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ルネの首#25 ネズミ実験所の子供

 上層にある研究所は七つ。アラク――ナオが鉄グモと呼んでいる例の生物の研究だけではなく、駆除対策、エネルギー転換、外殻の活用など、様々な研究を行っている。食料の生産や医療研究なども研究所が行う。
 その中でも、セツェンやサリトのいた第六研究所は、上層の『宗教色』が特段に強い場所だった。つまり、人間至上主義者のための研究所である。
 人間の手で全てを成す、という目標の元、アラクの掃討も人間が行うべきと主張する一派が作った場所だ。
 もちろん、それだけが理由ではない。上層から遠隔で攻撃する方法では、被害が甚大になりすぎる。最終的には、下層の安全を取り戻さなければ、上層は人口調整を余儀なくされる。エネルギー資源としても、アラクは有用だ。
 下層を全壊させては不都合だった。下層の人間も労働者として搾取する前提で、一定量は残って欲しい。
 アラクを掃討できる能力を持った、下層警備が可能な機械兵器を生産するのは、あまりにコストがかかる。製造ラインを上層では確保できない。下層に置くこともできない。
 そもそも「人間至上主義」が中心となって組織されているので、機械兵器の生産には否定的な人間が多かった。
 ということで、どこかねじまがった理論で誕生したのが第六研究所、通称『ネズミ実験所』である。
 人間の手でアラクを掃討する。が、上層民から被験者を出すわけにもいかない。ので、下層から被験者を購入した。
 つまり「アラクを掃討できる人間を作る」と「下層民には市民権がないので、上層では人権がない」を両立させる妄執的なダブルスタンダードで、人体実験を正当化した。
「最悪すぎて笑い話だろ」
「いやいや、笑えないんだけど、ぼくの兄貴も売られた先ですけど?」
 サリトはけらけら笑っていたが、ナオは全く笑えなかった。兄の顔は覚えていないけど。名前も最近知ったけど。
「まぁ、聞け。セツにも関わることだしな。セツがあんな細いのに馬鹿力なのは、もちろん理由があるわけよ」
 確かに、ナオもうっすらとセツェンの身体能力が、研究所の産物であろうことには気づいていた。ルネが散々思わせぶりなことを言っていたこともあるし、救済機関に所属してふんわりと内情もわかってきたからだ。
「ジンタイジッケンってやつだっけ」
「それな。で、その実験ってのが、買ってきた下層のネズミちゃんたちを、病気にさせるってヤツでな?」
「病気? なんで? 鉄グモに勝てるヤツにするのに?」
 病気になってしまったら本末転倒な気がする。サリトは苦笑いになった。
「要するに『人間離れした身体能力を獲得してしまう病気』だな。セツ見ればわかるだろ」
「え、あー……そういう」
 言われてみれば、明らかに人間離れした力を持っている時点で、セツェンの身体は『異常』なのだ。それを『病気』と定義するなら、納得できる。
「ナノマシン……ってもわからないか。とにかく、目に見えないくらい小さい機械で、人間の肉体を変異させる『病気の元』を作る。それを買ってきた子供の体内にたくさんつっこんで『感染』させる。遺伝子的変異……あー、アレだ、特殊体質にするわけだな。セツみたいな」
「めちゃくちゃ怪力になる病気にする?」
「厳密にいうと違う。普通の人間なら、スライサーみたいなクソ重いもの持ったら、腕がいかれる。人間の肉体っていうのは、そんなに強くねえの」
 なんだかよくわからない話になってきた。恐らく、サリトもだいぶ噛み砕いて話してくれているのだが、ここにきてルネ先生の解説がいかに簡単でわかりやすかったかを実感する。
「セツが見た目普通の人間なのに、あんなクソ重いのをぶん回しているのは、重いものを持っても関節やらなんやらが負荷に耐えられるように、自分の意思で肉体強度を変えられるからなわけだ」
「えーと、筋肉ムキムキじゃなくても、時と場合によってすごく強くなったりする……ってこと?」
「おう、大体そんな感じだ。で、この『病気の元』が、『アップヒーバルウィルス』ってんだけど、わからんよな」
「うん、全然わからない」
「ま、それでいい。知ってお得なもんでもねえし。問題はこのウィルス、適合者、つまり体質に合うやつが極端に少ないってことなんだわ」
 これは、ナオでも意味がわかった。要するに、体質に合う極端に少ない事例がセツェンであり、他にいないということは、つまり「そういうこと」であるからだ。
「八割は三日以内に死亡、一割が生存しても使い物にならなくなって、残った一割が俺みたいに適合しないこともないけど、すごく使えるってわけでもない微妙な成功例。だけど、セツはこのウィルスに何故かめちゃくちゃ適合しちまったんだな」
 ナオの理解は正しかったらしい。セツェンしか完全な成功例が出ていない。ということが、どれだけまずいことなのかは、身を持ってしっているからだ。
「最近は下層民にも人権があるとかいう層と揉めに揉めていて、被検体の調達も大変らしい。ということで、今後も適合者が出る可能性は低い。俺としては、そろそろ諦めて普通にアラク用の兵器を開発してほしいとこなんだが、ほら、そこは例の宗教様がだな」
 また宗教。人間の手で成し遂げるべきらしい、ウンタラカンタラがどれほど大切なのか。ナオたち下層の人間にとっては、迷惑でしかない。
「そんなに渋い顔してやんなよ。セツがある程度下層で自由にさせてもらってるのは、そういう下層の奴らにも人権が云々って大騒ぎしたヤツらの功績なんだぜ」
「そうかもしれないけどさぁ」
 そもそも、上層の宗教がなければ、セツェンもナオの兄も――サリトも、研究所に売られることはなかった。研究所がなかったとしても、下層の治安がよくなるわけではないけれど、自分の意思とは関係なしに勝手に身体をいじられるのはごめんだ。
 ナオのドン引きの顔をみたからなのか、サリトも少しばかり思うところがある様子で、天井に視線を泳がせた。
「自由っつっても、交換条件として、当時十歳かそこらのセツにアラクの始末係押し付けたのは、本当に上の連中クズだな。俺ですらそう思う」
 十歳にもなっていない頃のセツェン。想像してみて、そういえば初めて会った六年前のことを思い出した。今、セツェンは十五歳。六年前は――つまり。
「……もしかしてセツ兄、ぼくを拾った頃には、もうこんな仕事やってたの?」
 ナオが拾われた当時、彼は九歳だったはずだ。そしてその頃、一緒に生活していた中に年上が何人かいた。その一人がアズだった。
「そもそも、この仕事をするために下に戻されたんだよ」
「サリトさん、ぼくがサツ兄に拾われた頃、こっちにいた?」
「いや? 俺が来たのはその一年後くらいか。さすがにガキ一人に無茶させて、セツが何度か大けがして上に運ばれて、その時にまだ使えそうなヤツってことで俺も放逐された。リタはその後に知り合った」
 いくらセツェンが強かったとしても、まともに鉄グモを倒せるようになるまでには、それなりに時間がかかったのだろう。初めの頃、グループに出入りしていたのは、きっとサリトのように上からやってきた「研究所あがり」だったのだ。
 サリトは最初からメンバーにいたわけではなかった。
 つまり、サリト以外の「辛うじて成功と言える被検体」は誰一人生き残らなかったということだ。
「情が移るといざって時に見捨てづらくなるからなー。そういうところが割り切れずに死んだヤツも多い。だから、俺はセツの子分どもには基本関わらないし、下層の奴らとも最低限しか付き合わない。セツはそういうところコミで、俺に色々思うところがあるだろうけど、まぁ、これは俺が自分のためにしている割り切りなんでね」
「ソーデスカ」
「ソーデスヨ」
 情が移ると見捨てられないから、自分はなるべく関わらない。だけど、ナオのことを家族みたいに思っていたがために、見捨てられなかったセツェンのことは否定しない。
 それは、そういう割り切りができない子供に、そういう選択をさせた上層が悪い。サリトの話はそういうことだ。
「サリトお兄さんの昔話はこれで終わりだ。次回に期待しな」
「次回、あるの?」
「さあな。セツが復活したら聞いてみな。多分、嫌がるだろうけどな」
 ちょうどサリトの話が終わるのと入れ違いになるように、ドタバタと足音が響いてきた。
「セッちゃんは?」
 アズとリタが、部屋に飛び込んでくる。
「生きてはいるぜ」
 サリトがヘラっと笑って、指でカーテンの奥を指した。
「いや、アイツすごいわ。あの状況で、内臓と動脈はギリギリ避けてんのな。マジ恐れ入るわ。まー、その後大暴れして大出血してんだから、あんま意味ねえけど」
「動脈破れていたら、暴れる前に倒れてんじゃないの?」
 リタが冷めた反応でそう言うと、サリトはやれやれとでも言いたげに肩をすくめた。少し前だったら不謹慎だな、と感じたかもしれないけれど、今ならナオも彼なりに場の空気を重くしないように流しているのだな、とわかる。
「人間、動脈やったら銃弾一発で死ねるからなー」
「なー、じゃないよ、サリトさん。ああ、もう……本当、こっちの心臓が止まるかと思った」
 薬品の入った箱を抱えながら、アズはへなへなとその場に座り込んだ。
「あの……アズ姉」
 ナオがアズのいうことを聞かなかったから、セツェンは怪我をするハメになった。怒られても仕方がない。
「ナオちゃんが無事で良かったです」
 しかし、彼女はナオが用件を言う前に、先回りするように、早口でそう言った。
「重傷人のいるところで、大声で騒ぐんじゃない。さっさと薬をよこさんかい」
 ジェロじいさんがアズの腕から箱を奪って、カーテンの奥に消えていく。
 それを見送って、アズは苦笑いをした。
「無事で良かったって思ってるのは本当。セッちゃんのこと、気に病まないでね」
「うん……」
 セツェン一人に任せている状況では、どこかで失敗するはずだった。それが今回だった。むしろ、何年もの間、セツェンがこの状況を維持できたのが奇跡だった。
 ――それを、ナオが納得できるかはともかくとして。
 結局、セツェンは、夜まで目を覚まさなかった。
 アズがルネと連絡をとってくれて、ひとまずセツェンの大けがについては子供たちに伏せておくことに決めた。
 あの女の子の名前はノノと言い、子供たちはなんとなしに「拾われた」のだと察したらしい。素直に面倒を見ているとのこと。
「ナオちゃん、ジェロさんが空いているベッド使っていいって言ってるから、交代で寝ようね」
「うん」
 サリトとリタは、アラクが増えている最中だからと、外で交互に見張り番をしている。アズとナオはセツェンの看病係だ。定期的に包帯を替えなければならないので、手伝い要員である。
 化膿はしていないが、処置が遅れたため、傷が腫れているとのこと。
 とてもではないが帰れる気分ではなかったし、セツェンが昏々と眠ったまま目を覚まさないので、正直不安だった。
 傷が腫れたせいで熱もあるし、あんまりセツェンの容態が良いとは言えないのはわかる。
「ナオちゃんが先に寝ててね。肉体労働していたんだし、私より疲れてるでしょ」
 眠れるかどうかわからないけれど、疲れてはいたので素直に従った。実際、横になってみれば一気に眠気が襲ってきて、あっという間に意識が闇にのまれていく。
 頭のなかがぐちゃぐちゃしていて、変な夢を見そうだった。だけど、瞼は開かなくて、そのまま眠りに落ちていく。

「お。即寝落ちだな」
「そりゃ、ナオちゃんだって疲れているでしょ」
 リタと交代したついでに様子を見に来たらしいサリトに、アズはため息半分に答えを返す。
「セッちゃんはまだ目を覚ましてません……って、あ」
 物音がしたからだろうか、うっすらとセツェンが目を開いた。
「セッちゃん、大丈夫? わかる?」
 アズがセツェンの目の上でひらひらと手をふる。
「…………わかる」
 かすれた声で、彼は答えた。が、視線はぼんやりと天井をさまよっている。
「ホントにわかってる? 熱と貧血でぼんやりしてない?」
「アズ……」
「あ、ちゃんとわかってた」
 ホッと胸をなでおろしたアズに、ゆっくりと目をやって、セツェンは少しだけ身じろぎをして、痛みに顔をしかめた。
「ここどこ……」
「ジェロさんの医院」
「ナオは……?」
「無事。今寝てる」
「じゃあ、今のうちに、行く……」
「だめだめ、動いたら傷開いちゃう!」
 セツェンが起きようとしたので、アズは慌てて怪我のない方の方を押さえつける。怪力を誇るセツェンも、さすがにこの状態でアズをはねのける気力はないらしい。ベッドに沈没した。
 痛みのせいなのか、不満の表明なのか、判断が付きかねる唸り声を上げた後、セツェンは絞り出すような声でぼそりと呟く。
「……もう一匹いる」
「はい……?」
 思わず聞き返したアズに、彼はつづけた。
「俺が潰したのは……一匹だけだから、もう一匹、どこかに……あのでかいやつ、いる……はず……」
 そこまでが限界だったらしい。セツェンは再び気を失ったようで、そのまま何も言わなくなった。
 アズとサリトは、顔を見合わる。
 セツェンは少なくとも傷がきちんとふさがるまでは下手に動かせない。だけど、セツェンしか倒せないレベルの巨大なアラクが、下層に侵入している。
「サリトさん、これ、私たちだけでどうにかできると思う?」
「ちょっとわっかんねーな……」
 二人の間に、長い沈黙が横たわった。

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