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男は女よりも多くの点で生きやすい。少なくとも今までは。という話。

私は小さいころ、「男って生きるのがラクでいいよね」という話を聞いた。

いやいや、男だってそれなりにいろいろあって、生きるのは大変だろう…と思い、「男ならでは」の日常の生きづらさを、子供なりに考えてみた。

さて、何があるだろう。

……。

ない。

いや、個別具体的な事例に当たれば様々に出てくるのだろうけど、男子ならではの「生きづらさ」が全体的に呈されている事例というのが、この時思い浮かばなかったのだ。

男らしくあれというプレッシャー」とか「なんだかんだで家系の後継ぎとなる責任感」とかは、強いて言えば挙げられる。しかしこれらも、日常的な生活の中で頻繁にかかわってくるかといえば、そうでもない。

むしろ人生のある時期(成人前後とか)までは、ほとんど意識しない人も多いのではなかろうか。

これに対し、女子ならではの具体的な「生きるのもラクじゃねえな要素」は何かあるだろうか。

これはたくさんあった。ボロボロ出てきた。

まず、月経や出産に関するものは、これだけで紙面を埋め尽くしてしまうので、ひとまず別枠に譲ろう。当時思いついたものだけでも、これだけある。

・女子は清潔でなくてはならない

・女子は整頓が得意である

・女子らしさとは、おとなしさとかしおらしさである

・女子は特に練習していなくても男子より字がうまい

・女子は特に習わなくても女子というだけで料理ができる

・女子は勤勉である。ノートとかもきちんととる

・女子は言葉遣いがきれいである

・女子は食事のマナーを守って食べる

・女子は責任感がある

・女子はある程度以上におしゃれである

…きりがないのでこの辺にするけれど、なぜか当時の女子というのは、これらの無言の要請を、女子であるというだけで社会から受けていた。

「そんなことはない」という意見が当然あるだろうから、本記事の例はあくまで「私の周りでは」とお断りしておこう。そうでなかった諸兄は、よき学校に通われ、よき周囲に恵まれたと思っていただきたい。それは当然に降ってわいたものではない。

なお、少し穿つと、上記の例はどれも、「女子」というより「人間的に」評価される要素であろう。どれもこれも、「女子」を「人間」に置き換えると、字がうまいとか清潔だとか、「立派な人間」の要素になる。

しかしなぜか、男子は男子というだけで、これらの要請からことごとく逃れていた。

多少不潔だったり散らかしていても「男の子だから」と許されるし、おとなしいどころか多少の乱暴者でも「男らしい」などと逆に褒められたりする。

汚らしくて人を傷つける男らしさってなんだ。

しかも時には、男子本人がついうっかり不潔な状態になり、それを反省していたとしても、「男の子だからね」と逆に残酷な許され方をしてしまうこともある。これはこれで本人はつらいだろう。「汚らしいのがお前らしさだ」と言われているのと同じだからだ。

なお、なぜか本邦の一定の世代などでは謎の「ヤンキー信仰」があり、ヤンキー的な一方的決断力や行動力、攻撃的な発想などが神聖視されることがよくある。それを支える非ヤンキーへのダメージは景気よく無視され、なぜかその評価者自身も「俺も昔はちょっとヤンチャだったからさあ」などとヤンキー神に半歩踏み入ろうとする。まさに信仰。どこから来たんだ、これ。

これはぜひ識者の研究を待ちたいテーマなので、ここではこれ以上触れないが。

話を戻すが、男子は、字が汚かろうが、料理ができなかろうが、ノートをろくに取らずに試験前におとなしそうな女子に無理やり見せてもらおうが、言葉遣いや食事のマナーが崩壊していようが、役目を放りだして遊びに行こうが、成人しても中学の時の同じTシャツを着ていようが、「男だから仕方ない」と容赦されこそすれ、人間的評価はあまり下がらない。

これを優遇と言わずしてなんと言うのか。

筆者は決して、

「だから男はダメだ!」

「日本の男は甘やかされていて、それに対して外国人最高!(※)」

とか言いたいわけではない。(※)この場合の外国人とは、主にヨーロッパ先進国の富裕層を限定して指す

ただ、現状として男性は女性よりも幼少期からして生きやすいものであり、健康体であればおおむね肉体的に女性よりも頑健であるし(これは個人差が大きいけれど)、加えて月経や出産を自身で体験することもないという、社会生活を送るうえで大きなアドバンテージを得ていることを自覚すべきだ…というのが本論なのである(その割にはここまで長かった)。

夜道の一人歩きが平気な方とそうでない方、という差だけでも強いて自覚すべきであろう。

そこから、どんな情報を得て、どのように考え、どのように社会生活を送るべきかは、個人個人の問題である。

ただ、小学生の時にこのアドバンテージの差に気づいて愕然とした体験だけは、願わくば共有されたらうれしいとは思い、本文を書いた。

筆者は男性である。

社会の一員として、男女を含んだ各種性別が現存する世界において、「権利において平等であり、性差は個別に尊重される」社会を願っている。

…。

…堅苦しくなったので、なにか気の抜けるようなオチを用意したかったのですが、何も思いつきません。

とりあえず手近にあった、おじさんの絵でも意味なく置いておこうと思います。

おじさん2

ここまで読んでくださりありがとうございました。

何事にも通念と例外があることを重々承知しつつ、ひとまずは、他者に対して、街中でドアを開けてあげたり、どんなに疲れていても席を譲ったりすることから始めては如何…と、自戒にて。


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