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漢字の音と訓――追体験による知識の習得(2013年4月22日)

 大陸から様々な文化とともに漢字もまた日本へと伝わった当時、日本語には固有の文字がありませんでした。話すだけの言語であった日本語が漢字という文字と出会い、大きな決断を迫られました。

 私は、文学史や国語史的な説明をする時ほど気を使い、展開に苦慮します。なぜなら、ただ知識をつらつらと展開していくのでは子供たちが飽きてしまうのが目に見えているからです。私自身も、説明だけの楽しくない授業をするのは嫌です。

 私は中学・高校時代、日本史が一番好きな授業でした。高校三年生の時の先生は、受験を意識した本格的な授業でありながら、とても話がおもしろく、いくつものことを今でも覚えています。特に覚えているのは、古代にはなぜ都をしょっちゅう移したのかという、遷都の話でした。先生は教科書や参考書に書いてあること以上の重大な事実を示唆したのです。
 ――都は汚れるんです。あなたたちが例えば数メートル四方の限定された場所だけで生活しなさいと言えばわかるでしょう?

 歴史が動くのには何らかの必然があると気づかされました。
 ゆえに、文学史や国語史的な内容を説明する際には、なぜそうなのかということを主眼にして問いを立て、子供たちにはその問いを私たちの生活や経験に照らし合わせることを促し、大げさに言えば古代人の心情やそれに伴う行動を想像することで追体験させるという視点を重視しています。

 文字のない日本人にとって、文字を自分たちでも使うためにどのような選択があるのか。――自分たちで作るか、中国から借りるか、です。そして事実、中国から借りたのです。この時、子どもたちはパクリだとか言うかもしれません。しかし、中国が当時の大国であり、日本も中国を尊敬し、中国も大国の余裕でそれを許したであろうというのは、現代のアメリカと日本、英語の重要性と引き合わせればわかるのではないでしょうか(アメリカを“すごい”と思うのは、私が子どものころよりは薄れているかもしれませんが…)。

 次に、文字をどのように覚えていくか、あるいは、使いこなしていくかのところで問題が出てきます。
 どんな漢字でもいいので、音読みと訓読みのあるものを板書して、読み方を全部出させてみてください。私は、音読みは片仮名、訓読みは送り仮名ごと平仮名で、例に挙げた漢字の左右に分けて書き、いずれが音読みで訓読みかを確認させます。
 その後、昔の日本人が中国の人から文字を教わる時にまず耳にしたのはどちらの読みかを聞きます。――音読み――そうです、音読みとは漢字が入って来た時に日本人が聞き取った発音の読みなので音読みなのです。複数の音読みがある語は、同じ漢字でも中国の側での時代的な発音の違いであったりします(この件はまた別の機会に譲りたいと思います)。

 次いで子どもたちに聞きます。では、発音を覚えたあとに、日本人はこの文字についての何を知りたいと思いますか。――意味――つまり訓です。当時の中国語の意味に日本語の意味をあてた読みを訓読みと言うのです。国語辞典を引くときの読みです。
 ゆえに、訓読みした語は、同じ意味から派生した動詞や名詞や形容詞などのさまざまな読みがあり、送り仮名を持ち、活用して助動詞や助詞が付いたりすれば簡単に語句や文になっていきます。(「楽しむ」「楽しみ」「楽しい」「楽しくない」「楽しませる」など)。
 一方の音読みは、漢字を隠してその読みだけで特定の漢字がすぐには出てきません。同じ音を持つ漢字が多いことでも訓読みではないとわかります。「ガク」みたいな音でも、「楽」「学」「額」「岳」…とすぐにもいくつも出てきますね。ワープロの漢字変換を思い出してしてみればこの事実は明白です。

 こんな簡単なことは、ただただ情報として伝えればいいという方もいるのかも知れませんが、共感に基づく追体験は人間の持つ大切な能力であり、学習のモチヴェーションにつながると私は信じています。

 皆さんはアメリカの人気ドラマの『glee(グリー)』をご存知ですか(『glee』はアメリカの地方の高等学校を舞台に、かつて自分がグリー部(合唱部)で高校生活を謳歌した先生のもと、負け犬高校生たちが歌で自分を表現し、自分自身と仲間を受け入れ、誇りを持って卒業していくというストーリーです。私はDVDまで借りて何度も見ています。機会があればここでも紹介したいおすすめのドラマです)。
 そのシリーズ2の中で、魅力的な臨時教師のホリデイ先生が登場します。彼女は多くの教科を教えることができ、あらゆるシーンで名ピンチヒッターなのですが、中でも歴史の授業が秀逸です。その授業時に扱う国と時代のキーパーソンに扮装して、その人物が歴史の真実を語るという形で授業を展開するのです。生徒がホリデイ先生の扮する歴史上の人物に質問するシーンは残念ながらないのですが、それは“あり!”だと思います。本当ならば、私もホリデイ流でいきたいくらいです(笑)。

 知識や歴史を教えなければいけない授業こそ、ホリデイ先生くらいのアイディアと勇気が必要なのかもしれません。


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