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たすける・佑ける・佐ける

横断歩道の真ん中におじいちゃんが落ちていた。

その場面に遭遇したのは、僕が散歩中のことだ。
退院に向けて少しでも体力をつけておきたくて、毎日PT終わりに病院の外を1周している。
坂道を登って下って、歩道の段差にも慣れておきたいし、横断歩道も時間内に余裕で渡れるようになりたくて、ルートに坂道も横断歩道も組み込んでいる。
車椅子を漕ぐのは案外腕力が要るものです。

今日の散歩。
横断歩道の真ん中におじいちゃんが落ちていた。
正しく言うと、車椅子から落ちて身動きが取れなくなっていた。
奥さんだろう、おばあちゃんが、おじいちゃんの身体を起こそうとしているも、おばあちゃんの力ではビクともしない。

僕は慌てて駆け寄った。
そして気づく。

僕は、もう助ける側の人間じゃなかった。
車椅子の人間に何ができる?

近くにいた警備員さんを呼んで、おじいちゃんは無事に拾い上げられ、事なきを得た。
だけど、その警備員さんを呼びに行って駆けつけてくれるまでの間、
おじいちゃんとおばあちゃんは横断歩道に残されたままだ。
おじいちゃんを助けるまでに相当な時間がかかってしまった。
僕じゃなかったら。
僕だったから、助けるまでに遅れが出た。

僕の手で直接にはたすけられない。

ふと思い出す。
僕の名前と姉妹の名前。
姉は佐、妹は佑、という字が使われている。
佐も佑も、たすける、という意味がある。
そのことを小さい頃から僻んでいた。
僕には、たすける、なんて意味など与えられていない。2番目、の亜。ただの、代役。
僕が看護師になったのは、そんな劣等感もあってのことかもしれない。
誰かをたすける人になってみたかった。

今。
誰かをたすけるのに、
誰かを頼らないといけない人間になってしまった。

悔しいのか悲しいのか分からない。

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