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『徒然草』―名言ハイライト3 第百五十段―(2013年8月18日)

 私は、四年前に突然思い立って以来、英会話を勉強しています。その理由と是非は置いておきまして、“うわ、今日のクラスは海外経験のある人ばっかりだ! まるで会話についていけない!!”なんて時には、必ずこの『徒然草』第百五十段を思い出します。

 いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨(こつ)はなけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能(かんのう)のたしなまざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ、人にゆるされて、雙(ならび)なき名を得ることなり。

 「いまだ堅固かたほなるより」とは、「堅固(けんご)」が「一向に。全然。」、「かたほなり」が「物事が不完全なさま。不十分だ。未熟だ。」の意味なので、「まだ全然未熟なうちから」(今泉忠義先生訳。なお、「堅固」という語には「今も中国地方では方言として用いている」という注が付されています。)ということです。
 「つれなく過ぎて嗜む人」の、「つれなし」は「そしらぬ顔だ。平気だ。」といった辞書にある意味をとればよいでしょうか(今泉先生の「意に介しないで」もいい訳ですね)。
 「嗜(たしな)む」は、辞書に「好んで精を出す」という意味が示してありますが、ここでは“稽古や勉強に励むこと・打ち込むこと”、現代語の“頑張る”といったニュアンスでいいのかな、と思います。よって、「つれなく過ぎて嗜む人」とは、下手くそだな、場違いだなコイツ…なんて悪口言われて笑われたりしても「そしらぬ顔してやり過ごして頑張る人」ということです。
 「骨(こつ)」とは「芸道の奥義。また、それを会得する才能。」だということです。
 「なずむ」とは漢字をあてると「泥む」で、「行き悩む。難渋する。」とか「こだわる。執着する。」とあるので、今で言えばスランプ状態のことでしょうか。
 「みだりなり」とは「秩序がなく、乱雑なさま。勝手気ままなさま。ふしだらなさま。」とあります。単に怠けるというだけではなく、先生の言うことをきちんと実践しないでいることも含まれると私は考えています。
 スランプだからといってくよくよ悩むこともしないし、稽古や学習の方法を自分に都合よく変えて怠けたりすることがなければ、「堪能(かんのう)のたしなまざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ、人にゆるされて、雙(ならび)なき名を得ることなり。」だというのです。

 「堪能」とは「じょうず。達人。」と辞書にはありますが、ここは「天性その骨」がないという人間と対比でとらえるとしっくりきます。対象となる事物へのセンスがある人・勘の良い人のことを言っているのだと思います。

 ここまでの流れを整理すれば、兼好は、才能やセンスがなくても頑張り続ける人は、最後には才能・センスのある人より、その道でナンバーワン・オンリーワンになるのだと言っているのです。

 ピアノ教師をしている叔母からも何度も聞かされました。
 ――下手でもピアノが好きで練習をさぼらない子は、“自分が本気出したらこんなもんじゃない”とか何とか言って練習しない子よりも上手になるのよ――と。“え~、おばちゃん、兼好の言ってることと同じこと言ってる!?”と驚いたものです。

 実は兼好は、もう一つ大事なポイントを強調しています。頑張るにしても「みだりにせずして年を送れば」という点です。兼好は最後にもう一度、「道のおきて正しく、これを重くして放埓(ほうらち)せざれば」ということを述べています。
 ――皆さんの周囲でもいませんか。やり方が間違っているという人が。「道」は文字通り「道」であって、そこを外れてはいけないのです。「道」を外れての「近道」などあるべくもなく、楽をして、即席に、自らが望むような高みには到達しないということです。
 しかもそれは「諸道かはるべからず」なのです。

 同じクラスに帰国子女の高校生や大学生がいたって、海外出張のある企業にお勤めの人がいたって気にしません。「つれなく過ぎて嗜む人」と心の中でつぶやいて、授業時間いっぱい一生懸命に会話を試みます。なぜなら、私は英会話初心者だからです。先生やスタッフの方が言った通りに予習・復習は必ずしています。TOEICテストの点が伸び悩んでいるのは事実です。でも、ハウツー本を買いこんだりせずに、ひたすらCDの音声に合わせて英文を音読しています(笑)。そうするのがよいと、どの先生もおっしゃるからです。
 ――いつかペラペラになりたい。本気でそう願いながら、帰宅してから毎日学習しています。

 「つれなく過ぎて嗜む人」――私にとっては、夢を叶える勇気をくれる言葉です。

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