見出し画像

2013年 夏の学会・研究会のまとめ⑩〔廃刊メルマガ記事より〕(2014年2月28日)

 現在、昨年夏の学会・研究会のまとめをしています。第10回は、京都の花園大学で実施された〈解釈学会全国大会〉の第5弾、最終回です。今回は、公開講演の概要です。

 公開講演 京都大学名誉教授 濱田啓介先生 演題「別れの時の言い方――さらば考」

 濱田先生は、以下のような区分でそれぞれ詳細な用例を示し、古典文学における「別れの詞」の変遷についてお話されました。

 A 王朝文学における別れの詞
 B 中世文学における別れの詞
 C 近世前期文学における別れの詞
 D 近世中期文学における別れの詞
 E 近世後期文学における別れの詞

 Aの時代には定型の表現がなく、「唯一定型らしい形は、「  」とて(と聞こえて・などて)出てゆく(帰る・まかづ)」である。離行に際してまた来ることや離行のやむを得ないわけを伝えるということで、相手の感情を損なわないようにすることが大切だと分析された。

 Bの区分では、中世後期に感動詞〈さらば〉が成立する(一方で、「中世前期文学上に、〈さらば〉の感動詞としての用例は確認され」ず、〈暇申してさらばとて〉といった慣用表現があった)。

 Cはだいたい17世紀であるが、〈さらば〉が文語的にとられてくるようになり、Dの18世紀では〈おさらば〉が遊びの世界の言葉(洒落本の用例から)として登場し、全国に広まる。また、〈御機嫌よう〉や〈さらば〉が口語化した〈左様なら〉が登場する。

 Eの19世紀になって、〈左様なら御機嫌よう〉の用例が特に多いが、〈ハイ左様なら〉といった表現も用いられる中、〈さよなら〉が登場する(当初はぞんざいな物言いであり、定着するのは明治期である)。なお、濱田先生は〈さよなら〉の用例を『日本国語大辞典』が掲載する「膝栗毛」より十六年早い「軽世界四十八手」で確認したという。

 最後に、濱田先生ご自身で“世界の別れの詞と並べてみてはおもしろいのではないか”と提案されて講演は終了しました。

 私の専攻は国語学で、通史的な研究には大変興味があり、おおいに刺激を受けました。こうして、昨年夏の解釈学会は幕を閉じました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?