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【トリプルネガティブ乳がん闘病記】④髪が抜けてしまった

投与翌週はちょっと貧血っぽいし終わると倒れこむほど疲れるけど、なんとか仕事はできた。嗅覚は元に戻り食欲は通常どおり、おやつも食べた。でも硬いものやカサカサしているものはなんだか食べるのがしんどいから止めた。口が苦くてねちゃねちゃするのが耐えられずネットで調べると、それは副反応の1部で水分が足りなくなっているかららしいので、もっと水をガンガン飲み、お気に入りのコルゲンうがい薬で1日に何回もうがいした。すると数日ですっかり苦いのもねちゃねちゃもいなくなった、やった!
一方で、10日目くらいから手の親指の爪の付け根から黒い色が出てきた。加えて手の甲がなんか茶色くて、手のひらにも薄いホクロみたいなシミができてきた。これが噂の!やっぱり冷やしが足りなかったんだ、来週から保冷剤は大量に持って行こう、そして親指を重点的に冷やそう。

11日目、もしかしてもしかすると、後頭部が脱毛し始めている、風呂上りに髪を拭いているとタオルにいつもより多めの毛が。夫に後頭部を見てもらったらやはり抜けた跡がある模様。2週間目から抜けるのは早い方なはず、副反応も性格と同じでせっかちだ。あーあ。買っておいた抜け毛をキャッチする茶色いネットを被って寝た。
13日目の夜の入浴中、それが起こった。頭を洗っていたら後頭部が無性に痒くなりちょっと強めに掻いた。するとばあっと髪の毛が身体にひっついてきて、ひいっと思い身体から髪を流しそのまま髪の毛を洗い続けてみるも、みるみる髪が流れてくる。。もう身体に床にびっしり、流しても流しても、オカルト映画状態。身体は特にひっついてとれない。涙が出てきた、ガン発覚後初めて。何とか流して体を洗い急いでお風呂を出た。出た後タオルで髪を拭くとまた髪がひっついてきた。また涙が出てきた。排水溝と脱衣所の床の髪の毛を何とか片付けて、涙を収めて、先にもうベッドで携帯をいじっている夫のところへ行き「来週まで待てない、もう明日坊主にして!」と限りなく冷静にお願いした。翌日バリカンでひと思いに坊主にした。もう10年以上ショートヘアだったせいもあるだろうが、夫は「意外にすごい似合ってる♪」と楽しそうにしていた。坊主にした写真を親友たちに見せたら「違和感がほとんどない」と驚いていた。翌日から頭には沢山持っていたバンダナを巻いて日中を過ごした。週末、夫に付き添ってもらい近くの駅にヘルプマークを取りに行った、拍子抜けするくらい駅員さんはすぐに出してくれた。色々LINEして相談していた鍼灸師の幼馴染が100%野菜ジュースをたくさん送ってくれた、助かる、明日以降飲もう。

3月13日、2クール目。頭にはCA4LAで買っておいたシルクのニット帽を被って病院へ行く、耳まで隠すから"抗がん剤で髪がない人"って感じ。今日は投薬予約が午前中になっていたのであまり待たされず昼過ぎには終わり、タクシーでさっと帰った。1クール目の様子から食べれないときも果物やトマトなら食べれるだろうと学習し、ウイダーイン系をやめて朝はキウイ、リンゴ、バナナ、トマトを細かく切って食べ、昼と夜はおかゆにゆで卵、豆腐、茹でたほうれん草などを頑張って食べた。髪は相変わらず抜けて風呂の床にびっしり&風呂上りのタオルに針ネズミ状態でびっしりつく、だけど長さが1CMもない短い毛だし、1回泣いたし、もう全然平気だった。風呂と脱衣所の髪の毛の掃除だけ大変だった。
水曜日のジーラスタ(好中球向上用注射)の日は医師がCTを撮ると言ってきた。わたしはMRIの造影剤アレルギーなのでMRIが撮れないのだけど、医師としては手術の術式決定のために胸の詳細画像が欲しいみたい。最初から全摘(完全摘出)でいいって言ってるのに、部分切除の可能性を探っているみたい、なんで?
その日夫が王将でニンニクたっぷりの餃子を食べて帰ってきた。臭い。臭くて我慢ができない、同じ寝室で寝るなんて無理。しぶしぶリビングのソファで寝てくれたけど、翌日は不機嫌にしていた。わたしが動物並みの嗅覚になっていること、これでよく分かったでしょ?と追い打ちをかけて言ったりは勿論しなかったけど、抗がん剤やってる家族がいたら理解をしてあげなければいけないよ、と世の中に訴えたかった。そして週末、医師には止まると言われていた生理がきてビックリ、ダブルパンチで超具合が悪くなった。

翌週からまた働いた、火曜も水曜も仕事しながらWBCを観た、決勝の真っただ中に香港と電話会議になり8回からまた観れた、日本勝った!!気分は上向きのその日の午後、1番若い部下が「退職します、5月から次に行きます」と連絡してきた、なんですと!?日本の上司にすぐ電話しTeams電話で3人で話してみたら、どうやら1日も譲らず有給消化したいらしい。来月4月から有給は新規付与される、っつーことは4月はもう働かないってことじゃん!今わたしがこんな状態で人を探すのも雇うのも大変なのに、なんの恨みがあるっていうのよ。こんな状況だし数日でいいから有給消化しないで協力するとかはない?と言ってみたら「こっちにも都合があるんで‼️」と大きな声でブチ切れられた。この子に対するあたしの印象は生涯この怒鳴り声になるだろうなーと空を見据えた。
それにしてもあとの3人にこんなこといつ話そう、その子の教育係してくれてたメンバーは士気が落ちちゃうじゃんよ。一気に具合が悪くなった。病は気からってホントだ、病人に精神的ショックは絶対与えてはならないよ、と声を大にして言いたい。
その週は週イチのチームミーティング時、Teamsのビデオ越しに参加するわたしがバンダナを巻いているので、皆少しギョッとしているのが分かった。でも誰もそれには触れなかった。そんな中追い討ちでチームのひとりがコロナ、もうひとりがインフルエンザになり、実務のバックアップまで強いられる有様、あああ疲れる。週末はタンパク質補充!とか言いながらステーキ肉を買ってモリモリ食べた。日曜日は大好きなチーズケーキ専門店に車で夫が連れて行ってくれた(もちろんTo go) 、わたしにとって甘いものは癒しだ。

3月27日、3クール目。投薬前に超音波で薬の効果の確認、たったの1ミリ小さくなっている様子、医師は少しがっかりしていた。そして先週撮ったCTでは詳細が分からなかったという報告、なので全摘が確定した。「全然いいんですよ」と顔色をうかがってくる医師に逆にわたしから言った。
今回は3日目のジーラスタの日にちょっと下痢気味だった。今回はなんだか全体的に具合が悪い、と注射前の問診で医師に伝えたら「3回目にして疲れが出てきたねー」とだけ言われた。下痢が続いていたので薬が出され、調剤薬局で待っているとどんどん具合が悪くなり、「すいません、ちょっと吐き気がするので急げませんか?」と急かしてしまった。わたしの使っている調剤薬局はまあ仕事が遅い、てきぱきやらないお姉さん達ばかり。帰ってからも下痢をして気持ちが悪くなったのでドンペリドンを飲んだ。
翌日も顔が紅潮して下痢もしたのでドンペリドンを飲んだ。寝たきりで仕事のメールばかり読んでいた。音楽もうるさく感じ、本も漫画も映像もなんか観る気力がなかった。手がまっ茶色になってしまい、親指以外の爪も根本が黒ずみ始めてしまった。


金曜になってもほとんど動けない、むちゃ具合が悪い。土曜日はもう桜が散りそうなので10分だけ外に出て近所で桜を堪能した、ほとんど歩けないので夫に支えてもらいながら。
きちんと体重を計っていなかったけど、1クール目のころより5㎏も痩せていることに気付く。やばい。ガン、食事、でネット検索をしまくってみたところPresident Onlineに「がんを生き抜く食事」的な京都大名誉教授の記事が出てきた。これだ。すぐに彼の本をAmazonでみつけ翌日到着便で注文、日曜日到着後2時間で読破し、速攻夫に説明。しかし夫は内容に懐疑的な反応を示し、少し喧嘩になってしまった。要は”食事制限”だったからだ。でもわたしは自分のことなので、それを実行することに決めた。基本考え事に時間をかけないのがわたしだ。①四つ足の肉=牛&豚は食べない、加工肉は食べない、②乳製品はとらない、③砂糖を使ったお菓子は止める、④油はオリーブオイル、⑤生の果物野菜を沢山、⑥梅エキスを採る(体内炎症防止)、⑦塩を限りなく少な目に。身体をぶっちぎりで酸化させるチーズは最強にダメなのに先週末思いっきりチーズケーキを食べてしまっていた、しかも牛肉の塊も!あーあ、やっちまった。
数時間経ってからずーっと考えこんでいた夫が歩み寄ってくれて、食事制限手伝うよ、何すればいい?と聞いて来た。なのでこれまた速攻⑤のために小さめのブレンダーをネットで注文、火曜日には到着した。夫は翌日から毎朝毎朝野菜と果物のスムージーをわたしに作ってくれるようになる、本当に毎朝。そして運動をしていないと筋肉が落ちて太れないよ、と夜に軽いウォーキングに連れ出してくれた。それから投与2週目は毎晩1kmくらいだけ歩いた。

4月10日、ddAC療法最後の4クール目。医師より予定通り24日から次のパクリタキセル投与を始める、と告げられる。このパクリタキセルは毎週だけど世間評によると今やっているドキソルビシンのような強い薬ではなく普通に働きながら受けられる、ということだったので、はあ、なんか山は越えたわ、とホッとした。
ブチ切れ退職の子がこの週に辞めることが決まっていたので10日着でぬいぐるみ電報を送っておいた、ファッサファサの毛の超かわいいピーターラビットの。鬼の彼女から流石にお礼のメールが届いた、少しはわたしの善意が伝わったらいいなあ。
投与中に薬剤師さんが来て次のパクリタキセル の説明をしてくれた。髪はどんどん抜けていくこと、爪がもっと変形したり薄くなったり黒ずむであろうこと、人によって関節痛があること、口内炎ができやすくなること、など。わたしは高熱が出て関節痛がヤバいと評判のジーラスタで無副作用だったので、「そういう人ってパクリタキセルで関節痛出ない、とかあります?」と聞いてみたら食い気味で「ないですねー別の薬ですからっ」と言われた。
やっていても爪が黒ずむし何だかちょっと面倒くさかったのとで、その日は保冷剤を使わずそのまま投与を受けて帰った。
翌朝はまだ体調が悪くならなかったので掃除をしたりちゃかちゃか家事ができた。しかしやはり午後からまた具合悪くなり出し、下痢をし、イモ類などを必死に食べていたけど1日で更に体重が落ちてしまった。顔が尋常じゃなく真っ赤に紅潮した。ふと例の京大名誉教授の本に書いてあったから買ってみてクソ不味くてほったらかしだった白菊茶を飲んでみた、そうしたらあら不思議!紅潮がおさまった。炎症防止と唄っているがホントじゃないか。そうこうしていたところ、香港の上司がちょうど日本旅行に来ていて、日本に着いてホテルからヤマト便で、わたしが気に入っている香港の高級クッキーショップのクッキーと香港の同僚30人くらい&その上司からのメッセージカードを送ってくれていたのが到着した。絵も入っている力作カードで、メッセージも”とりあえず”の文面ではなくてかなり心が入っていて、日本の同僚や部下からは何のメッセージもお見舞いもなかった(隔週で働いていたからかもしれないけど)のもあって、むちゃジーーンとした。ちょうど体が弱って下向きになっていたのもあり、少しだけ泣いた、これで2回目。すぐに上司にメッセージして、数人の”友達”になっている香港の同僚にもTeamsやメールでお礼を送った。あー、頑張らねば!!!
水曜日のジーラスタ注射は夫に車で送ってもらった。相変わらず下痢をしていて体調は悪かった。
翌日、今度は中高の同級生から果物の詰め合わせが届いた、しかもおそらく何がガンに良いかを調べた上でのセレクトだ。(お礼のLINEをしたらやはりそうだった、流石!)その週はほんとに体自体の具合がなんだかとても悪かったから本当に嬉しかった、んで、病は気からなので、その日の夜はやる気を出して薄味冷やし中華にしてみた(ハムは鳥ささみに変更!)、どうにか食べれた。そんなこんなを実家の母にLINEしたら、来週から野菜料理を送らせて欲しい、と言ってきた。仕事中のお昼ご飯がきちんとした野菜料理だと助かるのでお願いすると、逆にお礼を言われた。何もしてあげていない自分が悔しかったとのこと、図らずとも母を喜ばせることができた。
週末から熱が出て喉が痛くて咳が出てきた。旦那が少し咳をしていたのでうつった模様。風邪薬は飲めないので葛根湯を飲んでしのぐ、翌週水曜くらいまで症状が続いた。抗がん剤中に風邪をうつしてしまった罪悪感で夫は相当落ち込んでいた。
週明け、カードにメッセージを書いてくれた外人全員にお礼のメールをした、カードを飾っている写真も添付した。そのメールに対しても皆ガンガン返信をくれた。意外にもイギリスにいる上司の上司、も再度のほっかほかにあたたかいメッセージを返信してくれた。あー、わたしはすんごい素敵な同僚が海外に沢山いる、なんか幸せだー。一方でやることが沢山あった。部下全員に昨年度考課評価のフィードバック面談をTeamsで行ったり、退職する子の穴をどうにか残りのメンバーで埋めなければなので職務割り当てを急いで作った。加えて退職した彼女が作ってくれた引き継ぎ書が申し訳ないがむちゃくちゃ下手くそだったので、新規で全部作り替えた。自分自身の他の仕事もあるし採用活動もしていたので本当に忙しかった、毎日本当に疲れた。来週からパクリタキセルが始まるけど、世間評に乗っかり翌日から働くスケジュールを組んだ。それだと12回の投与が終わるまでは有給でどうにかなる、次の人の採用&教育、業者の新規契約下ごしらえも終わらせなきゃだし、さあなんとかやってみるか。




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