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フラットで相互補助のできる組織を目指す理由

フラットで相互補助のできる組織を目指しています。
つまり苦手な分野は助け合い、自分が強い分野で貢献することです。
また「各自が強みを活かしてはたらくことで成長し、年齢性別国籍で評価されることがない」という目指す理念を達成するために、個人的な感情に囚われないよう、報酬体制を明確にしたいという想いから考案された人事評価制度となります。

それは私自信の経験からくるところがありますが、新卒でメガバンクの総合職として入社した際、本来各人が自分の担当先の業務を行う縦割りの制度でしたが、支店長の鶴の一言で急に支店長の先輩3人とのチームを組み、新人は先輩が営業に専念できるよう自分の業務+先輩2人分の全て事務を行うという体制になりました。

私は営業してニーズをヒアリングし課題解決や関係構築を行うことを得意していましたが、それからは最も苦手なジャンルである会計書類と日々にらめっこしてCF表を作ったり格付けや稟議を行っていました、私の科が行内で最も仕事の量が多く8時から20時まで昼休みの5分だけご飯をかきこむ時間以外を全て仕事に費やしても終わる量ではなく、一人で真っ暗なオフィスで残業したこともあります。

ようやく自分が先輩になり膨大な事務から解放されると思った年、支店長が変わり真逆の体制に変わりました。新人は営業にでて、先輩が事務を手伝ってあげるようにと。
2年間苦手な分野で臥薪嘗胆したものの、それは報われることはなく、相談した上司からも上の意見に歯向かうな、俺を飛ばしてさらにその上に相談するなんてと逆にパワハラやいやがらせを受けるようになりました。
約束は守られる信じていたのにダブルパンチでメンタルが崩壊し身体中急に蕁麻疹がでたり突然涙が止まらないことがあったりしました。これはいよいよ壊れてしまうと勇気を出して会社近くの心のクリックに電話するも、3件立て続けに「半年待ちです」「もう既存患者で一杯で初診は3か月後からしか受付ができない」「新規は現在受け付けることができない」と、心を病んでいる人の多さに当時驚愕しました。

そのような体験から、上司や会社の方針に合わせて我慢してはたらくことの末路は自分の本来の良さも強みも消えてしまうという恐怖に変わり、逃げるように銀行を退職しました。
退職後3か月放心状態でしたが、このままではダメになると、好きだった海外旅行に出かけるためヨーロッパにバックパックに行こうと思い立ちます。
そこで、一人で1か月計画から帰国まで出来たということ、ドミトリーで同じように女子一人旅をしている世界中の若者にも出会い、自信を取りもどすことができました。
ドイツ人で外資系銀行に務めている友人を訪ねてドイツにも行きましたが、オフィスにも入れ、上司と先日のバカンスのことを話あっていることに衝撃を受け、同じ銀行員でも全然違うこと、
銀行員をやっていた際に「銀行の常識、世間の非常識」という言葉をよく聞きましたが、世界にでるとそれは「(日本の)銀行の常識、(世界の)銀行の非常識」であり「日本の常識、世界の非常識」であることが身をもって分かりました。

そこから私は、心のバランスを崩してまで窮屈で我慢して働く必要はないということ、
常識を常識と思わないこと、を声を大にして言いたいと思います。

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