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vol.2 社会課題のソリューションとして わたしがAtlyaで実現しようとしていること

社会課題のソリューションとして わたしがAtlyaで実現しようとしていること

こんにちは!アトリアの井尾佐和子です。第2話目は、私がこれまで感じてきた社会に対する課題感や、それに対してAtlyaがどのように向き合おうとしているかについて、お話したいと思います。
第1回の内容はこちら

誰もが本来の「わたしを生きる」世界へ パラダイムシフトをしなやかに

従来型の社会は、組織を恒常化させることによって安定をはかってきました。本来、凸凹のあるはずの人間は、組織に適合できるように教育によって平均化され、同一の労働を担う存在として組織を形作っていました。(こうした価値観を、わたしは「過去のパラダイム」と呼んでいます。)

いまの社会を眺めてみると、経済成長が行きづまる一方で、幸福度への関心が高まっていることが調査により明らかになっています。また、それと同時に自殺率、とくに未成年の自殺率が上がっているという問題があります。これは社会に希望を失っている若者が多いということ。高度資本主義経済の中で、経済的な利益を生み出さない人たちを社会から排除してきた結果のひとつだと言えるでしょう。

経済成長は鈍化、その反面 幸福度への関心が高まる
世界3位の経済大国であっても幸福度は低い

Atlyaは今、従来型の組織とは異なる仕組みや組織をつくることにチャレンジしようとしています。社会への適合ではなく、一人ひとりの幸せから社会を世界をつくるソーシャルデザインを目指しているのです。


なぜ スペース運営としてイベントや集まる場としての機能だけでなく、一人ひとりの変容と幸せ、そして人と人との関係性を大事にしたアプローチをしているのか



当時のアトリアは、まだコワーキングスペースの文脈が強いコミュニティとは名ばかりのものでした。でもコワーキングスペースというあり方だと場所に来る理由が「機能性」に限定されていきます。でも大切にしたかった「繋がりと分かち合い」「セレンディピティ」「循環」「コミュニティ組織」「共助」「共創」などの無形の豊かさについては価格表に表現しづらいということと、またメンバーは場所が通いづらい、一通り名刺交換をし顔見知りになれば抜けるという感覚の方も出てきて離脱も早かったのです。このあり方はアトリアの目指してるものとは違うなと感じ始めている中で、フリーランスの条件マッチングではないコミュニティとしてありたいことを考えるともっと共あることを中心に微調整していき、お互いがお互いの本来の私を生きるという「ワタシクリエイト」をホールドしながらも、場づくりで経済的・感情的豊かさの循環も生まれるという関わり方「クルー」と呼ぶ関係性に変容させました。
まさにこのような違和感を大事にした中で生きると働くを分けないコミュニティとなってきたのです。

アトリアは着目している社会課題は繋がりと分かち合いの欠損


昨今、「好きを仕事に」というキーフレーズや「WILL CAN MUST」が大事などと言われ、やりたいを仕事にということが、一見、一人一人を尊重されているような風潮があります。
けれど、私も好きを仕事にしたのです。それでも、やればやるほど、組織に社会にコミットすればするほど、空虚感が生まれ、「私がワタシでなくなる感覚」を覚えました。
つまりDoing「コト」だけ好きを実現しても人は満たされないということ、社会適合をベースに、組織に評価される私を生きても、幸せはおとづれないBeing「在り方」こそを変容させる必要があるということに気づいたのです。

でも、何が大きな社会への違和感なのかなとずっと考えてきました。
組織というものはビジネス、つまり経済成長優位に仕組み化されています。
その構造の上では人は「競い、争い、奪い合う」ものだということ、「恐れ」を起点に、自然体である本来の私を生きることなく、また、集団で生きているはずが個の尊重が「孤」を生み出してしまっているということなのです。

そこでアトリアがどうありたいかを考え抜いた結果
私を生きる ということをベースに「共に助け合い、分かち合い、互いに学びあいを続けるラーニングコミュニティ」という在り方へと導びかれてきました。
そして、その関係性こそが、次世代の、コミュニティ型の組織のありたい姿なのかなと考えています。

具体的に実現させたのが
フリーランスの帰属先としてのコアクルーと呼ぶ制度であり、企業間であっても関係性を大事にした企業コミュニティWDL(ワークドライブラウンジ)というプラットフォームなのです。

企業メンバーも専門家人材ドライバーも私たちも同じ目線で対話を大事にするWDL

持続する幸せとは 繋がりと分かち合いを感じられるコミュニティから生まれる

それでは、ラーニングコミュニティとは実際どういう仕掛けがあるのでしょうか?
なぜそんなソリューションになっていったのでしょうか?

ある研究では、持続可能な幸せ=ウェルビーイングには
1)自分自身を整える習慣
2)縦横斜めの関係性のある人たちの中で幸せを応援し合えること
ということが言われています。

アトリアでは、その環境を整えてきました。

(その実現のためには様々なアプローチが考えられますが、まずは大人がアンインストールする必要があります。アンインストールとは、「自分には価値がない」「自分は力不足だ」というような、成長の途中や社会構造の中で「本来のワタシ」を歪めた故に生じた痛みを手放していく行為であり、また、自分の魅力を肯定していくプロセスでもあります。Atlyaでは、そういった大人の学び直しをあらゆる形で提供しています。Atlyaはラーニングコミュニティでもあるわけです。)

AIに代替されない資質を見つける

chat GPTの登場によりAIの時代が思いの外早く到来しました。今後、AIに置き換わる職業も増えていくでしょう。いまある多くの士業の仕事は、10年後に半分の人数で済んでしまうようになる、と言われているそうです。そんな中、ヒューマンリソースが改めて注目されています。人だけが作り出せる見えない価値みたいなもの、一緒にいて居心地がいいとか、何か元気になるとか、空気感であったりとか、感覚的価値、感覚訴求といったものが、職種に関わらず必要とされるようになるでしょう。肩書きのラベルを得れば何とか仕事を受けられる、という世界はもう終わりを迎えています。

「だから大変なんだよね」、ということではありません。それは、自分らしく生きられる時代が来ている、ということでもあるということだと捉えています。もちろんそこへトランスフォーメーションのプロセスの痛みがついてきます。わたし自身もそうでした。体質改善はけっこう大変なのです。それを少しでも楽にするのがコミュニティなのではないでしょうか。Atlyaには、「私を生きよう」と決めて行動する仲間たちがいます。そうした思いが真ん中にあるコミュニケーションには救われますし、ひとりで取り組むより変化も早いものだと、Atlyaを通じ、みんなの姿を目の当たりにして実感しています。
また ヒューマンリソースでしか出来ないことはとっても本来クリエイティブなこと。そんな自己創造性を発揮して生きられる人が増えることでもあると思っています。

ボランタリーでもNPO法人でもなく 経済循環にこだわる理由

このような価値観に基づいた活動には、以前はどうしてもボランタリーな部分がありましたが、いま、コミュニティーのメンバーそれぞれが無理のない範囲でクルーシップ費を持ち寄り、経済的にも回っていくような形が生まれてきています。Atlyaのワタシクリエイトプログラムで使っているワークショップを研修として導入したいと希望してくれる企業も出てきています。こうした経済的な循環も含め、Atlyaは、よりサステナブルな形へ変わり始めているのです。

NPOにしなかった理由は、この循環こそが、次の時代の経済循環なのではと考えているからです。
これからはアトリアのような循環を大事にしたコミュニティカンパニーが増えることを願っています。


毎年 子供たちの本来のギフト・私を生きる を見守る親子リトリートを開催


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