それは突然に⑦

師長への連絡も手が震えてうまく表示出来ない。何て言えばいいかわからない。涙も止まらない。時間はかかったけどそれでも何とか連絡が出来た。

ただただ無言で表情がなくなっていく私を心配した姉が気分転換に買い物に行こう、と提案してくれた。私が眠れないからヒーリングCDを探してる、というのを覚えていてくれたのだ。家にいると涙が溢れ、自殺したいという衝動に駆られるのもわかった上で家から連れ出してくれた。そこには探していたCDもあり普段なら私が飛びつくような商品もあった。食欲もなく食べる気など起きなかったが「コレ、美味しそうやと思わん⁇セット食べたいけど多いから手伝ってくれたら助かるんやけど」と言われ、少し食べる気になった。さすが私の育ての親、と言われる姉なだけある。私の扱いは流石としか言いようがない。一言も発せなかった私がポツリポツリと話しだせたのだから。

家に帰り母とゆっくり話をした。
仕事は休んでもいいと思っていること、頑張らなくていいこと、私が大切だということ、生きててほしいこと。

私は歳の離れた3兄弟(姉、兄)の末っ子で負けず嫌いが講じて姉、兄より勉学に励んだこともあった。早くに結婚した2人と違い独身の私は母と2人で暮らし。世帯主として母を養い、夢だった家も建てたばかりだった。がむしゃらに働き、常に目標に向かって頑張ることが日常だと思っていた私に頑張らなくていい選択肢はなかった。母に言われて初めて頑張らない選択肢をとってもいいんだ…と感じた。
頑張らなくていい、休んでもいい、と言われ気が楽になり子供のようにそばで付き添われながらその日は眠りについた。

翌日、夜勤前に師長と面談をし「限界」と伝えた。勤務を組み直してもらったばかりで本当に申し訳なかった。だからこそ限界まで働いて少しでも役に立ちたかった。
仕事終わりにクリニックへ行き、休職の診断書が出た。本格的に休みに入る。もうすぐ新人も入ってくる、人手不足。その中での休職はホントに罪悪感しかなく私はスタッフの顔さえみることは出来なかった。

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