見出し画像

夜の蝶になった話

18歳。私は源氏名として働く事になった。キラキラした世界のイメージも強いが私にとっては居場所だった。こんなに寂しくない世界があるんだって感動した。ずっと働いていたいって思った。私のすべてだった。

中2の時から読んでいた小悪魔ageha、好きなモデルはモモエリとりん。大きなオメメ二重幅、クルクルとしたお姫様みたいな髪型、キラキラしたドレス憧れが詰まった雑誌だった。カラコンをつけるキッカケになったのもりんがモデルになってたから。エクステも80g程真似してつけたりもした。当時一重だった私はアイプチじゃ無理がある派手なメイクだらけで絶望しつつも見様見真似でつけまを重ねたりしていた。それがまた楽しかった。

高校卒業して就職も進学もしなかった私は毎日SNSの世界で生きていた。その頃から“さあひ”としての名前は地元では有名だったし駅に居たら必ず知らない子に声をかけられていた。mixi、Twitter、リアルタイム、croozブログ色々してたしいろんな絡みも多かった。今じゃ当時の人達とは全然なんだけどね。

いつも通りmixiを開くとミナミと名乗る女の子からメッセージが届いていた。『一緒に働こうよ』軽い感じだった。見た目は海とか好きそうなパリピギャル。ミナミは元々遠い所に住んでたけど引っ越して私の家の近くに住んでいる事が会話の中で分かった。とりあえずご飯でも行こうかってなってびっくりドンキーでご飯。知り合いが夜の店出すからオープニングスタッフで飲み屋で働こうよ一緒にみたいな話しだった。小悪魔agehaに憧れてた私は2つ返事で了承した。そこは初心者向けな感じのお店で繁華街からも離れていたしスタートとしては悪くないなと思った。時給も当時の秋田価格ではあるが1500円くらい+ドリンクバックで720円の時給でホテルの宴会婚礼スタッフのバイトしてた私には大きな額に感じた。シャネルの化粧品沢山買えるなあと当時の私は胸を踊らせていた。

入店するとお店には18歳のミナミと私、20代半ばの少しふっくらしたお姉さんが居た。リナみたいな顔してるから以下リナさん呼びで。源氏名どうすんの〜みたいな話になった時に案の定私はキラキラネームを選択するのだが覚えづらいのは辞めな〜とリナさんに却下された。小悪魔ageha適当にパラパラして決めるか〜となり『咲梨(えみり)』になった。もちろん愛沢えみりちゃんの名前からとった。結果から言うとこの名前は3ヶ月くらいでつかわなくなる。人生初夜職クビを経験する事になる。この頃の私に人生最初で最後のクビやぞ今の所は!と伝えてあげたい。

クビの理由となったエピソードがある。当時18歳な事もあり店のルールとして『“店では”飲酒をするな』って事だった。逆を言うとアフターでは暗黙の了解って話だった。ある日店の代表がしている昼職の運送会社の従業員を店に連れてくるって話になった。ルール通り店内ではノンアルカクテルをいただいていた。みんなで営業後居酒屋行こうって話になりミナミと私とリナさんそして代表と従業員2人で飲みに行くことに。そこではみんな普通に飲んでた。まあ未成年○酒ってやつ。数時間飲んで解散!となった。すると従業員の1人が私に声をかけてきた『家の近くまで車で送るよ』当時危機感も無かったしさすがに代表の従業員が手出してこないだろと了承。田舎あるあるだと思うのだが近くの距離なら飲○運転を暗黙の了解としてる人がチラホラいる。道は広いし車の通りなんてほとんど無くて誰も基本見てないからスピード違反とか信号無視とかもし放題みたいな田舎。従業員の車に乗ったんだけどそれはまあグワングワンした運転な訳よ。これはアカンやつ〜って思ってたらパトカーに停められ警察署にそのまま連行。未成年○酒と飲酒○転の相乗り的な感じで調書取られた。何を何杯飲んだかとか細かく聞かれる訳よ。レゲエパンチ3杯でしたね。これ東北発祥の言い方なんだけど世間で言うピーチウーロン。まあ私は厳重注意でパトカーで家まで送られて終了。

後日代表から『家の前に居るから出てこい』の連絡。言われるがまま出ると代表とリナさんに話があると囲まれる事に。『何で飲酒○転をとめなかった?』『あいつは運送会社の仕事クビになった』『新店で未成年○酒がバレたら借金が残るから籍を消す』こんな話だった。リナさんが急に口を挟む「えみりの親ってこうやって囲まれてても心配して出てきたりもしないんだね」まあ私の家庭環境からしたらそれが普通だしな〜と思いつつロッカーの鍵を返して私は無職になった。まあ支払いや借金何も無かったし金銭的ダメージは特に無かった。まあここでまた人生は変わっていく。


夜に詳しい友人に『さあひならもっと良い所で働ける着いてきて』そう言われて連れてこられたのは秋田の川反、大町5丁目だった。ちなみに6丁目には有名なソープランドもある秋田で1番大きい繁華街で飲食店やら全部でかなりの数がある。キラキラした大きなビル、ドレスで歩く綺麗な女の子達、案内所のお兄さん、これはもう893では?みたいな人でにぎやかだった。連れてこられたのは繁華街の中でも割と中心地にある大きなビルが3つ並ぶ所だった。『club○○』と書かれたお店にはママと呼ばれる品のある綺麗な人が居た。店内もヨーロッパみたいな絵画と綺麗なソファがあってお金持ちが通いそうな所だった。地元の中では高いって言われるお店だった。ママと呼ばれる人は私を見るなり『可愛い!!!時給はこれくらいで良いかしら?』とドリンクバックやらアフターBARも運営してるからそこに連れてきたらバックが更にどうとか説明を受けた。「そんなに大きな時給良いんですか?もっと少なくても大丈夫です」とか18歳の私は額に驚いて変な返答していた。ママは何でも可愛いって言って笑ってくれてた。ちなみにそこは以前の店とは違い年齢を偽って飲めって方針だった。未成年○酒黙認店だった。源氏名はママが決めてくれて『アスカ』になった。漢字は自分で決めて良いと言う事で明日(未来)に花を咲かせられるような子で居ようって意味から明日花になった。

ママはすごく優しくてでも仕事に対しては厳しい人だった。自分がもらう日給の3倍の額は飲んで働くこと。飲んでナンボの水商売。枕は絶対するな。アフターは必ず毎日誘うこと。言われた通りにした。ママは本当の親よりも私を愛してくれた様に感じたから力になりたかった。それが良い駒だとしても良かった。半分入ったウイスキーのボトル空けてきて欲しいって言われたら笑顔で頷いて苦しくても空けたりしたし急アルなりかけても必死だった。毎日50人におはようって連絡する所から朝は始まって同伴もアフターハシゴも沢山ご飯食べて吐いてってしてた。昼までアフターしたりほとんど寝て無くて、でもそれが孤独な幼少期すごした私には寂しくない時間としてキラキラして楽しかった。お金もすぐ溜まって18歳で1人暮らし出来たのも日々の努力のおかげ。私の為に横領して貢いでくれたお客様も居た。893にも気に入られた。お店の先輩にいじめられたりもした。でもママは愛してくれるし繁華街を歩けば「○○(店名)の明日花ちゃん!おつかれ!」って声かけてくれる周りがあたたかくてしあわせだった。秋田にはホストは無いけどそれっぽいやつがあってそこにも既に通ってた。秋田価格だからすごく安いけどね。この話はまた別の機会で詳しく話そうかなとも思う。

キラキラした毎日に終止符を打たれたのはお店の経営不振からの給料未払い、と言うか1ヶ月遅れるってなった事から支払いが苦しくなった。未成年の私は貯金なんて全然してなくて毎月まとまったお金が入る生活だったから給料さえ入れば家賃が払えるって思ってたの。当時の家賃は6.6万。後はスマホ代とか光熱費もろもろ。親にお金の事頼りたくなかったし6.6万って人に借りる額でも無いと思ってたから支払い間に合わせる為に風俗デビューしたんだよね。盛岡のデリヘルが私のデビュー。それを機にキラキラした夜のお店も辞めちゃった。秋田で1番の高級クラブでも働けたのにもったいなかったかなあ。グランドピアノ置いてあったりビアガーデンがあるようなお店だったなあ。今ではそれも思い出と言う事で私の夜職(飲み屋編)はこんなもんです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?