引き出し

最近、よく引き出しが開いている。
それも、頭の中の引き出しが。
なんでか、よく開いたり閉じたりするようになった。
なんでだろ、と考えて思い至るのは、人間である。
人に開閉を委ねているのかというと、そうでもなく。
彼ら(they、heでもsheでもない)は巧いこと私の引き出しをつついて引き出しを開けては、わたしから洩れでる言葉や考えをそれとなく聴き、ちゃんとした、ほんとうの会話をして、思考を整理させてくれるのだ。
これが実に楽しくて。
ハチャメチャな言葉がとびでても、そこに至るまでの思考回路を考える余白やヒントをくれる。
脳から直に口から思考がまろびでても、なんとなく着地するまで時間をくれる。
彼らは、なんなら、いちどわたしから外に出て彼らに認識された言葉であろうと、訂正を許してくれる。
すごくないですか?
ゆえに、わたしはみずから引き出しを開けまくっては、彼らに共有したり、あるいはこうして、自分以外の外に、表層に、放流することができるようになった。だし、「わざわざ考える」ことが楽しくて仕方がない。
人によっては、そんな時間があるのが羨ましいだとか、暇人のすることだ、考えてなにになる、そういうのは学生のうちに済ませておけ、などと云うが、正直なところ、そう云われたとて楽しいもんは楽しいし、楽しいもんは大抵、止まらない。
ちくちくに敢えてちくちくで返すならば(いままで云われるがままだったので)、
あなたにはいままで、考えたいときに考える時間があったんですね、
と返してみたいです。
大人なのでいままで通り過ごす予定ですが。
ああ、特定の誰かを指してはいません。あるいは彼らも彼らと同じtheyでしょう。わたしの一要素たりうる者たち。

さて、なにを考えていたか忘れてしまった。
そうだ、豊かな彼らのことだった。
そう、わたしは彼らをそれはもうとてもとても尊敬しているが、同紙に、彼らが完璧でないことも知っている。
しかし、そこがまたいいのだ。噛めば噛むほどに味がする。
そして、彼らもまた、完璧でなくて、味のするわたしを楽しんでいるようなので、いったん重箱の隅まで、階段の角まで、骨の髄まで、味がしなくなるまで、噛んで、噛んで、噛みしめてから、それから、飽きてほしいものだと切に願っている。
ねえ、わたし、まだ味しますか?
近頃ちょっとまたお出汁を染みこませておきました。

お出汁。
お出汁ですってよ。

ちょっと不格好で不揃いな、味のするひとが好きです。どんな好きであれ。だいたい、一体全体、おおまかに、ひとが好きです。
人間たちには幸せになってほしい。
人間に幸あれ。

あらゆる人間を幸せにする思考のプロセスを教義として掲げインプットさせるもしくは物理的にインプットすることによって全人類が穏やかに和み愛し愛され幸せを享受することに一切の躊躇いもなく澱みない純粋な心だけが在る、それがほんとうにできるのならば、流石に気になる。

パラレルワールドとか、あったらいいなあ。
行き来が出来たら、もっといいなあ。

だれもとめてくんないから、パラレルワールドまで来ちゃったよ。

か~えろ。


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