ノスタルジーに浸る資格はない

小学生の頃、放課後は駄菓子屋で集合だった。
おばあちゃんと、その娘であるおばちゃんがやっている駄菓子屋。

財布には、なけなしの50円。
それでもきな粉棒や棒ゼリーなら5つも買えた。
当たりが出続けて、10円できな粉棒を10本買えたことだってある。
たまに100円持って遊びに行った日には、焼きそばだってジュースだって買えて、大富豪になった気分だった。

お金持ちの友達はおまけシールほしさに看板チョコレートを大人買いしていた。
その子がシールを抜いて残ったチョコたちを恵んでもらっては、無邪気に喜んでいた。
駄菓子屋以外で味わったことのない安いチョコの味も、それはそれで好きだった。

おばちゃんもおばあちゃんも優しくて、店内の椅子で買った駄菓子を食べながら、お喋りするのが好きだった。

おばあちゃんの友達の気の強いババア(書き分ける都合上この言い方に)が遊びに来ると、店内で座っている子どもたちは追い出された。
周辺の公園に散った子どもたちは、偵察部隊からババアが帰った知らせを聞くと、こぞって駄菓子屋に帰還したものだ。

今思い出すと、子どもがたむろして大変だったから、ババアが悪役を演じていたのだろうか。
いや、やっぱりババアが勝手にやっていた気がする。
おばちゃんたちは私たちと喋るのを楽しんでいたと思いたい。という願望込みで。

ふと思い出して、その駄菓子屋を検索してみると、数年前に閉店したらしい。

寂しかった。
10年以上訪れていなかったくせに。
閉店したと知った途端にノスタルジーに浸るなんてズルい。
思い出の店を都合良く消費している気がして、自分でも胸くそ悪い。

コロナのせいで1年半は地元に帰れていないけれど、その前は年に何度も帰っていた。
帰省するときには通らない道だからといって、わざわざ足を運ばなかったのだ。
少なくとも、自分の足でちゃんと訪れて閉店を知りたかった。

おばちゃんは、もうおばあちゃんの年齢か。
きっと元気でいるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?