母と兄と、それから飲酒
「俺はね、お母さんを恨んでるよ」
酒を片手に、兄はそう言った。
私がハタチになって初めて家族で集まった日のことだった。
1月某日、わたしは成人式のために帰省していた。最終の新幹線に乗り、日付が変わるころに地元へ着く。改札に誰かが近づいてきていたが無視をした。1年ぶりの妹は知らない人に見えるくらい成長していた。
2020、色んなことがあったと思う。ゆっくりにも思えるし、早いようにもいつも通りにも思える1年だった。当然会っていなかった家族も同じように1年を過ごしている。成長していて当たり前だが、やっぱり変な感じだ。
ツンとするつめたい空気、毎日2時間揺られたバス、氷の張った道路、ワンメーターの高いタクシー。どれも嫌だったはずなのにどれも懐かしく愛おしい。
母と妹とタクシーに乗り、実家に近いローソンで降りる。兄がバイトをしているとき以外ずっと通っていたローソンだ。レジには中学生のころから変わらない店員さん。それなのに陳列は全く変わっていて、チグハグな時の経過を感じた。
酒とつまみを買い、兄を呼び出し帰宅。
新社会人の兄は実家の近くに越していたらしい。
みんなでお酒を飲む流れになっていた。正直不安だった。あまり気が乗らない。
生まれてから18年間、実家にいるときは母と喧嘩ばかりしていた。基本的に好き勝手して事後報告というのがいつもの流れだったし、反対されたところで私には関係ないと思っていた。
言うことを聞いた記憶はほとんどなくて、万年反抗期という言葉がピッタリだったと思う。
たくさん喧嘩はしたが、理由がなんだったのかほとんど覚えていない。覚えているのは少々過激だった、ということだけ。
外に締め出され泣きながらドアを叩いていたら、隣のおばちゃんに心配された。母にぶたれてもやり返せないから、と自分をつねったこともあった。実家の壁は穴だらけだし、お母さんなんか出ていけばいいのにと言ったこともある。ひどい娘だ。
いっぽうで兄とは喧嘩どころか私が中学生に上がる頃にはほとんど会話をしていなかった。同じ部屋なのに、だ。だからこそかもしれない。プライベートがないような気がして、お互いを邪魔だと思っていた。
記憶にある会話なんて「あそこにお母さんお金置いてったよ」「灯油入れて」「自分で使った食器洗って」くらいだ。私はこっそり、兄の本棚から何冊も借りていたのだけれど。
そりゃあ気まずい。というかなにを話せばいいか分からないのだ。頼むから誰か会話の仕方をレクチャーして欲しい。
思えばわたしは、2人が普段どんな生活をしているのかも、どんな趣味なのかも、友だちの前でどんな雰囲気なのかもほとんど知らなかった。
家族だから、気づいたら一緒にいたからと、知ろうともしていなかった。雰囲気も趣味も人と仲良くなるときには大切なことなのに。
家族って不思議だ。家族って難しい。
私のことは放っといてと言いながら1人の人として見ていなかったのは私じゃないか。離れてみて初めてわかったことだった。
十数分後、そんな心配はいらなかったようで。
先ほどまでの不安がウソだったように盛り上がっている。
「あ〜〜やっぱり家族だな〜〜」と今まででいちばん感じた時間だ。
わたしも家族も成長したんだな、時が経ったんだな、と。
お互いが見ているものを知れた。興味があることを知れた。あのときの気持ちを知れた。謝った。
いい時間だった。
「仕事にしたいくらい熱中できる趣味を5個は持っておけ」
兄は穂村弘の本を差し出しながらそう言う。
かと思えばMyダーツを鞄から取り出してはカーテンに投げている。その度に律儀にしまっては取り出しを何度も繰り返していた。ちゃんと多趣味である。
そしてお年玉だ、と一万円をもらった。
「ハタチになったら突然、お年玉が貰えなくなって嫌だったから。これはあのときの俺に向けて。」
そう言われた。良い兄だなと思いながら有難く受け取る。ペラペラなのに重い一万円だった。
その後も話をしていると、ふと母がテレビの音量を下げた。
酔っていたので詳しいことは覚えていないが、たしか近い将来についての話をしていたと思う。
「今の見た?」と小声で兄に言われた。
はじめは何のことか分からなかったが、母がテレビの音量を下げたことらしかった。
「俺はね、お母さんを恨んでるよ」と兄は言う。
「ふだん生活していて、テレビの音量を下げれない人は意外と多いんだよ。それについて何とも思わない人も。」と続けた。
些細なことに気を遣える人、そこに気付ける人、それが当たり前だった我が家。
その価値観を植え付けた母を、恨んでいるらしい。
なんだ、ビックリさせないでくれ。そんな愛のある恨みがあるか。
たしかに「しっかりしている」「礼儀がなっている」と言われることが多かった。それは私のおかげだと思っていた。でも思い出した。
しっかりと躾けてくれたのは紛れもなく母だったではないか、と。
もちろん不満もたくさんあったし、方法が適切だったかはわからない。
でも、無意識に染み付いていたものがあまりに多すぎる。それに気付けなかった自分が恥ずかしい。
なーにがしっかりしているのは私のおかげだ。大嘘つきである。
まんまと母の策略に乗せられた気がして、悔しいような嬉しいような、申し訳ないような複雑な気持ちになった。
母はよく「私が死んでもなんにも残らないので!」と言っていた。
たしかに家は賃貸だしお金も無い。お墓の話なんてしたことも無い。
そりゃ何も残らないよな、と思っていた。
でも違ったよ。恨みを買うくらい、私たちの中には残っちゃうから。
いちばん大切なとこ、残ってるから。何もしてあげられなかったなんて言わないでね。それはお母さんが決めることじゃないんだから。
『世界音痴』に挟まれた一万円札を見ながら、そんなことを思った。