ワーシカ・コルニコフの宝石①
1.
「真実告知」という言葉を、聞いたことがあるでしょうか。
何らかの事情があって実の親と暮らすことができない子どもたちは、施設や育ての親や、新しく縁を結んだ家族の元で暮らします。
その子たちには必ず自分の出自と、新しい場所で暮らすことになるまでの短い人生について、本当の事が伝えられます。
自分がどこの誰から生まれたか。なぜその人は自分を手放したか。
……例えそれが、どんなに残酷で理不尽な事実だったとしても。
勿論大人は一生懸命、あれこれ頭を悩ませて、少しでも希望のある話にしようとしますが。頼んでもないのに生まれて。しかもそれが、祝福されたものでも待ち望まれていたものでもなかったなんて。残酷で理不尽と言うより他にないでしょう。
一体私が、何をしたんですか。生まれる前から、私は何か罪を犯したのでしょうか。だから生きて、償わなければいけませんか。その償いは終わりますか。終わったら私はどうなりますか。生きていくのですか。死んでしまうのですか。幸せになれますか。それとも今度こそ、全て終わりになりますか。
これから私がお話しすることは、本当か嘘か分からない話だと思って聞いてください。全部本当かも知れないし、全部嘘かも知れないし、あるいは一部だけが本当かも知れません。
真実告知とは、事実と真実は違う、という意味合いがあるそうです。
最初に与えられるのは、ただただ残酷で理不尽な事実だけかもしれません。
それでも。その子が生きて、いつか自分だけの真実に辿り着きますように。そんな願いが込められているように思います。
2.
34年前の8月15日、私は生まれました。
名前は万葉集の一節にちなんで、さやかと付けられました。澄んでいるとか、はっきりしている、さえてよく聞こえるという意味です。
両親にとって長く待ち望んだはずの子どもでしたが、そういう風には、育てられなかったと思います。
何が原因というわけではありません。ただ物心ついた時から自然と、自分が生まれたことは罪で、生きることは償いだと思っていました。
誰に習ったか知りませんが、もう随分と昔から、輪廻転生のようなものを自然と信じていたように思います。だって生まれてたった数年しか経たない子供が、自分の命を罪に感じることなどあるのでしょうか。
人間の体の中には、きっと魂というやつがあるのです。それは私が思うに充電式の乾電池のようなもので、充電を使い切ると魂と肉体は一度あの世に引き取られ、空になった魂にもう一度命が充填されて、次の新しい体に埋め込まれるのです。
だからきっと私の体に埋め込まれた魂は、余程罪深く汚れた欠陥品だったのだと思います。
そう思わなければ説明がつかないくらい遠い昔から、ずっとずっと、詫びるように償うように生きてきました。
そんな私に「澄んでいる」という意味の名前が付けられたのは、一体どんな皮肉でしょうか。名前は、親から子への最初の贈り物だと言う人がいます。もし本当にそうだとすると、父は、母は。私がどんな罪を背負って生まれたか、知っていたのでしょうか。
私がまだ母のお腹にいる頃。その頃から父には、道ならぬ関係の相手がいました。それは私にとって叔母であり、母にとっては妹でした。母と叔母は、双子の姉妹でした。
父と叔母の関係は一族にとって公然の秘密であり、特に母方の祖母は、叔母にそれを手引きしたように聞いていますが。私には、本当のことは分かりません。
ただ私が知っているのは、祖母はいつも私に「人を見たら泥棒と思え」「兄弟姉妹は他人の始まり。例え血の繋がった家族でも信用するな」と言っていたこと。
ある日突然「お前のお母さんと叔母さんをよく見ておきなさい。お母さんは叔母さんにどれだけ馬鹿にされても叔母さんから離れられないよ」と言ったこと。
子供の頃何度か、祖母と叔母から、叔母の養子になれと言われたこと。
妹が生まれた後、叔母が母に「二人も生まれたんだからどっちか頂戴。さやかの方が面倒見がいいから、さやかが欲しい」と言ったらしいこと。
ここまで言えば、私の体にどんなに汚らわしい血が流れているか、きっと分かることでしょう。
子供の頃はよく、体中の血を交換したいと思っていました。
……汚い血が、自分の血管を這って体中を巡っている。まるで強迫観念のように、ふとした瞬間にその考えが頭に浮かぶのです。その感覚はとても言葉にはなりません。心臓が冷たくなるような、生きているのが怖くなるような。まるで自分が恐ろしい獣か何かであるような感じがするのです。
自分はこれから、どんな恐ろしい生き物になってしまうのか。自分はずっと、人間でいられるのか。もしも人間でいられない日が来たら……。痛いのは嫌。苦しいのも嫌。気付かないうちに、優しい誰かに殺されたい。
全ては、誰にも打ち明けられない秘密でした。