れて全力で楽しんだ、お酒は我慢して飲まないで帰った。翌朝起きてテープを外したら左胸がすんごいかぶれていて、わたしはテープアレルギーだったことを思い出した。
1週間後に結果を聞きに行くつもりが1月19日にクリニックから「結果が出たのでなるべく早く来院してください」と電話が。もうこれ、黒じゃん。少しブルーになった、でも少し。テレワークで自宅にいたのですぐ病院に向かう。到着して受付に名前を言っただけですぐに「あ、先生呼びますね!」と腫れモノ扱い。
クリニックの医師は病理組織報告書を見せながら「invasive ductal carucinama、つまり浸潤性乳癌」であることを告げた。あーやっぱりガンか。わたしが特に驚きもせず冷静にメモをとっているのを見て、医師は安心したのか明るく、浸潤性、非浸潤性の違い、乳癌にも種類が無数にあること、次にくるのはおそらく手術、そしてその後抗がん剤、放射線などの治療がある、と次々と説明し、あとは手術のできる病院に受け渡すので好きな病院に紹介します、どこがいい?と。別の病気で某大学病院にかかっていてカルテがあるので、迷わずその病院を選んだ。病理報告書には「Scirrhous type」と書いてあるからか「明日すぐに病院に行ってくださいね」と医師に急かされた、でもそんなに?とこの時もあまり深刻に考えていない自分がいた。
すぐに香港にいる女性上司にTeamsのチャットで連絡し、どうやら乳癌で、明日は大学病院で検査してくるから仕事できないかも、と伝える。仕事のことなんかもはやどうでもいい、とにかくきっちり検査してきて、何かして欲しいことがあれば遠慮なく言って!ととても温かい言葉が返ってきた。そのあと日本の男性上司に電話で、ガンがみつかり明日は検査でお休みする、と伝える。そうですか、詳細が分かったら知らせてください、と留守番電話アナウンスのようなトーンのリアクション、まあ予想どおり。

1月20日、大学病院で数時間待たされた後エコー検査(クリニックと違って最新ぽい機械)、午後に血液検査、心電図。初診担当の若い准教授曰く、今のところリンパ転移は見受けられない、ちょっと安心。でも右胸も怪しいとのことで来週月曜に右胸の生検をやることに。その生検結果も含め2月10日まで正式細胞検査結果が出ないらしい。3週間も空いて進行しないんですか?治療方針が分からないと仕事の調整ができないんですけど?と速攻聞いてみたけど、3週間で悪化する大きさではないこと、化学療法をする可能性があること、手術をするにしてもうちの病院は3か月くらい予約とれないかもですよ、テレビに紹介されるくらい人気病院ですからふふん、みたいなことを言われる。手術の予定が延期されてしまうのでコロナ感染には気を付けてくださいね、とも言われる。ああなんかそんな待ちスタンスでよいガンなのね、採って終わり、みたいな感じかな?とより気持ちは深刻ではなくなる。
来週の右胸の生検用にいろいろ説明があると看護師さんにミーティング部屋に呼ばれる。それでもなお仕事との兼ね合いばかり気にしているわたしに「昨日告知されての今日で気持ちは大丈夫?なんだかすごい冷静なんだけど。。。」とわたしより20歳くらい年上の看護師は驚いていた、人によってはもう話も耳に入らないほど泣き崩れたりパニック状態になるらしい。その日のお会計は1万円強、更に院内コンビニで「バストバンド」を買わされ、あー、この病気お金掛かりそう。。。そしてガン保険、入っとらんかった。。。だって自分がこんなに早くガンになるなんて思ってなかったし。

1月23日に右胸の生検。おそらく最新の”針”で、細い十手みたいでながーいのを目の前で胸に突き刺されるので、さすがのわたしも目を背ける。テープかぶれがひどいとしつこく申告したので優しめのテープでまずガーゼを固定し、胸全体を「バストバンド」できつーく巻かれた。
この「バストバンド」が曲者で、苦しいわ、内側汗かくわ、脇の下に食い込んで痛いわ、で地獄。寝ている間に綿100%ではなかろうバンドにわたしのやわい胸まわりの皮膚はどんどんかぶれていき、痒くてかゆくてそして苦しくて寝られず、朝6時くらいにははずしてしまった。まあ止血はできていた様子。日本の上司に状況を話し、ひとまず感染症対策でガンが”治る”まではWork from homeにさせてもらう。なんにせよ来季の業者契約が終わっておらず夜中のビデオ会議も相当量あったので、香港の上司に電話して「しばらく日本の定時外の会議は代わりに出てほしい」とお願いし、快諾を得る。まあ日中に彼女と綿密に打ち合わせしメールにも要求を細かく記載して関係者に送っておけばおかしな契約にはならないだろう、そうであって欲しい。そんな風にこのころはまだ仕事≧病気、なわたしだった。


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