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自殺志願者のおばあちゃん

下書きに残しっぱなしにしていた、4月初めの入院中の話。

昨日から同室になったおばあちゃん。
僕がその数日前に先に入院していて、おばあちゃんは、昨日の夜に入ってきた。病棟の消灯時間はとうに過ぎている。おそらく予定入院ではなく緊急入院だろう。看護師が何度も部屋を出入りしていて、こちらも気になって寝付けない。入院している病棟は形成外科、眼科、腎臓内科の混合病棟であり、まぁその中で言うなら、何かしらの事故に遭って形成外科にお世話になることにでもなったのかしら、などと、隣で看護師が安静度などの説明をしているのを聞きながら、勝手に予想を立てていた。

翌朝には、そのおばあちゃんは安静度の制限が解除されたようで、ほとんど部屋にいない。昼食後にデイルームへお茶を汲みに行った時に、窓際に置かれた椅子に座っており、その時に初めて顔を合わせて挨拶することになった。

僕が精神科看護師をしていると話したからだろうか。おばあちゃんは、入院に至るまでの話を訥々と聞かせてくれた。

要するに、自殺未遂だという。
死にたかった、
死のうとした、
けど、また失敗した、
おばあちゃんは確かに、また失敗したと言った。

シングルで子どもを産んだ。親と喧嘩して家を出てきたから誰も頼れず、一人手で育ててきた。その一人娘も自立して、家庭を持つことができた。娘の幸せを心から嬉しく思う。娘の幸せは自分の幸せだ。
しかし、自分が、子離れできなかったのだ、
娘が結婚してから、娘との関係が悪くなった。
娘婿に嫌がらせをしてしまっている自分も情けない、だけど感情がどうにもならない、ますます娘は自分に強く当たり、離れていってしまった。
これ以上離れたら、生きていけない
何を支えに生きていけばいいのか
初めは、こっちを見てほしいという思いからだった。
あんなに強く拒絶する娘が、それでも自分のことを大切に思ってくれていてほしい、何かあった時に自分の元に戻ってきてくれるんじゃないか、そんな、願い。
ODをした。
救急車で運ばれた。
ベッドの上で再開した娘は、目を真っ赤に泣き腫らしていて、目を覚ました自分に、また泣いてくれた。
ごめんね、もうしないから、と口にしたが、
心の中は違った。
それが、娘との繋がりを見出せる手段になってしまった。
ODを繰り返していくうちに、娘の方も、またかと、その反応が変わっていった。
心配しても何を言っても同じことをする母親に、疲れて、無力感を覚えて、しまいには呆れきってしまったのかもしれない。
事を起こすたびに、娘は飛んできてくれる。しかし、もう既に、娘の心はそれまで以上に遠くに、もう戻ってこれない距離に離れてしまっていた。
今となっては、ODをする目的がなくなった。
もう娘は自分のことをこれっぽっちも見ていない。
どうしたらいいか分からない。
初めの頃は死にたいとは思っていなかった。
今は違う。心から死にたいと思っている。
毎日、死にたいと思い続けているのではない、波のようなものだから。一人で家の中でぐるぐる考える日々で、そのうちに死にたくなって、昨日はその日で、家にあった睡眠薬を全部飲んだ。
何も変わらないって分かっているのにね。
どうせ死ねないのに、死のうとした。

とりあえず僕は、自分の職場の初診専用ダイアルの番号をお伝えしておいた。PSWが今までの経緯や今困っていること、丁寧にお話を聞いて予約を取ってもらえますよ、その人に合いそうな医師を選んで予約を取るようにはしているので、初めにこういうこと伝えておいた方がいいかも、と現場を知っているからこそのアドバイスも添えてご説明。
僕の立場から言えることはそれぐらい。
話が終わってから、「たくさんお話聞いてくれてありがとうねー」と言って、ナッツ菓子をくれた。しかも一袋丸ごと。院内のコンビニで買ってきたものらしい。
「話聞いただけで、こんなもらえないです!」と断ったが、
「違うよ、こんな話、聞くだけでも人に嫌な思いさせてしまうから、しんどくさせるだけやから、普段はこんな話、できひんからね。聞いてもらえただけで、どんなにか」と、なんなら、もうあと一歩で泣いてしまいそうに、顔をくしゃくしゃにされる。
その気持ちを無碍にもできないので、ありがたく袋丸ごと受け取った。

死にたくなる人って、ものすごく気ぃ遣いぃの優しい人が多いよね。
一緒にお話をしてから1週間と経たずして、そのおばあちゃんは早々に退院した。
元気かしら。病院に電話したかしら。
電話していなくてもいい、
他に、自分以外の誰かに、
自分の話を安心してできる人を見つけられていたら。

そういえば、ODだから腎臓でこの病棟だったわけだな、なるほど。

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