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頑張るのをやめた話

頑張るのをやめました。理由は頑張るのに疲れたから。
頑張っていたとは言っても、人に自慢できるような成功話は何もないんですが
幼い頃から持っていた強い向上心と(良くない方の)完璧主義が、徐々に自分の器ではコントロールできなくなりました。
そして特に今の仕事をするようになってから、情報収集したり発信するためにSNSの使用頻度が増え、すごい成果を上げてる人や頑張ってる人たちを見るうちに、休み方もわからなくなるほど自分ももっと頑張らなくちゃと、気持ちだけが焦っていきました。

それで一周回って突然、「あれ?頑張らんでよくない?」となったのでした(笑)

私は元々努力が苦手な子どもでした。
そこそこ何でも器用にできたし、それこそ進学校に入るための勉強も、部活でいいポジションに選ばれたのも、韓国語が話せるのも、端から見たら努力でしょうけど、私は好きだから頑張りたかった(頑張った)だけで、苦痛に耐えながら頑張ったわけではないからです。

逆に言えば、大学受験や就活は全然ダメでした(笑)
好きじゃない(目標がない)ことは頑張れないし、腑に落ちないことや納得していないことに対して動ける人間じゃなかったんです。

どこに行っても周りから真面目とか努力家とか言われるせいで(?)、ああそうなのかと思っていたけど、待って、よく考えたら違くない??と最近ようやく気付きました(笑)

「頑張る」の定義とは

 困難にめげないで我慢してやり抜く。
 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我 (が) を張る。

goo辞書

なんか、もともとの意味は2らしいのですが、それがだんだん1の意味で使われるようになったと(知らんけど)。
2もいい意味で使われていたわけじゃないらしいんですが、ただ、私は2だから頑張れたのであって1では頑張れない人間だったんです。
"我慢してやり抜く"なんて無理だろーー!

「頑張る」って素敵な言葉だけど、時には人を追い詰める言葉で、だから心が落ち込んでる人に頑張れって言っちゃいけないのはそういうことなんだろうな。そんな風にも改めて感じました。

で、頑張るのをやめたって具体的にどういうことかと言うと

  • 勉強記録を付けない(勉強できた時間が少なすぎると落ち込む)

  • 翻訳する時に時間を計らない(時間がかかりすぎていると落ち込む)

  • 勉強のためだけに映画やドラマ、本を見ない(ゼロじゃないし単語を調べたりはするけど、「おもろそう」が先に来るようにする)

  • 勉強する時に根を詰めすぎない(言語はどれだけ早く参考書を読み終わるかじゃなくて、ちょっとずつかじっていって蓄積させていくしかないことに気付いた)

  • 自由時間は「何をすれば自分に有益か」じゃなくて、非効率的で無意味そうなことでも、やりたい・おもろそうを優先する(これをすることで精神が潤うことに気付いた)

  • SNSを見すぎない(目が疲れる、自律神経悪くなる、集中力が途切れる、精神的に疲れる)

  • お風呂入るときは湯船につかる(毎日は無理やけど、自律神経整えるためにもなるべく。今まではいかに早く入るかを考えてた)

  • 仕事の新規開拓はストップ

こんな感じ?
少しでもストレスに感じることはやらないってことですね。
あと一番大事なポイントは「2024年は遊ぶ」と決めたこと\(^^)/笑

とはいえ、遊び方がわからない^^;;;
まぁそれはさておき。

とりあえず暇だから運動して、好きなことして、人と会う。

そうして自分を取り戻していこうと思います。

私、自己啓発もあんまりやりすぎない方がいいと思うんです。人によるとは思いますが。
「情報収集」目的でサクッと見たり読んだりするのはいいと思うんですが、自分を理解していない状態でやみくもにやっても、結局それは誰かのマネをすることになって、どんどん自分が失われていく、そんな気がするんです。
というか実際にそう感じてしまって。
私は元々「人と同じ」が嫌な人だから余計そう感じたのかもしれませんが、だんだん見えない何かに自分が支配されているような感覚に陥りました。

あとは周りからのイメージも、自分を見失うきっかけになるのだなぁと感じました。
就活の時とか「友達に自分の長所を聞いてみる」みたいなやつあったけど、確かに自分を低く見積もりすぎて、言われて初めて「それも長所になるんだ!」的なのだったらいいのですが、
私はいつからか、結構「本当の自分は違うけどな~」って思うことが増えてきて、やっぱりよそ行きの自分を演じてしまってるというか。
まぁそれも自分の一部ではあるんでしょうけど。
だからそこばかり褒められて、あぁそうなんだって思って、結局よそ行きの自分が本当の自分を蝕んでいくというか。ほんと、悪循環だなぁと。

そういうことをぐるぐる考えてるうちに、15歳くらいまでの、あの好きなことに無限に時間かけてた頃の生き方をした方が、結果いい方向に進むんじゃないかって思うようになりました。(もちろん大人ですから、やることはやりますけど)
というかいろんな人を見ているとそう思うんです。変に気だけ張って根詰めて生きてるより、適度に遊んだり息抜きして、でも好きなことや仕事には全力投球(しかも好きだからつらくても苦とは思ってない)みたいな人の方が、人生うまくいってるなぁと。

だってやっぱりしんどいことは続かない。
続かないってことは花咲かないってことだし。
じゃあダメじゃん\(^^)/って(笑)

実際、そう決めてからちゃんとお腹が空くようになったんです(笑)
朝・昼・夜・おやつを毎日食べられる。
こんなのは人生で留学してる時(ストレスがない時)くらいしかなかったことなんです。
特に毎日朝ご飯を食べられていることに驚いています。

そしてどっちみち何か行動を起こすには、体力・エネルギー・心身の健康が整っていなければ無理なので、今年はそれらを充電する(基盤を作る)時期だと割り切ることにしました。

これらが「甘え」とか「恵まれた環境(実家)だからできること」とか、そう思う人も絶対いると思うんですが、でももうそんな言葉はお腹いっぱいです(笑)
昔から「考えが甘い」とか「わがままだ」とか死ぬほど言われましたけど、社会や、世界に出てみると全然そんなことなかった(笑)
今まで我慢しすぎてた(笑)
また私はなかなかな毒親育ちですが、それでも環境としては普通に恵まれていたと思うので、「自分は恵まれてるのにどうして…」という考えも、自分を精神的に苦しめる原因になってたと思います。
だから、もうそんな誰の得にもならないような考え方はやめることにしました。

さいごに

ここまで長々と書きましたが、
私には遠い将来の理想の生き方があるので、これからは頑張るのをやめてだらけて生きていこうという話ではありません。

今まで気を張って生きてきた自分をいたわってあげたい。

初めてそう思うことができたんです。
学生時代からの友達が社会で活躍してたり、SNSで見る自分より若い子たちが武器や経歴をたくさん持ってたり、そしてその本来自分がなるべきだった(なりたかった)姿になれなかった自分がここにはいて。
自分なりには頑張ってきたのにと思いつつも、一方ではもっと頑張るべきだったんじゃないかと思ったりもして。

でももういっかって感じたんです。
自分の道じゃないところでもがいでも意味ないから。

だからもう「頑張る」のはやめて、さらに今年一年は充電期間として、自分自身と会話しながらゆっくり過ごしていこうと思います。

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