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"All things are possible with God." 「どんなことでも神にはできるのです。」
高校生が覚えさせられる英語構文の中に、
the last person to 〜 というものがあります。例文でよく見かけるのは He is the last person to tell a lie. でしょうか。直訳すると、彼は嘘をつく最後の人だ。つまり、「彼は嘘をつくような人ではない。」という意味です。
学生たちは多くの構文や熟語、単語を丸暗記しますが、それを本当に使う時に「あ!これか!」と脳にこびりつき、忘れなくなります。私にとっては上に書いたthe last person to がまさにそれ、です。
私は24歳の6月にアメリカへ入国しました。縁あってクリスチャンホームに滞在することになったのですが、しばらくの間、とても窮屈に感じていました。日曜日には教会へ連れて行かれ、英語もろくにわからないのにずっと座っていなければならない。金曜日には同じ地域に留学している日本人たちを対象にしたバイブルスタディに参加しなければならない。渡米前までは東京で自由を謳歌していたのに、アメリカの片田舎ではバスも1時間に1本。どこに行くにもホストファミリーに送迎をお願いしなければならない。ホストファミリーはお酒も飲まない。バーに行くこともない...。私はどんどん鬱屈していき、不満がたまり、バイブルスタディに言っても悪態ばかりついていました。
しかし、そんな私がホストマザーが取り寄せてくれた日本語でやさしく書かれた聖書を開くようになりました。様々な物語りが展開される空想の本、と思いながら読んでいましたが、次第に心を突かれるような感じになり、数ヶ月の葛藤の末、神さまの前にひざまづくことになったのです。
車で1時間ほど離れた隣町にある日本人教会へ連れってもらい、クリスチャンになると言うことはどういうことか、をきちんと日本語で説明していただいて、納得して(という言い方は少しおかしいですが)イエス・キリストを自分の救い主として受け入れました。
クリスチャンたちは人がひとり救われると(イエスを受け入れるということを、救われるという言い方をします)大喜びします。そしてそのニュースは周りの人たちの耳にすぐに入ります。30年前はネットもSNSも無い時代でしたが、私がホストファミリー宅に戻る時には日本人留学生に関わっている地域のアメリカ人クリスチャンたちはみな知っていました。
そんな中、ある方がこう言いました。"Mr 〇〇said, 'I thought she would be the last person to be a Christian.' "
つまり、「彼女がクリスチャンになるなんて!(驚 」 ってことですね。
そりゃそうですよ。バイブルスタディでのお話に、率先してチャチャ入れるようなやなヤツだったんですから。
だれかが私のことをこう思っていたんだ、という事実に半分ショックを受けながら、この構文は紙の上のものから、言葉として脳にこびりつくことになりました。私にとって2度と忘れない英語の言い回しになったのです。
私はまさに The last person to be saved、
世の中の人が仮に全員神さまを受け入れることになったとしても、私はその中で、「最後の最後の人」だったわけです。プライドが高く、意固地で、人のいうことを聞かない、権力や地位のある人には率先してたてつく、誰から見ても可愛げのない、そして神さまの前に自分の弱さを認めることなど絶対にできない人間でした(今でもまだそうです、恥ずかしながら。)人がそんな私を変えようとしてもそれはムリ。神さまを信じさせようとしても絶対にムリ。でも周りの人々を通して神さまは少しずつ私の心の中に働いてくださってその日が来たのでした。
聖書の中には「人にはできないが神はすべてのことが可能だ」という内容の聖句がいくつもあります。それは真実であり、神さまからの約束でもあります。
自分の力では到底乗り越えられない、戦えない、辛い、キツイ... 私の信じる「生きる神」はそのような状況にある方々の味方です。
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