ソワソワし始めて、とうとう「例のあの人」を召喚してしまいました。
むかしXで交流があった人をnote内でお見かけしました。嬉しくて、でも、「お久しぶりですね」も変だし、そっとしておきました。人さまのコメント欄で昔話をされても、「え?」って思うでしょうし。とにかく、お元気そうでよかった。
仲違いしたわけじゃないのに、距離ができてしまうことってありますね。人ってどんどん変化するから。むかし、Xの片づけやミニマリスト界隈に居たのですが、しだいに発信が薄れてしまって、いまはnoteに夢中です。
noteのおもしろいところは、ずっと一人のnoterさんを追っていくじゃないですか。ずっと、ですよ、定期的にです。そうすると、あるとき、うわ! この人、自分の殻を破ったんだ。すごい! 変化した! って思う瞬間があるんです。その瞬間に立ち会えることが嬉しい〜
最初から、本音ダダ漏れのものって書けないと思うんです。少しずつ自己開示していって、書きたいものが書けるようになるのがnoteです。
春の創作大賞のころからでしょうか。noteの中に居る時間が増えました。創作大賞だから、みんな本気を出して書くわけですよね。その熱量がすごくて、お祭りみたいでした。
それで、思うんですけどね、ある一定の人たちが同じ目標を持って努力するさまって、ものすごく価値のある大事な時間だったのでは? 一年経てば、人の状況は変わります。来年は参加できない人も出てくるでしょう。
だから、創作大賞に参加できて、同じ目標を持っていっしょに努力した、あの時間を忘れたくないと思いました。もしも、参加したメンバーが賞をとったら、心から祝福したいと思います。
でも、そのときにならないと(自分の)心情がわからない。悔しい〜 嫉妬でメラメラ燃えて、人格が変化するくらい暗黒面が出てくるのかな? そうなったら、このnoteで、できるだけ正直な気持ちを書きます。
なんだか今日はコニシ木の子さんを召喚したくなりました。ところで、コニシ木の子さんは、「コニシキ」の子ですよね? どこまでが苗字? コニシさんなの? いつもわからなくなるから、コニシ木の子さんとフルネームでお呼びしています。
それではコニシ木の子さん、UFOでのお出迎えお待ちしていますね〜
※ いつきさん、帯をありがとうございます。
秋には干し芋を買って、12月までに新しい手帳を買いたいです。