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【トリプルネガティブ乳がん闘病記】③ついに始まった抗がん剤

香港の上司とは直前までほぼ毎日1時間電話して、来季の契約の会議でどのように話してもらうか、日本の契約要望詳細は何か、を細かく打ち合わせた。1週間休んで翌週出勤したらすぐ朝1番で電話することにした。なんとかなりそう。”部下”たちはいつも窮地に立つとわたしにどうにかしてもらう癖がついていたので「なんとか自分たちでやってみます!限りなくLINEも電話もしないです!」と意気込んでいた。こっちはどうにかならなさそう、だけどわたしもLINEくらいできるはずだからまあなんとかなるだろう。
2月22日、仕事を一緒にしているアメリカ、イタリア、香港の同僚達に一斉メールで、わたしにガンがみつかって来週から抗がん剤治療をすること、抗がん剤をやりながら仕事をすることにチャレンジしたいこと、今までのようにいつなんどきも電話にでて会議に参加してメールにリアクションすることはおそらくできなくなるので働き方を今後変えること、を伝えた。本当の一斉メールだったので40人くらいが含まれていたけど、8割くらいから「応援してる、やって欲しいことがあったら遠慮なく言って!」「香港には抗がん剤やりながら働いてる女性いっぱいいるよ、あなたならできるよ!」と即レスがあった、ヤル気が沸いた。日本人は「こんなことしか言えないですけどお大事に!」と大半が言うのだが、わたしには外人達の言い方のがしっくり来た、有り難かった。

2月27日、ddAC療法投薬初日。まずは血液検査、そしてすぐに看護師の問診(これが1時間以上待つ)、その後担当医の診察。そこで心配していた遺伝性ではなかった、という唯一ラッキーな告知あり。検査機関の英語の結果票もコピーしてくれてきっちり理解、すぐに姉にLINE。彼女も関わる話だったのでひとまず良い事あったね!と夫と一緒に喜んだ。だけどなぜか肝心の投薬が13時からの予約になっているので病院についているカフェでスパゲティーを食べて腹ごしらえした。先に調剤薬局にも行って処方箋を出しておいた。13時に投薬のフロアへ。診察券を渡して呼ばれるまで待つ。呼んで来た事務員さんが人が沢山いる真ん前で名前と生年月日をわたしに言わせるので驚いた、個人情報保護もへったくれもない。
「抗がん剤部屋」に入っていくと中はL字の大変広いスペースで、そこにリクライニングできる歯医者にあるような椅子と少しのベッドがうわっってくらい並んでいて、正味30人の患者が投薬を受けていた。あー、みんなガンなんだ、辛い思いはわたしだけではない!と嫌な気持ちが一掃された。
座ってすぐに点滴針を看護師さんがさしてくれた。そして少しすると先日説明をしてくれた薬剤師さんが来て細かい投薬の説明。まずはアピレタントという内服の吐き気止めを飲み、そのあと10分間点滴で別のパロノセトロンという吐き気止め&デキサート(通称デカドロン:ステロイド抗炎症薬)を投与、んで、本番の抗がん剤:ドキソルビシンを10分入れ、その次に2つ目の抗がん剤エンドキサン(通称シクロホスファミド)を1時間、最後に生理食塩水を10分、トータル90分くらいです、とのこと。便秘防止に最初のステロイドと一緒にマグネシウムを入れる予定だったらしいが、わたしがマグネシウムのアレルギーなのでやめてもらった。便秘が危ないとかで薬剤師さんは最後までしぶっていた。
看護師さんがワゴンで最初の点滴セットとアピレタントのでっかいカプセルを持ってきた。「お水持ってきてますか?」と言われ、ないと答えると「水道水で悪いんですけど持ってきますね」と。でた、お水を用意するようオリエンテーション時に言うべきでしょ、おいおい。”水道水”でアピレタントを飲むとすぐ点滴が開始された。10分後、とうとうドキソルビシンを投入!真っ赤な色でなんか強い薬って感じ。入れると同時に持ってきた保冷剤を手に握り、足はあらかじめ履き替えておいた無印のバブーシュ型室内履きでしっかり固定できるようにつま先に入れた。テレビもあったが、気分が上がるほうがいいかな、とひたすら携帯で大好きなBruno Marsを聴いた。
そのままエンドキサンにすすんだが、30分くらいしたらもう保冷剤があたたかくなってしまった、これはもっと持ってこないと。喉が超乾く、待合で待っている夫にほうじ茶買っておいて!とLINEした。トイレにもすごく行きたかった。
ようやく1回目終了、もう17時を過ぎている。体は全くもって変化がない。トイレに行ってからほうじ茶をがぶ飲みし、会計を済ませ、調剤薬局に薬を取りに行き、電車で帰った。途中ちょっと頭痛がした。家に着いてからは体調が悪くなると嫌なのですぐにお風呂に入った。でもその後も別に元気なので、肉うどんを作って食べて、テレビを観ていたら21時ころまた頭痛がしてなんだか心臓も軽くバクバクするので早々に寝た。
翌日8時ころ起きると頬が真っ赤に紅潮していた、でも熱は36.9度。頭が痛くて全身ぼーっとしていて何も食べる気がしない。パンもコーヒーも紅茶もなんだかしんどいので、ウイダーインゼリーだけ飲んで昨日の半量のアピレタントを飲んだ。体に残った抗がん剤を出さなければならないそうなので、買っておいたペットボトルの水をひたすら飲んでトイレに行きまくった。とにかく横になっていたかったし、眠かった。
昼に夫が「うどんなら食べれるかな?」と出し汁に火をかけると。。。くさい!しんどい!どうやら出汁の匂いがキツい模様。おそるおそる買っていたパックのおかゆを温めると。。こちらは大丈夫、ほっ。おかゆに紀州梅を乗せて食べた。夜もおかゆに梅干し、豆腐を食べた。
夜風呂から出て身体が乾燥でカピカピになっていることに気付く、もう干上がった諫早湾状態にヒビ割れ寸前。すぐに薬用の泡ボディーソープを検索すると昔赤十字病院でニキビ用洗顔料として処方された薬用品ブランドがヒットした、ああこれにしよ、ボディーローションと一緒に注文、ちょい高いなあ。
昨日から便が出ていない、便秘をするとよくない、とあんなに薬剤師さんが言っていたし便秘薬も出されていたので、寝る前に飲んで寝た。明日は好中球維持の注射を病院にうちに行かなければならない。この抗がん剤は劇的に白血球値が下がってしまうから注射で維持しないと感染症にかかった場合がやばいらしい、なので家族以外はなるべくヒトにも会わない方が本当はよいみたい、30分以上同一人物と密閉された部屋にいないようにしてください、なんてガイドも出ているくらい。
朝の4時、便意で目が覚めトイレに駆け込む。すんごい脂汗で便もひどい状態、ぜんぜん止まらない!病院の予約が朝1番だけどそれまでに止まらないかも。。って状態でなんとか病院へ。医師の問診の後すぐ注射は打ってもらえて、ヘロヘロでタクシーで帰り、ウイダーインゼリーを飲んで別途処方されていた吐き気止めのドンペリドンを飲んだ。なんだか顔が茶色い、頭も痛いし喉もつかえる、だるいし寒いし体調最悪。昼は流動のすりおろしリンゴ、夜はまたおかゆに豆腐で乗りきる。それ以外はひたすら寝た。嗅覚がなんだか動物並みになってしまっているようで、夫のオトコ臭すらしんどかった。
翌日、まだ具合は悪い。口の中が胃が悪くなったときみたいに苦い、のども相変わらずつかえている。下痢は収まらず吐き気もするのでドンペリドンを飲む、たまに心臓がバクっとする。顔が茶色いのがよりひどくなった、んでなんかシミが増えてる!食事は昨日と同じ、今日はもうカラダがだる過ぎて風呂に入るのもしんどい。これ、いつまで続くの!?
5日目、熱は37.5度だけどやっと起きていられる感じになってきた。依然顔は茶色く口も苦い。朝昼は昨日までと同じ流動食系にしていたが、なんかちゃんとお腹もすいて元気になってきたので、夕食には冷やし中華を食べてみた、つゆの匂いも大丈夫で完食。
6日目、食事は普通食に戻した、ただ口が苦くて喉通りが悪いのでトーストとかカサカサしたものを食べないようにした。おやつにハーゲンダッツを食べようとしたらオエっとなり、ミルク臭がダメなことに気付く、牛乳飲めないなあ。
7日目、昨日おとといより具合が悪い。体がつめたーくなっていて倦怠感もひどく目まいすらする。またベッドに逆もどり。ただ食欲はあるので普通に食べる。明日からまた仕事、大丈夫だろうか。
8日目、体調は悪くない。朝1番で香港の上司と電話。仕事の進捗確認もすぐにでき、通常営業。メールは先週寝ながら全部読んでいたので実務系統の状況は把握していた。この感じならやっていけそう。

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