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一緒に甲子園に行こう

夏の高校野球が終わってもう1週間。
談話室に行ってもいつものお爺さんの姿はなかった。高校野球を観るためだけに出てきてたのかな。

そう、開幕から決勝までの毎日、談話室に行くと、同じお爺さんが決まって高校野球を観ていたのだ。テレビからすぐ前の席に座り、テーブルをバンバン叩いて応援してみせる様子から、よほど好きなんだろう。

とある患者さんを思い出した。

Kさんは高齢うつだった。
僕が配属された数年前から入院していた。
喉の違和感を訴えてご飯を食べない。
ラコールを2パックずつ、バニラ味とコーヒー味。
それがKさんの食事だ。

「これ、美味しいんですか?」
「美味しい言うほど美味しくはないけど、まぁ、、飲めんことはないで」
「無理してますやん」
「みんな飲め飲め言うやろww」
「飲まへんかったら点滴やーって脅すもんね」
「飲むしかあらへんがな」
からからと笑う。

話しかければ飄々とした態度で返してくれる。
気分の落ち込みはなく安定しており、喉の違和感だけが病的体験として残っていた。

普段はずっと自室にこもりきり。
外出も許可されているが、出かけることもない。
「今日もお部屋ですね」
「いかんせん喉の調子がな」
いつでも返事は一緒だ。
右手は常に喉を触っている。

そんなKさんも、高校野球の時期だけはテレビを観るためにデイルームに出てきた。
春のセンバツと夏の甲子園。
喉の調子が悪くても、
ラコールが飲めない日でも、
デイルームの決まった席で試合を見届けていた。

何となく、声をかけたくなった。
「野球、好きなんですね」
「あぁ昔からな」
「プロ野球は?」
「やっぱり地元の阪神は応援してるで」
「あー、あたし巨人や」
「敵やな」
「でも、プロ野球は観に来はりませんよね?デーゲームやってる時とか」
「プロ野球と高校野球は違うねん」
「それは分かる、高校野球は泣ける」
「ここ座り、泣いてるとこ見たるわ」
Kさんが隣の椅子を引き、ニッと笑った。

なりゆきで僕は仕事をサボって(?)一緒に高校野球を観ることに。Kさんは腕組みをしながら僕に学校の解説をしてくれた。
「昔は大阪なんかPLばっかりやったのにな」
「最近は履正社か桐蔭ですね」
「桐蔭の監督はようできてるわ、あの人はな...」
「監督情報まで!?」

話の流れで聞いてみた。
「甲子園には観に行ったことあるんすか?」
「そらなんべんも行ってたよ、息子も連れてってな、あの子が小学生の時や、かち割り氷買ったげて、、」
少し間が空いた。
「ほんま、一緒によう行ったわ、、」
Kさんの目が遠くを見ていた。

あ、いやな感じだ。
触れたらいけないものに触れたかもしれない、
直感的にそう思った。

「、、小学生の頃ですか」
言葉を探る。
「そうや、小さい頃にな。大きなってからは、あの子もあの子で忙しいやろし、親子で観に行くなんてな、そんなん、、。それで、もう誘えんかってな」
「、、、」
「あの子は仕事のことも家のことも、にこにこーってしてるだけで話さへんねん」
「優しいんですね」
「ほんまにな」

Kさんの長男は自殺している。
Kさんがうつを発症したのは、それから間もなくのことだった。

先程まで腕組みをしていた、その腕たちはほどけて、右手が静かに喉元を触っていた。
あぁ、そうか。

Kさんの止まった時間を見つけた。
Kさんの後悔が、心残りが、そこにあった。

「分かった」
僕はふと思いついた。
「ほな、もっかい行きましょ」
「行くって、、甲子園にか?」
「そうです、甲子園!」
僕はKさんの腕を抱き寄せる。
「今度は私を連れてって下さい!!」
Kさんが面食らっているのがよく分かった。

僕は構わず続けた。
「甲子園、私行ったことないんです」
「そんなん言うたかて、入院しとるがな」
「退院したらいいんですよ、いや、入院してても外出許可取ったら行けんちゃうん?私、天才か?」
「喉がこれやから遠出はできへんて」
「その為に看護師の私がおる」
Kさんに向かって親指を突き立てて胸を張ると、Kさんが声をあげて笑った。


「絶対に一緒に行きましょーね!言うたからね?私が行くって決めたからには、何が何でも行くんやから。連れてってね?ほんで、私に解説して下さい!はい、指きり!!」
勢い任せに、僕はKさんに小指を突きつけた。
「えらい無理矢理やなぁwwしゃあない、ついて行ったるわ」
笑いながらそう言うと、渋々といった様子で僕の指に小指を巻き付けてくれた。
「もう少し喉の調子が良くなったらな」
「おっけー、私が癒してやろう」
「なんや、変な呪いでもかけるつもりか?」
「バルス!!」
「滅んどるがな」

そうして僕は、Kさんと甲子園に行く約束をした。
そして、まずその1歩目として、僕がKさんをデイルームに連れ出すことにした。
午後の仕事が落ち着いた頃にオセロに誘う。
他の患者さんをけしかけて、将棋に誘う。
誰かさんのやりたい!には、応えてあげる人だと知っていたから。そうやって誰かと過ごしている時のKさんは、喉を気にしなくなることを知っていたから。
皆を巻き込んでちょっかいを出し続けた。

ほどなくして、Kさんはベッドコントロールで違う階に転棟した。Kさんのことを気になりながらも、違う病棟の患者さんをスタッフの立場で面会に行くのもおかしな話で、時折カルテを覗くくらいしかできなかった。
喉の違和感が強まり病的体験が悪化、
Kさんの身体にも限界がきた。
ある日、カルテを開こうと検索してみると、名前の隣に棺桶のマークがついていた。

叶うことない約束をこれからも抱えたまま
僕は来年も高校野球を観ようと思う。

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