苛虎②

親から愛されずに、つまりは虐待されて育った子どもをカウンセリングするにあたってもっとも困難な工程は、まずその子ども自身に自分が虐待されていることを認めさせることだそうです。
自分が苛烈に虐げられていること。

多くの場合、子どもは虐待の事実自体を「なかったこと」にしてしまうのです。事実に対する解釈を捻じ曲げるのか、それとも事実自体をなかったことにするのか、症状は様々ですが、現実から目を背けるという点では共通しています。

私は両親から虐待されて育ちました。

愛されたことは一度もありません。
愛されたことは一瞬もありません。

けれど私はそれに無自覚でした。
こんなことはどこの過程でも多かれ少なかれあることだと、自分の痛みを無視していました。
それを虐待だとは思いませんでした。
思えませんでした。
そんなストレスは、あっという間に切り離して、なかったことにしてしまいました。
自分は虐待されていないと、目を逸らすことは、いくらでもできる。

自分は虐げられてなんていない。
ネグレクトなんて受けていない。
そんなことは、身に憶えがない。
親として最低限のことはしてくれた
そんなのは詭弁にもならない。
最低限のことしかしてくれなかった。
最低のことしかしてくれなかった。
そう考えるべきだったのです。

親が子を愛すことは果たすべき義務ではなく気持ちであり、それができないなら結婚などするべきではなく、子を持つべきではない。


猫物語、手紙より。
備忘。

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