親を施設に「入れる」という罪悪感の涙の正体 ~明日、親が介護施設に入居します! ④~

罪悪感が・・・募った。うちの親は急に体調を崩したわけじゃなく、ゆっくりと確実に老いていった。

だから、事前に「いつかは施設に行く可能性もある」って予測はしてた。

ケアマネさんや病院等々、介護関係者の方々にも事前に相談したりもしてた。

だから、そこそこの準備ができている状態で施設を探して、見学して、決めた。

頭では理解している。本人も拒絶はない。今生の別れでもない。なのに、予想はしていたが、やっぱりアイツはやってきた。

アイツは「襲ってくる」罪悪感があった。

親を施設に入居してもらうことは罪じゃない。悪いことじゃない。

ずっと言い聞かせてきたし、言われて来た。だから頭ではわかっているが体と心が拒否反応を示した意味がわからなかった。


1 体が示した拒否反応 涙

入居の説明や契約が終わり、一度、自宅に戻ろうとしたが足取りは重かった。なぜだろう、あんなに「親の介護なんてしたくね~」って思ってたのに。

結構前から「入居できる施設ありませんか?」ってケアマネさんにはガンガンに伝えていた。だから、念願叶った、施設入居じゃんって思ってた。

そうだ、朝からロクなものを食べてなかったのを思い出し、腹が減ってるから暗い考えしか思い浮かばないんだと、コンビニで弁当を買って、公園へ行った。

天気がいい日で、近所の親子連れがレジャーシートを引いて弁当を貪っていた。小さな子供たちはキャッキャと騒いでいて、その元気な声がものすっごく心地よかった。

秋葉晴れの心地いい公園の隅の小さなベンチに座り、弁当を貪った。「ああ、良い日だな~」って言えるような状況だった。

涙がツーと滴ってきた。


なんの涙なんだろうか?

施設に入居したからといって今生の別れでもない。

施設も近距離にあり、1時間かからずに通える。入居費用も現時点の計算上はなんとかやっていける金額だった。

一生の契約でもない、いつでも解約できる。

結構な恵まれた好条件で入居が決まったのだ。


悲しみ?苦しみ?


なんで自分が泣いたのか、わからない。


じっくりと一日考えた。「どうして親を施設に入居すると決まると、子供の私は泣いたのか?」

考えて、考えて、考えて・・・私の現時点の一つの結論として

「一歩、確実に親の看取りが近づいていることを実感したから」

となった。


これはあくまで、現時点の拙い経験から出した自分の超絶個人的意見です。


どうか、今日も誰かに笑われていますように。