■敗戦記念日を振り返る - 小野寺信(まこと)の報告が内閣に伝わったら沖縄/広島/長崎の悲劇はなかった!?

■敗戦記念日を振り返る - 小野寺信(まこと)の報告が内閣に伝わったら沖縄/広島/長崎の悲劇はなかった!?
                  文責: 澤田石 順 jsawa@nifty.com 2021/8/19
 多くの方には周知のことでしょうけども、再確認の意味でいくつか記します。
 【1】から【4】のうち、最初の三つは前置きで、【4】こそが知らない方々に知ってほしいことであります。
 できまずば、私の駄文を読む前に、45分の動画を視聴することを勧めます。
- 1985年のNHKドキュメント 「日米開戦不可ナリ」|ストックホルム 小野寺大佐発至急電 https://www.youtube.com/watch?v=_PW9-hfEqv8

【1】当時の政府がポツダム宣言を受諾した理由
広島に続いて長崎にも原爆が投下されたからで全く全然ありません。当時の政府・軍は兵隊の命も非戦闘員の命もなんとも思ってませんでした。その根拠は莫大ですが以下に少しだけ
・東京等が大空襲を受けて莫大な民間人が死んでも降伏しようとしなかった
・バシー海峡を通っての民間船舶/軍艦による南方への補給で、潜水艦により莫大な犠牲が出でも降伏しようとしなかった
・莫大な沖縄県民の犠牲(軍人もですが)は、本土決戦の準備のための時間稼ぎとして正当化された
・本土決戦では民間人が竹槍で重武装の米軍と闘わせられることになっていた

 そもそも、マリアナ諸島が占領されたら、日本は100%敗北と軍も政府も理屈ではわかっていながら、戦争終結の努力を直ちに始めなかったことが論外。
 以上のことはさておき。数多の証拠が示すのは、日ソ中立条約が存在することを根拠として、ソ連を頼みの綱として、英米等との仲介を頼んでいたこと。愚かというほかありません。ただ一つの希望であったソ連の仲介が、ソ連による宣戦布告・侵攻によりあり得ないどころではなくなったので、仕方なくポツダム宣言を受諾したというのが単純明快な事実なのでした。
 
【2】ソ連が中立条約を破棄して対日戦争を開始しなかったら?
 米軍の本土侵攻が現実となり、途方もない事態になったことは明らかでしょう。考えるだに怖ろしいです。犠牲者の数か200万人増加するようなことだけでも心が震えますが、戦後日本の有様は今よりも酷い属国状態が続いていたと思われます。天皇の制度は廃止されたでしょう(私は天皇制は日本にとって、基本的に不要で有害だと思いますが、平成天皇と令和天皇のあり方ゆえに天皇の存在を今は肯定してます。昭和天皇については沖縄を米国に売ったという一点だけでも論外で、徹底的に軽蔑してます)
 ソビエト・ロシアが中立条約を破棄して侵攻したことについて、私も多くの人も非難する気持ちを有しているでしょうけども、冷徹な思考では「不幸中の幸い」だと言えます。私の祖母が存命中、露助(ロスケ)が約束を破って攻めてたことは許せないと話してました。祖母からすると連の行為は「裏切り」であり、その気持ちは子供心に同感でした。で、祖母はおそらくソ連の侵攻がなかったら、日本は本土決戦で勝利していた、あるいはもっとよい条件で戦争が終わっていたと確信していたのだと思います。
 私の祖母のようにソ連の行為を「裏切り」と感じた日本国民は同時は過半数どころか圧倒的だったでしょうし、今でも安倍晋三氏などの米国屈従主義の政治家や民間人はそう思っていることでしょう。国家と国家は人と人との関係とは異なり、単純明快な利害で方針が決まるわけで、ソ連の行為を裏切りと罵るのは子供のような感情論に過ぎません。
 ソ連の対日戦争が、結果として``速やかな降伏実現→本土決戦がなくなり日本国民の人命をおそらく百万人以上救った。米国の占領体制が穏健になった→インフラの徹底的破壊がなかったので戦後日本の復興は順調に、そしてまた今日まで継続している米国による属国化の程度が弱まった''と私は固く硬く結論してます。いかがでしよう?
 なお、次の項ではソ連の対日戦争による日本人犠牲者のことに触れてますが、そのことを加味してもなお、ソ連の侵攻は結果として日本国民の犠牲を減らしたとの私の見解は変わりません。


【3】今でも日本国民の中にはロシア人をロスケと蔑視している人がいること
   今でも韓国・挑戦国民を蔑視している日本人がいること。この意味について

 前段では、ソ連の対日戦争は結果として日本国民にとってメリットがあったという主張でした。
 言うまでもなく、ソ連侵攻による悲惨な事実はあります。満州の関東軍のお偉方は民間人を置き去りにしてさっさと逃げた(←は日本の軍と政府の野蛮さを再確認させた出来事)し、残った民間人の艱難辛苦は筆舌に尽くしがたいものでした。軍人のすべてが逃げることはできなく、満州等に残された軍人の多くは日本政府がスターリンに「売り渡し」た(←これもまた日本政府と軍の野蛮さの再確認)ため、シベリア抑留という悲劇を生み出しました。シベリア抑留のごときは、戦争犯罪とは次元が異なる野蛮な行為であり、近代の普通の国家はしないことでした。古代の中東とかヨーロッパでは戦勝国が敗戦国の人民を奴隷にすることが普通でしたが、まさか20世紀の国家が敗戦国の軍人をして奴隷労働に従事させるとは!
  ※ただし、日本による朝鮮支配は間違いなく奴隷労働の強制であります!!
   朝鮮を植民地化したことは、ソビエト・ロシアによる強制労働よりも100倍悪い!!
 この点でソビエト・ロシアは大いに非難されてしかるべきであります。今現在でも、シベリア抑留という蛮行の犠牲者のご遺族はもとより、その野蛮行為に憤慨する人々は、ロシア人をロスケと呼称して蔑視してます。ロスケという言葉は加害者への恨みから来るのであり、仕方ないことです。被害者が何十年経過しても恨むのは当たり前のことなので、私はロスケと呼称してロシア人をののしることを公然と批判することは絶対にしません。
 ※参考文献を示します
 「ソ連指導部による日本軍将兵抑留決定の動機」
 http://repository.seikei.ac.jp/dspace/bitstream/10928/488/1/asia-2014t_41-47.pdf
  Review of Asian and Pacific Studies 特別号
  by Elena Katasonova (ロシア科学アカデミー東洋学研究所上級研究員)
 以下に、上記文書からの引用: 日本の国家が関東軍将兵をソ連に売ったことの証拠
 "1945年8月21日付の関東軍総司令部の極東ソ連軍総司令官A. M. ワシレフスキー元帥
 宛書簡である。書簡に記された日本側申し出の中に、「日本人将兵を極力貴軍の経営の
 ため帰国までの間お使い下さい。・・・国籍を失うも可なり」とあった
 この考えは、書簡よりかなり以前に生れたことが注目される。1945年夏に近衛文麿は
 モスクワに交渉に向かうつもりで、腹心の酒井鎬次中将とともに「和平交渉の要綱」を
 作成したが、そこには対米英戦争の和平を仲介してもらうための対ソ譲歩案が
 示されている。「海外にある軍隊は現地において復員し、内地に帰還せしむること
 に努むるも、止むを得ざれば、当分その若干を現地に残留せしむることに同意す」
 「賠償として、一部の労力を提供することは同意す」と
 アメリカの研究者H. ビックスは、自著『裕仁と現代日本の形成』に同案を紹介して、
 直裁にこう記した。「ソ連経済のための強制労働に服させるために日本人捕虜を
 抑留する考え(後にシベリアの労働収容所により実行されることになる)は、
 ソ連だけのものではなく、実際に天皇の側近の人物にその起源があったのである」"
 
 話を転じます。日本人が加害した朝鮮人民をいまだに蔑視している日本人が少なくありません。植民地支配そのものが野蛮な悪行であるのに、もしかしたら過半数の日本国民には罪の意識がありません。これは深刻な問題です。少なからずの日本国民(明白な加害者)が被害者をいまだに蔑視している!! その感情の由縁は、
 a) 戦後生まれの日本人
  単純に加害の事実を教育されてないからでしょうし、勉強しなかったからでしょう。
  勉強して野蛮行為だと理解したけども、否定したい気持ちが勝り、蔑視することで
  気持ちを落ち着けようとしている人もあるでしょう。
 b) 植民地支配時代に生きていた高齢者
  朝鮮での野蛮支配を実際に見てないので加害の事実を知らないのか、
  あるいは朝鮮に住んでいて朝鮮人を迫害している事実を知っていたのに
  否定したくて、同様に蔑視しているのでしょう。
 
 おそらく、日本による朝鮮支配が野蛮だったと本当に知らない人の中で、朝鮮人を今でも蔑視する人たちは、朝鮮人が日本の植民地支配とか従軍慰安婦のことを非難するので、気持ちがいたたまれなくなり、心理的代償的として朝鮮人蔑視に傾いているのだと思います。
 日本による朝鮮支配が野蛮だった事実を認識している人の中でも、朝鮮人蔑視をする人たちは、後ろめたい過去は見たくないので、心理的代償として朝鮮人蔑視に逃げているのでしょう。
 過去に盲目な人の大多数は現在の現実にも盲目だと思います。未来をよくするためには、過去の失敗や蛮行を直視する必要がありますね。
 この項での最後に: 中国人に対しての蔑視感情は対コリアンよりははるかに少ないですね。その理由は中国が強大な政治・経済力・軍事力を有しているからだと考えられます。朝鮮人蔑視をする人々の大多数は米国という超大国に恐れ付している弱虫です。米国と中国は軍事力も政治力も経済力も日本よりはるかに勝るので、両国にはひれ伏すが、韓国と北朝鮮は過去にはもちろん今の時点でも、日本より「弱い」ように見えるので過去の犯罪に頬かむりして蔑視するという弱虫、事大主義(強いモノにはひれ伏す)。

 ここからが本題です。知らない方が一人以上いると思います。

【4】小野寺 信(まこと) ストックホルム駐在陸軍武官の1945年2月の報告が活用されていたら・・
 小野寺についての書物は沢山あり、ネットでも莫大な情報があります。↓↓を読んでください。
- 連合軍を震撼させた「諜報の神様」小野寺信(1):誠実な人柄で情(なさけ)のつながり https://www.nippon.com/ja/japan-topics/c07301/
↓↓に一部引用します

"中立条約を結んでいたソ連が対日参戦を決めたヤルタ密約情報も、45年2月、
このルートで提供された。小野寺の『回想録』によると、会談直後の2月半ば、
午後8時から始まる夕食前だった。ブルジェスクウィンスキーの長男の少年が、
らせん階段を最上階5階まで駆け上がり、小野寺の自宅郵便受けに手紙を落とした。
差出人はブルジェスクウィンスキーだった。
「ソ連はドイツ降伏より、3カ月を準備期間として、対日参戦する」と書かれ、
小野寺は直ちに中央(参謀本部次長あて)に打電した。
ヤルタ密約について、小野寺は旧陸軍将校の親睦組織の機関誌「偕行」
(1986年4月号「将軍は語る」)で、「ポーランド亡命政府の公式情報だった」
と証言している。日本にとって敗戦を決定付ける近代史上最大級の情報は、
ポーランドからすれば、長年の日本の厚意への「返礼」で、
「今度は我々が日本を救う」との思いの表れだった。小野寺の誠実な人柄を信用
して、密約という「至宝」を惜しげもなく提供したのだった。"

"不幸にもヤルタ密約の情報は、ソ連に傾斜する参謀本部の中枢で握りつぶされ、
日本の政策を変えるに至らなかった。"

 陸軍参謀本部において、小野寺の報告について誰たちがどんな議論をしたのかの記録はありません。そもそも議事録は記されてなかったでしょうし、記されていたとしても8/15前後に燃やされたのでしょう。半藤和利さんらが戦後にそのことについて旧軍人等にインタビューしてますが、どのような経緯で握りつぶされたのか不明。おそらく、永久に明らかにならないのでしょう。
 そのことはともかく、__もしも__内閣に小野寺の報告が提出されたらのことを考える意味は大いにあります。

1) 当時、内閣・軍は敗戦必至との認識は有しており、有利な条件での講和を求めて、中立条約締結のソ連(法的には戦争状態にない)に有利な条件での戦争終結の仲介を求めていた。小野寺の報告が内閣に提出されていたら、情報源が法的に敵国であるポーランド亡命政府からだからこそ信頼できると判定していたであろう。ロンドンのポーランド亡命政府が重大な情報・ヤルタ密約を小野寺に教えた動機は、シベリア出兵においてポーランドの孤児数百人を救ったことへの感謝からだと、動機については疑いなくわかったであろう。
 ※何故、参謀本部は内閣に提出しなかったのか? これについて考える意義は
 たいして有りませんが、私はこう思います。政府・軍はソ連を「信頼」?して、
 ソ連の仲介で有利な条件での敗戦(休戦協定、それから平和条約)を迎えるのが
 「国策」となっていたので、想定外のこと(ソ連がドイツ降伏の三ヶ月後に対日
 戦争開始とヤルタで約束)していた事実は感情にそぐわないので、無視したいと
 思った。それだけのことだと思います。子供のような気持ちで、否定したい
 事実は無視すると。普通の軍であれば、小野寺の報告を内閣に伝達することは
 法的な義務であり、そもそも法律はどうであれ、重大な内容なので軍人としての
 倫理からして伝達せねばならなかったのに、悪い情報は見たくない、信じたくない
 ので知らせなかった。幼稚で弱虫で臆病です。

2) 小野寺の報告が内閣に提出されていたら、ポーランド亡命政府が連合国を
 「裏切って」重大な情報を日本国民のために伝えたことの動機がわかり、
 速やかにソ連に仲介を頼むことはやめて、連合国最高司令部とか米国政府に
 休戦協定の交渉開始を提案していた公算が高い
・二月の時点で、そのような打診を日本政府がしていたら、3.10の東京大空襲はなかったかもしれない
・情報の信頼性確認とかで遅れて、三月に休戦条件の打診(事実上の降伏)をしていたら、沖縄戦はなかった
・もっと遅れていたとしても、広島・長崎への原爆投下は無かった

ポーランド亡命政府が小野寺に決定的な情報を教えた唯一の理由は、ポーランドの孤児数百人を日本国が救ったからでしょう。それ意外の動機は考えつきません。いわゆる親日の国民はこの地球でとてもとても少ないです。実質的にはポーランド国民とトルコ国民のみだと思います。もしかしたら中村哲さんの偉大な仕事を知るアフガニスタン国民もそうかも知れませんね。

※参考1
「100年前のシベリアからの救出劇! 765人のポーランド孤児と日本人の奇跡の物語」
https://intojapanwaraku.com/culture/98111/
 この物語については amazon で検索するといくつかの本が見つかります。
 "ポーランド孤児"とのkeywordで。

 第二次大戦中の在欧州の軍人の中で小野寺は突出してます。そのことはあまり知られてないように思います。日本国は昔からインテリジェンス(情報・諜報)の価値を軽んじてます。
 
 リトアニア領事代理の杉原千畝がユダヤ人に大量の通貨ビザを発行したことは皆様ご存知の通りです。

※参考2: ↓↓は必見です(再掲)
- 1985年のNHKドキュメント 「日米開戦不可ナリ」|ストックホルム 小野寺大佐発至急電 https://www.youtube.com/watch?v=_PW9-hfEqv8

#the end of this message

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