2024.10.02 ビューティフル・ドリーマーと時間

・1984年に公開された映画、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を見ている。ノイタミナ版でうる星やつらに初めて触れ、一気にファンになった。ビューティフル・ドリーマーはにゃるらさんがnoteで感想を書いていたのを読んでからずっと気になっていたが、タイミングを逃し続け、最近になってようやく見ることができた。

・押井守が監督しているということだが、いいままで押井守作品をひとつも見たことがないので、この作品が彼のワールド全開の作品なのかどうかが分からない。でも、すごく不思議な、頭がぐるぐるしてくるような、宙に浮いているような感覚に襲われる、時間感覚をも忘れる、そんな世界に引き込まれる、ような作品だ。

・見ていると、自分が生きている世界すら映画の世界とリンクしているような感じがしてくる。つまり、この時間軸には自分しかおらず、自分が立っている場所以外はもう荒廃しきってしまっている、そんな世界。
・どうしようもなく寂しくなって、あえて人の多い場所に行ってみる。同じ時間を生きている人々の存在をこの目で見て、安心する。今日の授業の話、最近行った場所の話、同じ時間を生きていると実感できる会話が愛おしい。
・Twitterのような、同時間性の強いSNSもありがたい存在だ。総裁選の話、芸能人のスキャンダル、話題のYouTuber、そんな、普段ならどうでも良いような話が今は欲しい。テレビは積極的に見なくなって久しいが、今ならきっとワイドショーが心地よく感じてしまうのだろう。

・それと同時に、時間に対する馬鹿馬鹿しさも湧いてくる。なんてったって自分は、こんなくだらない時間感覚に縛られて生きているのだろう。授業の開始時間、終了時間、待ち合わせ時間、期限、締切、9月の終わり、10月の始まり。たかが愚かなニンゲンが決めたこの時間という概念に縛られ、学校や仕事に遅刻しそうだと焦り、締切に間に合わなそうだと病み、それを繰り返しているうちに死ぬ。毎日を慌てて走っているような世の中だから、死んだことにも気づかないかもしれない。思えば自分だって、今もう死んでいるかもしれない、それに気づいていないだけかも、とも。
・こんな考え方をしているのは、まさに今締切というか期限に追われているからだということは分かっている。卒論提出まで、試験まで、残り数ヶ月。半年もない。具体的に何ヶ月かを数えるのは、嫌だから数えていない。期限は1月。1月ひく10月は?1-10は小学校では習わないので、分からない。だから、数えることなんてできない。

・早く書かなきゃ、勉強しなきゃ、動かなきゃ。でも、なぜか身体が動かないんだよ。先のことを考えると、心にずっしりとおもりが乗ったような感覚に襲われて、気持ちが重くなるんだよ。自分が崩壊していく音が聞こえるんだよ。誰か、はやく、この世界はもう終わってるんだよって教えてよ。


・こんなに熱弁したが、映画はまだ半分くらいのところまでしか見ていない。残り半分、どうなるのか楽しみだ。

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