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第三回 澤ゼミ「アウトプットファーストの思考術」

澤円先生の「自分を企画化する」ゼミ。第三回のテーマは「アウトプットファーストの思考術」です。まず手を挙げる、まず話をする、というアウトプットファーストを続けていると、自分の本質的な部分が表面化します。「常に冷蔵庫にあるものだけで料理を作る」のと同じことになるからです。

バイトテロの炎上動画と、塩ファサーおじさんの違い

なぜか、ゼミのテーマと見事にリンクして現実の事件が起こっているようです(笑)最近話題のバイトテロ。映像を見ると、本人たちは実に楽しそうにしています。何がまずかったのでしょうか…?

比較対象として、ヌスレット・ギョクチェさん(通称、塩ファサーおじさん)の動画を見ました。同じように食べ物で遊んでいるように見えかねない!しかし、彼は有名人の間でも大人気です。
バイトテロでは、付随する情報、「勤務中の店舗」で「勤務中の店員」が「お金を払っているわけでもない売り物」を粗末にする、といったことが、見る人を不快にさせてしまいます。
ここに、アウトプットの違いがあります。誰がそれを受け取るのかをよく考えることが大事です。「ストーリー機能でアップすれば、1日で消えるし仲間内だけのことだ」と考えてアップしたものが拡散されてしまう、ということが起こり得るのです。

「今日のランチ」からの3つのワーク

その1:会社の同僚に伝える

「今日のランチについて会社の同僚に伝える」という設定で、グループ内で共有しました。このときは、他愛もない話題としてあまり考えずに話すことができました。

その2:Twitterでつぶやく

みんな、もくもくとツィートします。そしてスクリーンで共有しました。たとえばこちらのツィート

「金が欲しくなって」につっこむと、本人そこは狙ってやっていることが判明。戦略の登場です。
ワークその1とアウトプットが変わったのは、プラットフォームが変わったから。ただのおしゃべりから、ルールがあるアウトプットへ。そこでは、方向性を決めないとアウトプットできません。そこで戦略が登場してきます。

自分のやりたいこと、将来なりたいものに方向性をつけてツィートする
 →アンテナが脳内に設置されて、出会うたびにツィートのネタになる
  →自分がそれにタグ付けされる
   →○○といえば…と、声がかかりやすくなり、チャンスにつながる

このように自身がアンテナを持つだけでなく、相手にツィートされるようになる、アウトプットが2次的効果を生んでいることの事例です。
事例)ちょまどさんと松屋

その3:ハリウッド映画の宣伝に使う

これもタイムリーなこちらの動画が参考資料となりました。

これはむずかしいー!頭を抱えて考えます。

この無茶ぶりにより、「ゼロを1にして何かを生み出し、外に伝える」ことがいかに難しいかを思い知りました。とはいえ、まずはアウトプットしないと、フィードバックが得られません。このワークの中でも、グループの他の人からさらなるアイディアが出て、よりスケールの大きな話になる、というケースがありました。アウトプットは全て1人でやる必要はありません。方向性や目的を言語化していくと、人が、アウトプットを手伝ってくれるのです。

皆さんのアウトプット先にいる人は?

これを意識しないと、油断がうまれます。バイトテロの人たちは、ネットを使っているのにアウトプットの先が仲間内だけと思っています。そんなつもりじゃなかった、というのが油断です。桜田五輪相の「がっかりした」発言も悪気はないことはわかります。情報の質のバランスがすごく大事になります。全く別の「視点」を意識することが大事です。アウトプットは発射した後すべて遠隔操作になってしまいます。自分でコントロールできる時に良く考える必要があるのです。加えてもうひとつ意識しておくことは、

「正しい」が人を動かすとは限らない

ということです。人の数だけ答えがあるからです。アウトプットの前提として「正しい」の対立が一番難しい、ということです。「全員満足」はあり得ない。そのときに、「あ、そういう考えもあるんだ」と受け入れることができないと、自分が傷つきます。そこでアウトプットが怖くなり止めてしまうと、チャンスが来なくなります。100%を目指さないことが大事です。これは諦めることとは違う考え方です。

内なる悪魔に支配されないこと

自分が「正しい」と思ったことが受け入れられないとき、相手に対して怒りの気持ちがわいてきます。怒りに任せたアウトプットほど厄介なものはないし、それに対して責任を取るのはめちゃくちゃ大変です。怒りに心を蝕まれないことが大事です。

自分の「正解」を他のひとと共有しておく

べきの境界線

「目玉焼きに何をかけるか」というテーマに対して、自分は三重丸のどこか、をグループ全員で同時に指さす、というワークをしました。塩コショウ、しょうゆ、ソース、ケチャップ、メープルシロップ…?

① と③に別れたケースも結構ありました。
でも、いきなり「そんなの気持ちわるいから、お前出ていけ!」とかにはなりません。一枚の皿に目玉焼きが載っていて、ソースを一気にかけられたとしても、黙って食べない、くらいのリアクションで我慢するのが通常です。相手が家族になると、怒り出す人が出てきます。近しいひとには強く出やすいからです。 

無用な怒りを避けるためには、③の境界線を明確に共有しておくべきです。我慢をする必要はありません。ただ、③が多い人は、付き合いづらいと思われてしまいます。できるだけ②を増やす努力をすると、生きるのが楽になるし、アウトプットに対するフィードバックを豊富に得られる人になれます。つまり勇気を出して言ってくれる人が増えて学びが多くなることを意味します。

「所感」と「事実」を脳内で分ける

これが混ざり合った思い込みがコミュニケーションを稚拙にします。
例えば、

だってみんな言ってたもん(所感と事実が混在)

という表現を

この話を5人から聞きました(事実)
印象としては、かなりの人がそう思っているように私は感じます(所感)

のように、所感と事実に分ければ、正確なコミュニケーションができます。人間は本能的に「自分が嫌いだから(ほかの人も嫌いなはず)というバイアスをかけてしまう」ということに気をつける必要があります。

自分の考えに責任を持つ

例えば、③を明確にしてなるべく自分から遠ざける、あるいは②を広げて受け入れる、と決めたら、そのことに責任を持つということです。これを ”Agree to disagree.” といいます。意見が違うことを認める、ということです。

VISION

これが、そのまま次回のテーマになります。自分を企画化する時には、根っこや基盤になるものが曖昧だと、アウトプットが定まりません。自分の考え方を言語化することが重要です。

懇親会後の記念写真!

文:澤ゼミ生 加藤美野、松山哲也 
写真:辻貴之

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