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いつか懐かしく


僕が就職で倉敷に来て最初に取り組んだのは、毎日通える食事の店を探すことだった。

愛知県出身の僕は大学生活を大阪・枚方で過ごした。

その時の下宿はとにかく家賃の安いところをということで、古く、個別の自炊設備も無く、食事のほとんどは外食か、持ち帰りの弁当か、あるいはせいぜいご飯を炊くことと味噌汁だけは作って、どこかから惣菜を買って済ますことがほとんどだった。

倉敷での勤務先の借り上げワンルームアパートには、一人暮らしには十分なキッチンがあったのだけど、学生時代の自分を知るがために、仕事を終えてから自分のためだけに料理をするという自信がなかった。

6月に配属先である当地へ来てしばらくは定時勤務が続いたため、夕方に店を探す時間だけはあったけれど、なかなかここなら毎日通っても大丈夫だというところは見つからなかった。

場所は倉敷駅からは少し離れた交通量の多い国道バイパスの、大きな交差点の近辺。

当時はまだ自分の車を持っておらず、買ったばかりの自転車か、あるいは学生の頃からのスクーターで、細かいところまで探したけれど、ここ、というお店にはなかなか巡り会わなかった。

夕御飯が主な目的だけれど、あまりお酒を前面に出していない、そしてできれば客が多過ぎない、そしてきちんと定食が食べられるところ、というのを無意識下に条件付けしていた。

何日か過ぎ、もう当分は見つからないなと諦め半分になりかけたころに、アパートからはそれほど離れていない大通りに面した小さなテナントの建物に、目立たない小さな緑色の暖簾が掛かっているのが目に入った。

あまりに小さいから、地域密着型かなという危惧を抱きつつ(←人見知り)、自転車だったかスクーターを店の前の歩道にできるだけ邪魔にならないように止めると、そこに小さな立て看板があり、『食事』ということばと店名(B)が書いてあった。

僕はいくぶん古めかしい店の引戸を開けた。

カウンターの中の女性が二人で切り盛りをしているようだった。

お客さんは2、3人。

小さなテーブルが三つある小上がりが、左手にある。

僕は、カウンターの端に座る。

「定食かなにかありますか」と尋ねると、

片方の女性が壁に掛けられた小さなホワイトボードを指しながら、説明をしてくれた。

いくつかの定番の定食の他にも、一品料理を定食にできるとも教えてくれた。

多分その中から無難なもの、トンカツ定食かなにかを、ご飯を大盛りにしてもらって注文したのだと思う。

結果的にはそこから結婚するまでの約2年、平日はほぼ毎日に近く、通うようになった。

食事は手の込んだというのでもなく、雑、というのでもなく、本当に家庭的な内容だった。

ご飯と味噌汁と、メインの料理には、例えば揚げ物なら野菜がしっかり添えられていて、他には小さな奴豆腐と漬け物。

おかずは肉もあり魚もあり、冬には一人用の寄せ鍋もあった。

時々、カウンターに並べられたいくつかの大鉢からひとつをお皿に盛ってもらったり、冬にはおでんで定食にしたり。

ごくたまに、ビールを飲んだり。

このお店で、この地方ではよく食べられる『ゲタ』と呼ばれる舌平目の煮付けの味も覚えたし、ガラエビという小エビを唐揚げにしたものも食べさせてもらった。

僕の名前も覚えてもらった。

少しは世間話もしたりして。

結婚する前のデートでも何度か寄ったことがあるから、僕にとっての倉敷の始まりはこの店だった。

さすがに結婚してからは次第に足が遠退いたけれど、それでもたまに妻と、そして幼い二人の子を連れていくと、

「おお、○○さん」と笑顔で迎えてくれるのが嬉しかった。

もう恐らく15年以上は行っていない。

時折、インターネットで検索するとまだ店はほどほどの人気で、でもどうやら通い始めた当時は30代くらいだった二人の女性はもういないみたいで、店内も少し広くなったようだ。

僕は愛知県の実家に帰ると、味噌カツを食べたいと思う。

それは小さな小さな町なのだけれど、昔から美味しい味噌カツを出してくれるところがあり、その味が僕にとってのデフォルトである。

4年間だけ過ごした枚方なら、最寄りの私鉄の駅前の『王将』。

ずっと倉敷暮らしの妻は、もし遠くへ出て、戻って来た時に食べたいものはなんだろうと考えたら、『F』(倉敷で有名なチェーン店)の『ぶっかけうどん』かな、と言っていた。

なるほど。

僕が今、倉敷を離れることになったとして、懐かしく思い出す味はなんだろうと記憶を巡らせて思い出したのが、この定食屋さんだった。

特別でないから、僕にとっては特別な味。

いつの間にか懐かしい味になっていたのだなあ。

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