ジャニー喜多川の犯罪について

@@2023/10/07(土) 題: ジャニー喜多川の犯罪について
■はじめに
 私は「故ジャニー喜多川氏の性加害」について、深い憤りを抱いてきましたが言及をする気持ちにはならなかったのでした。理由の第一は私の感想はありきたりだからであり、第二は、私が誰も言ってないような新規かつ有益かもしれない提案を持ってなかったからです。(以下、ジャニー喜多川氏をJKと記します)
 名前は変わるとのことですかジャニーズという会社はこれまでの経緯で明らかになってるように、真実を明らかにする意志はなく、ましてや和解をなす能力も資格もありません。
 話しの主題からそれますが、言わねばならないと思うことを。それは報道等に診られる「性加害」という用語の不適切性。被害者団体がその言葉を用いてる由縁には深い意味があると思い、そのことについては問題視しません。しかし、報道人等が「性加害」と記すのは曖昧に過ぎると思う。相手が同意してない性行為が犯罪と法律で規定される以前であっても、JKの行為は「加害」という曖昧な表現では全く不当であり、刑事犯罪であります。たとえ、当時の法律では犯罪構成要件を満たしていなかった(強制的に辱められる少年が断固として抵抗してなかったとか)としても、刑事犯罪と表現するしかありません。このように考えますので、「性加害」という用語を用いるのではなく、JKによる犯罪と明確に記すべきではないでしょうか。
 以下が主題。すなわち、何故私が本日、愚説を公開するに至ったのかの経緯・思考過程、そして提案を記します。
 
※ここで、敢えて、この論考にかなり後で記しているパラブラフを引用します。後で同じく記載しますが
// 事実であった物語の引用
■ Pulma Gobodo-Madikizela の『A Human Being Died That Night: Forgiving Apartheid's Chief Killer』より引用 from 『なぜアーレントが重要なのか』のp126-127から抜粋(ただし私の責任で少し修正。許すという不適切な日本語訳を赦すに変更もした)
彼女はその著作において、赦す人はどのようにして赦しが正当なものだったのかを示している。
南アフリカ秘密警察の暗殺隊の元指揮官であるユージーン・デコックが車爆弾で殺害した黒人警官の未亡人たちが、デコックが尋問をうける面会にやってきた。極悪人として知られたデコックは囚人服を着て真実和解委員会の前に姿を現した後、個人的に未亡人達と会って謝罪したいと願い出た。Madikizelaはこう記した。
  二人の女性は、デコックが"心の奥深くで実感したことを彼女達に伝え、
  彼女たちの痛みに向き合っている"ことを感じた。パール・ファク婦人は言った。
  「私は涙を抑えることができませんでした。彼の声は聞こえてきましたが、
  感極まってしまい、はい、あなたを赦しますと言うようにうなずくだけでした。
  私達の涙を目にして、それは夫たちのためだけの涙ではなく、彼(犯罪者)のための
  涙でもあるということを、彼に知ってほしいと願います。・・・
  彼の手を取り、未来はあること、彼はまだ変わることができることを示したいと願います」
  ファク夫人は自発的に彼女の赦しの行為の中に、新しい始まりの願いをこめている。
  もう一つの未来は、赦しという解放の行為が可能にするものであり--改悛がそのための道を
  準備する。彼女が望んだのは、彼の心の変化、彼の改悛が、彼がかつて拒否し離脱した
  人間の仲間に再び入るための始まりになることだった。
//引用終了

■私の思考と感情の第一段階
 私は当初から「被害者への補償」及び「加害者と加担者への懲罰」を適切にする方法に主たる関心を抱いてきました。JKの行為は、自動車事故による加害のような「意図してではない、つまり不注意・過失」によるのではなく、自らの快楽を求めての意図的かつ何100回以上も繰り返されたという最も重大・悪質な犯罪だからです。その犯罪の性質は悪逆非道(殺人という極悪よりマシかもではある?)であり、犯行毎の犯罪「量」は様々だとしても、犯行の回数は何百以上ですから、質×量×回数の総和は、途方もないこととなります。JKの犯罪の総質量は人類の歴史において、希なる規模だと私は思います。(補足: JKはたった一度の出来心で犯行に及んだのではなく、幾度も幾度も繰り返した。自らの行為が犯罪だと認識していた証拠群の一``種類''(範疇)は「犯行後に金員を支払った」こと)
 このように考えるので、裁判によりJKと彼への加担者の責任を追及しなければならないと私は浅はかにも結論してました。

■第二段階の思考
 しかし、法による手続きには実効性があまりないことに気付きました。つまり、通常の犯罪であれば、前者については民事裁判(不法行為法等が根拠)、後者については刑事裁判でしょう。しかし、既に死んでいるJKに刑事罰を与えることは不可能であり、JKの行為に積極的ないし消極的に加担した人々(既に複数人が明らかになってはいる)を民事・刑事裁判にかけることは「共同謀議」の確実な証拠群がない限りは不可能に近いし、加担者の民事・刑事責任を法廷で問うことがナントカできるとしても、加担者に賠償金支払いをさせることも、加担者に刑事罰を下すことも被害者にとって最良ではないことに思い至りました。もちろん、被害者の中には民事・刑事裁判を求める人はおりましょう。訴訟は憲法が国民全員に保障する権利なので訴訟する方々について私は非難する気持ちは全くなく、むしろ心あるいは現実に応援したいです。
 被害者にとって最良ではないと考えたのは、恥ずかしながら、遅まきながら今日です。最良でないどころか、裁判は被害者にとって基本的に悪いとすら思うに至りました。
 というのは、全くの偶然ですが、本日、私は南アフリカ共和国の大統領にネルソン・マンデラが就任して創設した『真実和解委員会』(The Truth and Reconciliation Commissions: TRC)のことを思いだしたのです。E・ヤング=ブルーエルの『なぜアーレントが重要なのか』(Why Arendt Matters 2006)[みすず書房 2008]を2008/11/5に購入し、同年11/21に読了してました。その書物にて TRC に言及されてたこと、その内容を思いだしたのでした。
 JK(ジャニー喜多川)の犯罪被害者に最も望ましいのは、【真実を明らかにして和解するための委員会】の創設、そしてTRC(委員会)による仲介だ!! と、南アフリカ共和国の『真実和解委員会』による偉大な全例なき業績を思いだしてから一時間ほどで、確信するに至りました。
 TRC創設とその仕事は、被害者にとって最良なだけではなく、犯罪加担者(ジャニーズ事務所にて積極的に加担した人も知りながら傍観した人々も含むし、マスコミ等の知りながら行動しなかった人々も)にとっても最良であり、日本国内における今後の性犯罪の質×量が減じる効果も確実だと信じられます。

▽補足
 ハンナ・アーレントはドイツ生まれのユダヤ人政治思想家(おそらく人生の末期までの愛煙家、私もそうなると確信)。19才(42年前)の頃、ユダヤ民族大好きでユダヤ関連の書物を中学生の頃から熱烈に読んでいた私は【全体主義の起源】に遭遇して衝撃を受け、以来アーレントが師匠達の最高者。
 私は彼女の著作(英語と日本語訳)と関連書籍を数十冊読んできました。自分の人生・思考に最も強い影響を与えてきているのが Arendt です。アーレントは偉大な著作『人間の条件』(the Human Condition)において、約束と赦し(forgiveness)という人間の能力を指摘、称賛しました。公的幸福(public happiness)も彼女が極めて重視する感情・実践であります。私的幸福は自己・家族などの私的利益増進の喜びであり、公的幸福とは質が全く異なります。公的幸福とは、単純に言いますと、公的な仕事をすることの喜び。この幸福は小さな共同体[市町村]から国家機構の公務員はもとより、政治家、学者、普通の市民にも享受可能なものです。現在の日本国においても欧米先進国においても、公的幸福を味わっている人数で最多の範疇は学者でも公務員でも政治家でも報道人でもない一部の市民達だと思われます。公務員、政治家、学者、報道人等の公的幸福を私的幸福より優先すべきと期待されている範疇の人々において、1980年頃のレーガン・サッチャー・中曽根らによる「新自由主義革命」後、守銭奴企業(超国家企業がその筆頭)により買収されたり、守銭奴の力の巨大さを恐れたり忖度して、私的幸福第一「今だけ、自分だけ、金だけ」が増加してきてます。
 アーレントは人間の複数性(plurality)を人間の条件の一つと指摘しました。
    Not a man, men inhibit the earth (1人の人間ではなく、人々が地球に住んでいる)
 アーレントは赦しの重大性を著作で言及してましたが、彼女の存命中は赦しによる被害者及び加害者、双方の救済の実例を観察することはなかったと思われます。南アフリカ共和国の大統領、ネルソン・マンデラが創設した『真実和解委員会』(The Truth and Reconciliation Commissions: TRC)こそ、赦しによる被害者と加害者双方に及んだ救い・解放の実例なのです。
 
■南アフリカ共和国の【真実を明らかにして和解するための委員会】(TRC)について
 TRCの構成員において最重要・最大貢献者はツツ大司教です。Desmond Tutu の『No Future Without Forgiveness』(日本語訳書を見付けることできず。私は2013/3/10に購入したものの読んでなかった)。ヤング=ブルーエルの『なぜアーレントが重要なのか』(みすず書房)にて沢山ツツの言葉が引用されてます。この書物を是非とも購入して読むことを推奨します。
 もう一つの重要な著作は、TRCのメンバーの1人であった Pumla Gobodo-Madikizela による『A Human Being Died That Night: Forgiving Apartheid's Chief Killer』です。この書はさきほど AMAZON の Kindle 書籍で購入し読み始めてます。
 私は三冊の書物を購入して熟読することを勧めますが、なかなかそれには時間がかかるし、私はそもそもブルーエルの本しか読んでません、情けないことに。多くの人達はそのようなことが困難なので、私ができる範囲で TRC について記します。
 
▼TRCの仕事について
・南アフリカ共和国の国家機構によるアパルトヘイトという犯罪を扱った
・TRCは処罰を目的にしなかった。その役割は調停のみ
・TRCの第一目的は真実を明らかにすること
・TRCは裁判所ではない。しかし、犯罪者に対して恩赦を与える権能を有した
・犯罪者はTRCに対して恩赦を求めることができ、犯罪者達はそうした
・犯罪者の恩赦請願の条件は、犯罪の事実・真実を自ら公開すること、正直に
・犯罪者は、自分個人の犯罪事実の証拠を自ら提出する義務を課せられた
・裁判であれば、有罪の証拠は犯罪者が提出するのではなく、他者が見付け提出する
・裁判なら、犯罪者が事実の全てを自白にすることで刑罰が重くなりかねないが、TRCは刑罰とは無縁
・TRCにおいて犯罪者と被害者(多くは遺族)がリアルに対面、その順番は以下の通り
  1) 最初に犯罪者が自らの行為と気持ちを語る。赦して下さればと言ったこと多し
  2) 犠牲者ないし親族は自らの物語を語る。彼/彼女らは犯罪者と質疑応答した
・TRCは犠牲者ないし遺族に対して赦しを求める権能がなかった
・犠牲者ないし遺族は完全な自由意志で赦すか否かを決定した。
・現実に赦しが犯罪者に与えられた事例は沢山あった

▼TRCによる仲裁にて、被害者が犯罪者を赦した後の現実的な効果
・被害者が赦した後、被害者自身が被害気分と報復の気持ちから解放された(多かれ少なかれ)
 赦したのは、加害者が本当に事実と真実を語り、真摯に改悟してると確信したから
 もしも TRC がなかっら、被害者・遺族は生涯にわたり、不当な仕打ちを恨み、
 報復したのにできないことに憤慨し続けていたであろう。つまり犯罪という
 事実に拘束され続けていたであろう。
・被害者は犯罪者が本当のことを言い、真摯に改悟していると知り、犯罪者が人間として
 良くなる可能性を認め、それどころか善良になることを願ったことも多かった
・加害者が被害者から赦された場合、その人は多かれ少なかれ罪から解放された
 だからと言って、犯罪者はこれで罪が消えてOKと感じることはなく、一生涯犯罪を
 なしたことを改悟するであろうが、確実に魂が感じる重荷は軽減したのであろう
 被害者による赦しを生涯にわたり感謝しつづけたであろうし、良い人間になろうと
 ずっと努力し、現実に素晴らしき人に再生した事実も少なくないかもしれない。

■ Pulma Gobodo-Madikizela の『A Human Being Died That Night: Forgiving Apartheid's Chief Killer』より引用 from 『なぜアーレントが重要なのか』のp126-127から抜粋(ただし私の責任で少し修正。許すという不適切な日本語訳を赦すに変更もした)
//抜粋開始
彼女はその著作において、赦す人はどのようにして赦しが正当なものだったのかを示している。
南アフリカ秘密警察の暗殺隊の元指揮官であるユージーン・デコックが車爆弾で殺害した黒人警官の未亡人たちが、デコックが尋問をうける面会にやってきた。極悪人として知られたデコックは囚人服を着て真実和解委員会の前に姿を現した後、個人的に未亡人達と会って謝罪したいと願い出た。Madikizelaはこう記した。
  二人の女性は、デコックが"心の奥深くで実感したことを彼女達に伝え、
  彼女たちの痛みに向き合っている"ことを感じた。パール・ファク婦人は言った。
  「私は涙を抑えることができませんでした。彼の声は聞こえてきましたが、
  感極まってしまい、はい、あなたを赦しますと言うようにうなずくだけでした。
  私達の涙を目にして、それは夫たちのためだけの涙ではなく、彼(犯罪者)のための
  涙でもあるということを、彼に知ってほしいと願います。・・・
  彼の手を取り、未来はあること、彼はまだ変わることができることを示したいと願います」
  ファク夫人は自発的に彼女の赦しの行為の中に、新しい始まりの願いをこめている。
  もう一つの未来は、赦しという解放の行為が可能にするものであり--改悛がそのための道を
  準備する。彼女が望んだのは、彼の心の変化、彼の改悛が、彼がかつて拒否し離脱した
  人間の仲間に再び入るための始まりになることだった。
//抜粋終了

■JK(ジャニー喜多川)による犯罪の被害者と犯罪加担者の双方を救う具体的方法
 ツツ大司教のような公的幸福を体現する人物により構成される真実和解委員会(TRC)の創設が最優先目標となります。そのためにはどうしたらいいのか?

  1. 日本版TRCの法的地位
     南アフリカ共和国の真実和解委員会に恩赦の権限が与えられたということは、同国の国家が法律で規定したことを意味します。法律により規定された委員会でなければなりません。例えば、公正取引委員会のような

  2. TRCの構成メンバー
     倫理・道徳に優れた人のみであるべきでしょう。弁護士とか元裁判官とか元検察のごとき法律家は厳密な証拠主義と法律の文言重視主義の遂行には優れてますが、「庶民的な道徳倫理が法律よりも大切」だとは理屈でわからない人が多いし、感情的にもそう思ってないことが少なくないと推察されるので、排除することを提唱はしませんが、ごく小さな割合であるべきと考えます。

  3. TRCメンバーの選出方法 A案
     法務大臣が東京の市町村・区の名称を記した紙を無作為で抽出する
     そして、当選した自治体が住民から無作為で21人抽出する。辞退はみとめる
     結果として7人以上なら成立。

  4. TRCメンバーの選出方法 B案
     内閣総理大臣直属の TRC 選出諮問委員会が任意に7人選出・指名する
     この場合、社会学者、哲学者、教育学者、歴史学者、看護師、介護福祉士、法律家を
     それぞれ1人。

  5. そのために、日本版TRCの創設に賛同する個人・団体は協業して内閣(総理大臣を主たるターゲット)、諸政党、学者、官僚、ジャーナリスト、報道にかかわる企業(NHK含む)、経団連・日経連などの企業団体、市民達に訴える

■おわりに
 ジャニー喜多川(JK)による犯罪の被害者と犯罪加担者の双方が救われることを願います。救われるという言葉の意味は被害者/犯罪加担者の双方がJKによる犯罪による束縛からから解放されることです。
 解放とは被害者にとっては、JKの犯罪に加担した人々が真に改悛したと本当に感じられて、赦す気持ちとなり、現実に赦し、罪は償われたと感じることです。被害者が犯罪加担者の人間としての成長を願い、そうなることを信じるならばほぼ完全に解放されたと言えましょう。もちろん、被害者が犯罪の事実を忘れることはあり得ません。
 犯罪加担者にとっては、赦されたことそのものは罪からの解放の端緒にすぎなく、本人が罪を忘れることは不可能であり、もっと良き人間になる方向で努力する年月が経過するに従い、罪の意識は少しずつ減じることでしょう。その過程で赦されたことにずっと感謝することでしょう、なぜならば赦した人達の愛を感じ続けてているからです。(もちろん、赦された直後はまともな心になったのに、罪深くなる人も少なくないでしょうが)
 JKによる犯罪への対応は日本国民にとっての試金石だと思います。この問題は南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ政権が創設したとツツ大司教達による真実和解委員会のような公的組織なくしては解決できないと思う次第です。皆様、実現しようではありませんか。

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