スリーピング・ホロウ

ぷちぷち、アルミを破って薬を取り出す行為は梱包材を潰して暇を潰している時の悦楽に似ている。ここ2年ですっかり私の日常に溶け込んでしまった行為。

抗不安薬を一錠、抗鬱剤を一錠、血圧を上げる薬も加わる。眠る前にはこれに睡眠薬と今の時期はアレルギーの薬も加わる。すっかり病人のようだ。

毎日この繰り返し、薬を飲んでみたところで相変わらず朝は起きれないし、起きたら起きたで頭は重く鈍く痛み続ける。何にもやる気はしないし息をするだけで疲れてしまうけれど、お金を稼がなければ。好きに生きるための資金を調達しなければとのろのろ頭の後ろにくっついたアームを、もう一人の理性的に生きたがっている私に操作してもらう。

はじめて心療内科に足を踏み入れたのは社会人になって2ヶ月くらい。土曜日は混んでいるからどうにか平日に予約を取ってくれないか、そう受付で言われてなんだかもう苦しくて仕方がなかった私はじゃあ、そうしますと答えて病院を出た。最初に、土曜の午前中という一番眠っていたい時間に起き出した努力を踏みつぶされる。

当時私は地元の信用金庫に新卒で入ったばかりだった。鬱っぽい気持ちを押し殺しに殺して内定まで漕ぎつけた時点で私は相当に無理を重ねていたのだ。職場に悪い人はいなかったと思う、けれどみんな普通の人だった。人と接するのがこわくなくて、生きるということになんの疑問も持っていない人々だった。ある日とんでもないミスをしでかした私に先輩は言った「おいしいものでも食べて元気になってくださいね」と

そこでもうあー、ダメだ。と思った。私はご飯を食べるのが好きじゃない。お腹がすくから仕方なく食べているだけなのだ。おいしい、という感覚は一応ある。けれども食べて幸せになったことなんてないのだ。

私はといえば接客業なのに人と目を合わせて話せないし、先輩が忙しそうだと話しかけられないし、ミスをすれば死にたくなる。こんな出来損ないが生きていてごめんなさい、と思ってしまう。気がつけば自傷を再開していた。

「病院に行くので早退させてください」上司にそう告げた時、手渡された休暇届。これに役席複数人の印を押してもらわなければ早退は許可されない。通院のため、と書かれた休暇届を持って支店内を歩いていると、みんな大いに心配してきた。心の中はうざったくて仕方なかった。放っておいてほしかった。

どこが調子悪いの?

ここ10年調子が良かったことなどないですけれど。ぐっと飲み込んでちょっと胃が、と答える。

最後に支店長に持って行った。それを見てその人は言った「どこの病院さ行くのっしゃ」

「ええと、ちょっと(心療)内科に」

もごもごと答える私。

「そうじゃなくて、なんて病院に行くのや」

なんでそんなプライベートなことを職場で、周りに人がいる状況で口にしなければならないのか。嫌悪感で頭がぐらぐらと沸騰しながら、かかりつけの内科の病院の名を出した。ついでに他の上司にもどういう風に調子が悪いかしつこく尋ねられた。答えにくい(要は婦人科系だ)ものだったら女性の上司に相談して、とかなんとか言われたがこれは一歩間違ったらセクハラかもしれない。

そうして初診で泣きながら話した私、家庭の歪みも、学生時代のいじめも、苦しいことを全部話して薬をもらった。けれどそれで全く調子が良くなることはなかった。

何度目かの診療でぽつりと、ちょっと休んでみたいです。と言ったら転職した方が早いよと言われた。

ふざけるな、と思った。まだ半年も経ってないのに、辞めるなんて言い出せるわけがない。それにまた、面接なんてものをしなきゃいけないなんて地獄じゃあないか。

「先生、私ってなんの病気ですか」

「病気という程ではないね、強いて言うなら不安障害かな」

愕然とした。こんなにも苦しいのに、辛いのに体もおかしいのに病気じゃない。毎日死にたいと思って目を覚ますのも、明日が来るのがこわくて眠れないのも?

9月に入ると職場での食事がのどを通らなくなっていた。食べているだけで気持ち悪い、食べ終わった後トイレに駆け込んで吐く毎日を繰り返していた。

このままでは身体を壊す。いっそそうした方が仕事に行かなくても済むのではないか、そう考えてサービス残業でぼろぼろの身体を引きずって夜間診療の病院に行ったこともあった。春の健康診断でお世話になったその先生は私の話を一生懸命聞いてくれた。

しかし、親にだけは言えなかった。小学生の時、学校に行きたくないといった私を無理やり引きずって学校に行き泣いて拒む私を置き去りにした母の後姿が今でも脳裏に焼き付いていた。嫌だ、とその背に追いすがろうとする私の身体を逃すまいと腕を掴む担任の手に込められた力を今でも思い出す。必死に踏み出そうとしても、非力な身体は前に進まない。床を擦る靴底、泣き叫ぶ私の声が、廊下に反響していた。

中3の夏、自分から行くと決めたものの目が覚めた時に気力がなくて学校見学に行きたくないと呟くと有無を言わさずかばんを持たせ、乱暴に車に押し込まれて連れて行かれたことも思い出す。

そんな母が、私の苦しみを理解するはずがないと諦めていた。

母は私がやると言い出したことに毎回やめておきなさいと言う。そうして失敗した私を見てそれ見たことか、お母さんの言ったとおりでしょと言う。その言葉は私の柔らかい所をぐさぐさと突き刺す。

最近の母はあんたに会社勤めなんて無理だってお母さん最初からなんとなく分かってた。という。

それでは、どうやって私は生きていけばいいのだろう。私のことを全て分かっているというのなら、どうすればいいのか教えてよ。一緒に考えてよ、この地獄みたいな世界に産み落とした責任を取ってよ


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