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糸を吐く

脚本を書く前にこういう無駄な文章を書いておかないとなーんか媚びたのが生まれそうなのでうだうだ書いておきます。この前は頭が痛いときに文章を書いた。今回はお腹が痛い。

「自分の話をするのが苦手なんです」と言うときっと驚かれるんだろうけれどもこれは本当だ。「いつ・どこで・誰と・こんなことをして・こんなことを思った」と順序よく話しているうちにだんだん自信がなくなり声は小さくなっていく、もしくは演説に体裁を変えて誤魔化してしまう。その理由は「面白くないだろうな」というのが第一。私の周りには自分の話をするのが上手な人が多いので私はいつも聞いている(と同時に聞き流すスキルばかり上達した)。「話したところで意味がないもんな」というのがその次。私が見たものをそっくりそのまま伝えることはできないし、主観があまりにも強い私の感じたものなんてきっと現実とはあまりにも乖離していて事実の誤認を生むだろう。そんなこんなについて考えているうちに私の話は尻すぼみになり、「まあそういうことなんだよ」で終わりを迎える。「もうちょっと話してよ、聞いてたのに」なんて言わないでよ。……でもね、やっぱり私のこと、ちょっと興味持ってほしいな。こういうのが一番めんどくさい女です、皆さん覚えておいてください。

以前「予防線を張るな」と説教をされてムカつくと同時に「ですよねー」とも思った。プライドばかり肥大した私は周囲の何もかもに大量の予防線を張りめぐらせた繭を作り、その中で自傷行為をして痛みで気持ちよくなっている。大昔から「挫折したところ見てみたいなあ」と怒りにくいが失礼なことをかなりの頻度で言われていますけれども、きっと私サナギのままで中身だけ腐って溶けるから、絶対あなたたちに死体は見せない。

何かを縫い合わせるように脚本を書く。あのとき飲み込んだ言葉、きっと私「だけ」が見ていたもの(=そして数多の人間が自分「だけ」だと思い込んでいたであろうこと)、明らかに減った友達、いつまで経っても分からない他人(=家族・親友・恋人)、こんな気持ち悪さでしか満たせないそこらじゅうで蠢く自意識たちお前ら、変な笑い方しかできない私の口角、私がこういう文章を書くことを望まないあなたの心の中に住んでいる私であってもう私ではない残滓、そんなゴミを繋いでいく。でもこれだったら私いつまでも書いていられる。口から糸を出してそして繭を少しだけほどいて、ずっとずっと縫い合わせていく、だってこれは、「自分の話」じゃないから。脚本だから、演劇だから、物語だから、「私小説的なフィクション」だから。私の、話じゃ、ないから。

あはははは、楽しいねこういうメンヘラっぽい文章!(=あのね、これが予防線)

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