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節目の天秤
超有名な野球選手が結婚して、そのお相手はスポーツ選手だったけれども引退してアメリカに渡った、ということに関して、
「彼女の人生もあったはずなのに若くしてキャリアを手放して渡米するのは相当な覚悟がいることだろう」という旨のツイートを見かけた。
そういう面からの見方も一理あるとは思うけれども、本人たちにとっての幸せや最善策というのは他者からは推し量れないよなあ、としばし考えていた。
何かを得るということは何かを手放すということ。
何かを選ぶということは何かを捨てるということ。
わたしは人生の節目が訪れる度にそれをひしひしと感じるし、一方で胸に刻んでおかなければならないなとも思う。
彼らの結婚に比べればわたしのエピソードなんて本当にそよ風みたいなものなのだが、それでもわたしにも、選んだものと捨てたものがあった。
わたしは結婚する時に、地元から200km以上離れた他県の街に引っ越した。
実家を離れるのはほとんど初めてで、福岡から出て暮らす人生なんて想像したこともなかった。
引っ越しに伴って仕事も辞めた。キャリアというほどのものはなかったけど、数年働いて契約社員から正社員になるかと声がかかりかけた時期ではあった。
しかしこうやって悲観するのは簡単。
得たもののことを棚に上げて、失ったものばかり数えていればいくらでも悲しいふりはできる。
それでもどうして結婚したかというと、夫と結婚したかったから。
たしかに福岡も地元も実家も大好きだけど、だからといって夫と結婚しない選択をするのは無理だった。
元はといえばわたしは結婚願望がめちゃくちゃあったというわけではない。
できたらいいけどできなければそれもまた人生、というスタンスで20代半ばを過ごしていた。
ましてやその先の家庭を築くというような画はあまり浮かんでいなかった。
でもなんやかんやで夫と出会って交際していくうちに、家族になったら面白いかもな〜というようなことを初めて考えるようになった。
そして結果的に相手も同じ気持ちだったから結婚に至った。
まあつまり地元志向と夫を天秤にかけた時に、夫に軍配が上がったというわけだ。
「結婚した時に仕事を辞めて引っ越すのは女側であらねばならない」という風潮が嫌だと感じている人は、冒頭に書いたようなスポーツ選手のエピソードもかわいそうだと感じるだろう。
そうやって当たり前に女側が犠牲になってきたことに関してNOと声をあげることができる時代になっているのは確かだが、一方で自分がいざ結婚するとなった場合は、自分自身に対しては「結婚ってそういうものなんだよな」という温度感であった。
実家を出ることも、苗字が変わることも、地元を離れることも、寂しくはあるけれども、それが結婚ってもんだと割り切っていこう、頑張ろう、としていた。
その寂しさとともにありながら、わたしは夫との人生を得たのであった。
今思えば、それらの得るものと失うものの天秤がゆらゆら揺れる様をマリッジブルーと呼ぶのだろうな。
子育てもそう。かわいい子どものいる暮らしは大変さも制限も伴う。それをもってしても子どもはかわいい。
仕事だって例えば「給料はいいけど激務」という日々が続けば、もう少し安月給でもいいからゆったりと暮らしたいと思うものだ。
でも自分がその天秤にかけたことを胸に刻んでおかないと、あとになって安月給なことばかりに着目して、悲観してしまう。
ないものねだりは人間の性だけれど、自分の手の中に持ってるものにもちゃんと目を向けてあげないと、隣の芝生ばっかりが育っているように思えてしまう。
「しあわせはいつもじぶんのこころがきめる」
相田みつをさんの言葉で、わたしの座右の銘でもある。
結婚したから幸せでしょうと他人が決めつけることはできないし、キャリアを手放すのはかわいそうと外から決めつけることもできない。
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