沢田のおもしろ(?)人生記②

①でも書いておりますが,特におもしろさはないと思われます。
ごく普通の人の,普通の人生です。

中学まではこちら

高校

私の通っていた私立中には高等部がありましたし,特待生での入学が確約される程度には成績が良かったのですが,なぜか全く違う高校に進学しました

ちなみに,書道部はありませんでした
というかこの高校,部活がそもそもありませんでした
それどころか校則が一切存在しないというとんでもない高校でした。

どうしてそういうところを確認せずにあっさり進学先を決めるんだろう。
ということで,書道とは割と輝かしい成績を収めていた気がしますが,全く字を書かなくなります
お習字は辞めました。

ちなみにこの高校,校則がないのでコスプレ会場かな?と思うレベルで髪の色がとにかくカラフル。
黒髪の人はなにか事情がない限りいませんでしたが,私はウィッグをかぶれば何色の髪にでもなれるので,黒髪のままでした。
机や椅子の色もなぜかカラフルで,青やら緑やら黄色やらオレンジやら…。
ギャル系の子は肩出し+ホットパンツなんて普通ですし,GLP(って死語かもですね…ゴシック・ロリータ・パンク)なんてそこら中にいました。
ちなみに,私も普通にロリータ服で通学していました。

高1で仲のいい友人が3人できて,そのうち相棒と呼べるような存在ができます。
その相棒は漫画家になるために一生懸命で,彼女がぼそっと「おれが描いた漫画がアニメになったときにお前が声を当てたら面白いんじゃないか」と言い出したことで,「なるほどな」となります。
確かに声を褒められることは多かったですし,演技に対する面白さも知ってはいたので,ぼそっと言った相棒は天才だと思います。
実際,彼女は本当に絵がずば抜けて上手でしたし,難関美大にあっさりAO入学するほどだったので,今はほとんど画家として生活しているはずです。
さらに,「主題歌とかが自分たちだったら面白いんじゃないか」という話が出て「アニメになったときの主題歌を決めておこう」となり,バンドを組みます。
私は基本的にチェロ・ピアノを担当していました。
フルートも音は入れていましたが,実際吹くと歌えなくなるのであまり吹くことはなかった気がします。
相棒はアコギが弾けたので,アコギを弾きながら歌を歌ってくれるのがとても好きでした。
歌は基本的に二人で歌っていて,とても楽しかった覚えがあります。
基本的に活動はネットラジオだったので実際の衣装などはありませんが,いわゆるスチームパンクな衣装を着ていて(この頃,まだスチームパンクという言葉は一般的ではありませんでした),ドイツ語を織り交ぜながら詞を書き,二人で作曲して歌ったりしていました。
ドイツ語なのは相棒の趣味です。

私個人でも,とりあえずできることはやっておこう,ということで,詩を朗読したり本を読んでみたり…といったネットラジオをよくやっていました。
その傍ら,ごくまれに歌ってみたを投稿していました。
音声活動をするときの名義は全く別なものにしているので沢田の名前では引っかかりませんが,「これ歌ってください!」「コラボしましょう!」と言っていただくなど意外と好評だったこともあり,まだそのままにしてあります。

バイトなどはしない学生でしたが,友人の依頼で服やコスプレ衣装を作ることが多かったので,ネット上でも依頼を受けて服を作り,お金を稼いでいました。
だんだんと服作りも楽しくなり,「服作りの道も悪くはないな」と思うようになりました。
服作りは相棒もいないので趣味止まりでいい,と割り切ったので,服飾系の専門学校に行くのはとりあえずやめにしました。

プログラミングも細々とやっていて,Twitterのbotを作れる程度にはなっていたのですが,これも趣味止まりでいいと思ったので,専門学校や大学に行こうとは思いませんでした。

と,いうわけで私は「相棒との夢を叶えてやる」となります。
今思うとバクマン。ですね。
当時バクマン。は多分まだ連載していなかったか,ふたりとも知らなかったので,後からバクマン。を知ったときにはそのままでびっくりしました。
とりあえず…と言うとおかしいですが,演技が学べる専門学校に行こうと決めた私は,とある有名専門学校の声優科の特待生枠をもらうことができました。
その時の審査員さんが堀川りょうさんだったのですが,私でエントリーが最後だったこともあり,少しだけ演技のご指導をいただいたことが今でも思い出です。
多分ほとんどオーディションのようなもので,一番だとデビューも確約だったんじゃないでしょうか。
(大学に入ってから調べてみたのですが,今はもう特待生枠のようなものはないみたいです…)

そこに素直に行くと思っていたのですが,気づいたら大学に進学していました

これは社会人になってから分かったことですが,中学の頃から私はどうも精神的にまずい状態だったようで,中学に通っている場合じゃなかったそうです。
それが高校で一気に悪化してしまい,退学になるかギリギリレベルの事件を起こしてしまったことで相棒とのバンドは「解散」とすることすらできませんでした。
あのバンドはあの時から止まったままなのが,今でもとても苦しいです。
高校の卒業式ではもう誰も話をしてくれないレベルだったので,相当とんでもない事件を起こしたんだと思います。

ただ,勉強だけはできたようで,とりあえずそれなりの大学に進学して,今に至っています。
大学でもいろいろありましたが,高校までで割とお腹いっぱいです。

最後に相棒との夢ですが,私はまだ諦めきれていません。
まだネット上に作品を上げたままということもあると思うのですが,ガヤで音を入れたり,ふわっと歌を歌ったりしています。
確実に全盛期より実力は落ちているな…とは思うのですが,まだ依頼をしてくださる方がいらっしゃるのがとてもありがたいです。
もし人が足りなくてお困りの方がいらっしゃればお引き受けできるので,お声がけください。
なんとなく,細々とでも活動できているうちは,相棒との夢は続いている気がします。

捨てる神あれば拾う神あり,というところでしょうか。
はじめてこういった記事を書いてみて,こんな奴でも生きていられるってすごいことだなあとふんわり思いました。

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