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2013年 夏の学会・研究会のまとめ⑧〔廃刊メルマガ記事より〕(2013年1月30日)

 現在、昨年夏の学会・研究会のまとめをしています。第8回は、京都の花園大学で実施された〈解釈学会全国大会〉の第3弾です。今回は、第二会場「国語教育」分野の研究発表の続きで、残るお二人のうちお一方の発表について報告したいと思います。


 日本女子体育大学教授 稲井達也先生「小説の読みに与える社会的状況の影響―中学2年の教材『アイスプラネット』と『盆土産』に即して」

 「中高生の読みの質が変化していること」、具体的には「生徒の読みが別の意味で均質化していたり、教師の思いもつかない誤読が見られたりする」要因が、生徒たちが置かれている「社会的状況」にあることについて、現場の先生方の『アイスプラネット』と『盆土産』の実践をもとに分析された研究発表でした。

 椎名誠作『アイスプラネット』は、居候の「ぐうちゃん」(「ぐうたら」から来ている)に対する、中学生の「僕」の心情の変化を読み取ることが学習の中心となっています。「定職に就かず、好きなときに好きなように働く「ぐうちゃん」の生き方は(キャリア教育の観点からは)推奨できる生き方」ではないと言えます(作品中でも、最初は「ぐうちゃん」の「ほら話」が大好きだった「僕」でしたが、その「ほら話」を友人たちに馬鹿にされたことがきっかけで、「僕」は「ぐうちゃん」から距離を置くようになります。その後「ぐうちゃん」も居候を卒業します)。

 しかし、生徒の読みは、「ぐうちゃん」が「広い世界につながっている人物であり、価値観の多様性を体現した人物である点」、その「自由な生き方を肯定する点において特徴的」であるということでした。「新たな競争社会や、コミュニケーションの困難な社会」において「どこに本当の価値があるのかを見出そうとする読みに収斂していった」ことが指摘されました。

 三浦哲郎作『盆土産』は、「出稼ぎ中と思われる父親の家族への思いを、土産として持ち帰る「えびフライ」に託して象徴的に描いた作品」であり、「授業では、作品の時代背景や出稼ぎについて説明した」にも関わらず、「一部の生徒の読み」に明らかな誤読が見られたのだということでした。

 「父親が家族と離れて暮らしているのは離婚家族のためである」、「えびフライを持ち帰ったのも、家族への後ろめたい気持ちを取り繕うため」といった読みについて、「他の生徒たちはこの読みをした生徒に対して疑問をもつことはなかった」ということでもありました。そして、「えびフライ」が貴重品であることは理解できたとしても、「都市の消費生活の中に生きる生徒たちにとっては、食べ物への憧れという感覚は想像力でも補いにくい次元にある」と述べられました。

 会場でも、子どもたちを取り巻く社会的状況が小説の読みに与える影響について、これまでの方法では切り開いてはいけない、それほど深刻な事態を迎えていることに対する危機感が共有されました。 

 ※なお、小説が読めないという問題については、私も先にブログで触れています。

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