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嫌いこそものの得意なれ?

私たちはよく「好きこそものの得意なれ」という言葉を耳にする。

もちろん、好きであれば、私たちは時間を忘れ、夢中で取り組もうとするから、どんどんと得意になっていくのは当然のことであろう。

一方で、嫌いなことや、不得意なことは億劫でなかなか取り組みたいと思えない。やろうと思っても、三日坊主で終わってしまったりと、定着もしないし、得意にこそなれない。

しかし、苦手なことは、本当に得意なことになれないのだろうか?

私は数学が大嫌いだった

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私が中学生の頃、私の中学校には選択授業というものがあった。

選択授業の時間は、その時間に開講されている教科から、生徒が自由に科目を選択して、授業を受けることができた。

人気科目は、もちろん、体育、音楽、美術、技術家庭。
私も数学や国語なんて選ぶつもりもなかった。

そんなある日、友達と選択科目の話になった。

Sayaは、選択科目どうするの?

なんて聞かれた私は、まだ悩んでいるんだよねーと曖昧な返事をして、友達に何を選択するのか尋ねてみた。

すると、彼女はこう答えた。

数学が苦手だから、数学にするんだ。

あの時、私は、私の中に雷が落ちるくらいの衝撃を受けた。

「苦手だから選択する・・・」という考え方は、私の中で一度も思いついたことのない、考え方だったからだ。

だから、私も数学が大嫌いだったから、数学を選択してみた。

これをきっかけに、私はどんどんと数学が得意になっていた。
不思議なもので、やればやるほど、私は数学の魅力にハマり、結局、大学受験まで数学が得意で、数学ⅢCが必要な理系の大学に進学したものだから、面白いものである。

あの時、友達の一言がなければ、きっと、私は苦手を苦手のままにしっぱなしだったのかもしれない。

私は文章を書くことが嫌いだった

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数学は得意になったものの、私は国語が大嫌いのままであった。

幼い頃、私はよく母に連れられ、図書館に行っていたが、ある時からパタっと本が嫌いな子になってしまった。

小学校1年生の時に、読書感想文で入選したこともあったけれど、あれは、夏休みの読書感想文の宿題が終わらないことに、わんわん泣き叫んでいるのを見かねた父が、一字一句書くべきことを教えてくれたから、入選できた作品でもあった。その賞状は、立派な額縁に入っていた。今でも大切にしている。

それ以降、私には文章で目立った功績は一つもない。

そんな私は、小論文のない大学を受験したため、大学卒業まで、文章としっかり向き合う機会はほとんどなかった。

しかし、私が文章と向き合うようになったのは、学位論文の執筆がきっかけであった。

卒業論文はスリランカのお米について書いた。その時は、とりあえず、がむしゃらに英文で書いた。

大学院では教育学部に文転し、日本語で修士論文を執筆した。紀要論文の執筆も手がけることができた。

その後、ロンドン大学では大量のレポートと20,000語にも及ぶ英語の修士論文を執筆した。

どの学位論文も、書くという行為に対して、私は期限に追われる苦しみと、とりあえず書かなければいけない!という焦りや不安、そして、しんどさがあった。思い出すと、大変な日々ではあったが、私は、そのしんどさの中に一筋の喜びという光が見える日もあり、それが嬉しかったという気持ちが芽生えていたのも事実である。

そして・・・
そんな私は、今文章を書くことが楽しい。

あれだけ辛くて辛くて仕方のない行為だったにも関わらず、今の私は、自分の考えをアウトプットし、それを誰かに伝えられることを幸せに感じている。

あれほど苦手だった書くという行為を、私は生涯のライフワークともしたいと考えるほどになった。

それもこれも、きっと、苦手であるという書くという行為をし続けた結果であろうと思う。

苦手と向き合って

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数学と書く行為

これらは、私が過去に苦手だった事柄である。

この記事のはじめにも述べたように、よく人びとは「好きこそ物の得意なれ」ということを言ったりもするが、実は好きなことや得意なことを見つけるのは、そう簡単なことではない。

(ある物事について)
自分は人並みにこなすことはできるが
それが好きか?と言われたら、分からない。
では、自分が好きなことって何なんだろう?

と、誰もが一度は、このような問いを、ぼーっと考えた経験が、あるのではないだろうか?

意外に好きなことや得意なことを見つけるのは、苦手や嫌いを見つけるよりも、難しかったりするものだ。

だからこそ、私は好きなことを無理に見つけるのではなく、あえて苦手を見つけて、苦手をやり続けてみるのはどうだろうか?と思っている。

それをやり続けるという行為は、きっと、辛いことかもしれないが、必ずその先には、自分が見たことのない世界というものが広がっている。

それは、私が自分自身の2つの苦手を克服したからこそ、そうであると、確信している。

苦手をやり続けることは
きっと、いずれ自分の「好き」に変わると思うのだ

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