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『漢字の本』(2013年12月1日)

 年々、子どもたちが漢字を書けなくなっています。携帯電話(スマートフォン?)はどんどん漢字を変換してくれますから、漢字はもはや読めて、意味に応じた識別ができれば十分といったところでしょうか。もちろん、漢文なんか学ぶ必要もないといった状態です。

 しかし、明治維新後の日本の目覚しい発展は、日本の知識人が西洋の情報を漢字の知識を駆使して翻訳したことと同時に、それを理解することのできた日本国民が全国にいたということを忘れてはならないと私は思うのです。
 技術としての学問なら、使える英語・英会話やIT関連の知識・技能で十分です。大切なのは、そうしたツールをどう生かし、何をするかということを創造できる力なのではないでしょうか。

 漢字一字一字が持つ豊かな構成の理解、そして、外国語(漢文)を効率よく翻訳した訓読という技術は、日本人の学問的な素養として、今なお色あせないと思うのは私だけでしょうか。すでに漢字の本国では便利さを求めたためにその形自体が変えられていますし、隣国でも独自の文字を使っています。漢字の持つ何千年もの歴史・伝統を継承するのは日本だけと言っても過言ではないのです。古人が、その昔に憧れ、追いつきたいと思った国の文化を大事に守っているというのは、決して愚かなことだとは思いません。

 私は、小学校の時に両親に買ってもらった本がいまだに自室の本棚の一番前に置いてあります。何度も読んで、それぞれの漢字の成り立ちに興味を覚えました。数年前に、もしこの本がまだあるのなら子どもたちに紹介したいと思いネットを検索したら……まだ、ありました! もう三十年以上も前に刊行された本が、改訂を重ねていまだに売られていたのです。

下村昇=著・まついのりこ=絵『下村式 唱えておぼえる 漢字の本』(1年生~6年生)


 私は辞書マニアでもあるのですが、漢和辞典ほど一回一回に発見のある辞典はありません。その漢字の成り立ち、時代による音(読み)の変遷、数多くの訓読み、熟語の数々……日本語の豊かさの始まりが、憧れの隣国から頂いた文字にあることを考えるといつも、文化や学問の奥深さに圧倒されるばかりなのです。

 技術そのものではなく、技術を人間が豊かに生きるためにいかに使うかということを切り開くことのできる学問、つまりは、これまでの日本人が築いてきた教育のあり方を、漢字・漢文とともに子どもたちに伝えていける国語の先生を増やしていきたいです。

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