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足が速くなってはいけない仕事。

夜の東京を走る。丁寧に整備された陸上トラックでは、同じタイミングで、同じ場所で、走るという同じ目的をもって家を出た、幾重にも偶然が重なり合ったランナーたちが、だんご状になって走っている。一言も言葉を交わしたことのない同士たちと風を切りながら、私は心の中でつぶやく。

「ずるい」

いきなり何なんだ。私は口角を上げながら走るようにしている(その方が苦しくない気がするからだ)。そんな、微笑みの国タイから来たようなランナーが、心で「ずるい」と唱えていると知ったら周りのランニングメイトたち(初対面)も驚くであろう。

私はもともとランナーでもなんでもない。むしろ運動が苦手な、THEのつく運動音痴、スポーツ不適合者、体育の被害者である。20代のころは二回しかスポーツをしなかった。スポーツが苦手なのは、自分が悪いんだとずっと思っていた。

スポーツと関わるようになった転機は、2013年9月。2020年の東京オリパラの招致決定である。某フェンシング選手がテレビの中で両拳を握り泣きじゃくる中、私は両拳で自分の頭を叩きながら泣きじゃくった。

東京でオリパラが開催されるとなれば、そりゃ日本はオリパラ一色(二色)に染まるのは目に見えている。スポーツの報道が増え、スポーツファンが増え、スポーツ人口が増えてしまう。そうなったら、益々自分はスポーツの蚊帳の外だ。私は重い腰を上げることにした。これを機に、スポーツと和解しようじゃないか(偉そう)。

そこで、2015年4月に「世界ゆるスポーツ協会」というスポーツ団体を立ち上げた。老若男女健障(造語)だれでも楽しめる、新しいスポーツを発明する団体である。愉快な仲間たちと一緒に、イモムシラグビー、トントンボイス相撲、ハンぎょボールなど、これまで80競技ほど新しいスポーツを開発してきた。

ゆるスポーツ参加者がこう言ってくれることがある。

「代表の人が運動音痴と知って、それなら体育が苦手だった私も参加していいのかなと思ったんです」

そう。スポーツが苦手な人は、スポーツが苦手なだけなんじゃない。スポーツが得意な人がキビキビと動いているスポーツの現場が苦手なんだ。

だからこそ私は、自分がスポーツ弱者であるという恥部を、包み隠さず出すようにしている。イベント冒頭の挨拶で、「今日だれよりもこのフットサルコートに来たくなかったのは私です」と言うこともある。そういうフニャッとした空気感を、会場全体に行き渡らせることで、ようやくだれもが怖がらずにスポーツをしてくれるようになる。

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ゆるスポーツの活動で大事なのは、得点よりも接点の獲得だ。スポーツが苦手な人とスポーツを繋ぎ、接「点」という名のゴールを決める。これまで10万人以上が参加したが、そのうち半数以上はスポーツが苦手な人だ。そんなゆるスポーツは、いつしか私とランニング(水と油)をも繋げることになる。

人は何故、わざわざ走るのだろうか。ホモ・サピエンスとしての狩猟本能、逃走本能。伝令を届けるシナプスとしての役目として。あるいは1960年代のマラソンブームの立役者となったケネス・クーパーが仕掛けた巧みなスポーツ・マーケティングによって。国威発揚のために走る人だっているだろう。翻って私はどうか。

ランニングシューズを買ったからである。

ある日のゆるスポーツイベントで、スポンサーの意向により「赤いスポーツシューズ」が必要になった為、私はおそるおそる銀座のスポーツショップに入った。脇目もふらずにただただ赤いシューズ目がけて進み、ろくに試し履きもせずにうつむきながら会計をした。恥ずかしかった。店中の人から「ほほぅ、あなたのような運動音痴にこのハイスペックなシューズを履きこなせますかね」と後ろ指を指されている気持ちになった。真紅のシューズに負けず劣らず、真っ赤になって店を出た。

これほどの苦痛を味わったのだから、一回かぎりのイベントで靴をサマリーポケットに預けるのはもったいない。よし、走ろう。きっかけはいつも突然だ。そんなこんなで、気づけばもう3年以上走る生活をつづけている。毎月100キロ程度走っている、わりとガチなランナーだ。自分でも驚きの展開である。しかし、思わぬ問題が起きた。

足が速くなってしまったのだ。

ゆるスポーツの現場では私も審判をやることが多い。ランニングを始めてから、体が軽くなり、審判の動作も俊敏になってしまった。まっさきに異変に気づいたのは、世界ゆるスポーツ協会の事務が苦手な事務局長萩原さんである。

「なんか速くなってませんか?」。そ…そうなんですよ、実はランニングを少々…嗜む程度に…。「代表が運動音痴なのが特徴なので、協会のアイデンティティが崩壊しちゃいますね(笑)」。冗談で言った萩原さんに「足速くなってごめん」と伝えた。一体何の謝罪だ。

話は冒頭に戻る。何故私が走りながら「ずるい」と心の中でつぶやいたか。それは、私が知りえないところで、ランナーたちがいつも走っていたことを、自分が走るようになってから初めて知ったからだ。

私が新橋で飲んでいる間も、下北で飲んでいる間も、三茶で飲んでいる間も、あのランナーたちは夜走っていたのだ。私がせっせと不健康になっている間に、ランナーたちはせっせと健康になっていただなんて。

だから私は今夜も走る。「ずるい」と心で唱えながら。そして、「足速くなってごめん」と添えながら。

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