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【TOKYO Diaries vol.1】自分のハートを信じられなかった頃と夜の魔法。

ふと、ある時のことを思い出した。
まだ自分を、自分のハートを信じられなかった頃のこと。


まるきり現実主義な私が、
スピリチュアルな感覚を信じられるようになるまでのことと、
夜散歩した時のことをー。










色んなことを考えなしに全て辞めた私は
お金がなくて将来の見通しも立たない状況を何度か体験した。


何もかもの予想がつかない、
現実的に考えると「うまくいく訳が無い」状況。





あれだけたくさん本を読んだんだから、
ハートはイエスと言っているんだから、

そう心の一部では思うものの


頭の他の部分では全てが頭がおかしい人の行動に見えたし、
とても無責任な判断に見えたし、
立派に真っ当で現実的で着実な人生を歩む友人たちを目にする度に自分がとんでもなくわがままで、惰性で生きている人間に見えた。


辞めた後はもちろん、うまくいった後だって
最初の数年は仕事が無くなったりする度に
「ビギナーズラックだったのでは?」

とハートが揺れた。










冷静になって
なんでこんな厄介で恐ろしいことをしてるんだろう?
ここまで思い切ったことをしなくても良かったんじゃ?
もっと安定していて安心感のある「みんなと同じルート」を進むのが一番幸せなのでは?

そういう至極真っ当な考えがちらつくこともあった。



現実的なビジネスパーソンの
「結局実績」「まずは人脈から」「他人や会社にgivegive!」
「まずは目指すべき人を徹底的に真似ろ」「メンターを作れ」
「コツコツ努力」「嫌でも耐えて耐えて耐えまくれ!それが将来君の力になる!」

誰もがいいね!と太鼓判を押す世の中の正解、リスペクトすべき人たちの発信はそんな情報。




「夢」みたいなことはー。
「自分らしい」人生を創っていくことはー。
「自分のハートの感覚を何より信じる」ことはー。


そんなふわふわしたことは、

私の過去の常識ではとても恥ずかしくて、全く根拠のない、
浮ついたアイデアだった。




















だけどどちらを信じてみたいかー
本当に無垢になって心に聞いてみると、
いつだって実は後者に軍配があがった。



今の私からすると夢みたいなことだけど、ありえないことだけど、
もしかしたら本当に、
私の知らない魔法のような世界があるかもしれないー。


歯を食いしばって努力することじゃなくて
自分を大切にすることが、人生をとびきり幸せなものにしてくれるなら?


勉強や情報や実績や偉い人の言葉じゃなくて
自分のハートの感覚や一瞬一瞬のインスピレーションを大切にすることが成功の一番の秘訣なら?


平凡で無難な人生じゃなくて
自分がとびきりときめき、魂を震わせて喜べるような体験のある人生を、特別な人だけでなく私だって体験できるなら?



そんな世界がもし本当にあるんだとしたら、
それを知らないままに死ぬのは絶対に嫌。




結局どれだけ本を読んでも、有名な人の言葉を聞いても「ビジネスなのでは?」と捉えてしまう

現実主義で人間不信な私がその「魔法のようなスピリチュアルな世界」を信じる方法は、

私自身がその世界の風を感じ体験してみることしか、なかった。














現実は絶望的で変わる気配だってないけど、
知識だけは、スピリチュアル成功者マインドな状態。












そんな頃、
よく夜に、家の近くの川沿いを散歩した。









当時住んでいた家の近くには
大きな神社や大きな川、その川がずっと流れる林道があった。


住宅街の間を流れる大きな川沿いを15分ほど歩くと、林道に入る。




めんどくさくて住宅街を歩くところでウォーキングを済ませることが多かったけどー。







街灯しかない夜道をジャージで歩きながら、
最初に書いたようなことをぐるぐる考えた。



もし本当に魔法みたいな世界があるなら?
本当に引き寄せやスピリチュアルで言われてるようなことがあるなら?
なんだって叶うなら、私は人生でどんなことを叶えていこう?



人や車が行き交ったり、まともな連絡が飛び交う昼間には、すぐにそんな夢物語はかき消されてしまうけど、


静かな夜に一人きりで歩いてる時には、子ども心に戻って「夢みたいな」方向に思考を走らせやすかった。


「がんばらなくていい、ワクワクすることをしていい」
「いい気分を大切にするだけでいい、遠慮のない自分の心からの理想を叶えられる」

そんなことを一人夜道で思い浮かべながらしばらく歩くと、少しずつワクワクした。



現実的な思想に戻ったならすぐにかき消されてしまうけど、

甘い金平糖のようにずっと口の中で転がしていたいその甘美な考えに、私はしばらく浸ると束の間現実を忘れて「いい気分」になった。










そんなことを考えていると、
大きな川のそばにいつでも大きな龍がついてくれているような気がー。

「安心してろ」「誰がついてると思ってる」


大きな何かに守られているような気がしたり
星空を眺めると未来の自分が応援してくれてるような気がしたりした。

「大丈夫、あってるあってる!」


そんな妙に心に引っかかるメッセージが、ハートの奥で響いたり頭に降ってくるような気がした。



無論、いつだって私は「気のせい」「危ない空想」「大人になって恥ずかしい」「ちょっとスピリチュアルな本を読んだから」「小説の読みすぎ」

そんな風にすぐ冷静になってかき消してしまうんだけどー。



「まあ、自分の頭の中ではどんなこと考えたって自由か」
「少しファンタジーな感性を持ってる大人の方が、こなれた遊び心があっていいかも」

ちょっと力を抜くと、
そんな風に楽観的になって、
子どものようになってインスピレーションで降ってくる言葉に耳をすませてみたり
ハートのワクワクに従って歩きたい道を決めたり、
人に弱音を吐くのが好きじゃなかった私は、お星様やお月様になら弱音を吐くことができるようになった。










そんな風にするうちに夜じゃなくても、
自分の直感の感覚がわかるようになったり、
もっともらしい世の中の声より自分のハートの声が聞けるようになっていた。

「私はどうしたい?」
とちゃんと自分に聞くことができるようになっていった。


お昼であっても、
静かな夜と同じように自分の声を聞けるようになった。

心が揺らぐことがあっても、自分で安心感とつながりとりもどせるようになった。

子どもの頃の感性と現実社会で生きることの両立が少しづつできるようになった。









夜の散歩の時間が「自分を信じる」ことにつながった。


世の中に溢れる情報や常識や偉い人の声じゃなくて「自分のハートや直感の声を聞くこと」を覚えた。

迷った時、悩んだ時に解決策を探したり世の中から正解を探したり何かに闇雲にすがったりするのではなくて「自分自身に聞いてみて、その答えを最大限尊重する」ことを覚えた。

「どんな決断も最終的に自分の勘で選ぶ」ことを覚えた。

「結果に固執せず、自分より大きなもの、目に見えないもの、天に委ねる」ことを覚えた。







すごくすごくシンプルなのに、
私がずっとできなかったこと。


人一倍現実主義だった私を自分やスピリチュアルな感性を信じられるように変えてくれたのは、

月や星や、大きな川、
「夜の魔法」だったのだ(*´ω`*)












それからもうひとつー。

私は時空についての本も何冊か読み、自分なりの考えができた。そして時々夜やることがある。














それはふと昔を思い出すとき、
迷える過去の自分に大きな愛情とともにテレパシーのように言葉をかけることだ😉





星空を眺めると未来の自分が応援してくれてるような気がしたりした。
「大丈夫、あってるあってる!」


自分のハートを信じようとしているあなたへ
Sayaka.より♡


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