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猫人間

『五十嵐』と書いて、『ごじゅうあらし』と読みます。

さて、前半の『五十嵐 』をどのように読んだろうか。
ほとんどの人は『いがらし』と読んでしまい、後半の『ごじゅうあらし』には違和感を覚えるだろう。しかし小学校低学年や漢字習いたての外国人は『ごじゅうあらし』と読むかもしれないし、実際に『ごじゅうあらし』と発音する苗字の人もいるらしいので、そうした人達にとって上の命題は何ら違和感のない当たり前の事実でしかない。一つの命題(主語と述語のある文章)として、どちらが正しいのか。

実際、上記の場合では『五十嵐』は『ごじゅうあらし』と『いがらし』という音が同居していることになってしまう。『ごじゅうあらし』という音を観察するまで『五十嵐』はどちらの音か決まっていない状態だからだ。『ごじゅうあらし』という音を観察することによって『五十嵐』は始めて読み方が決まるのだ。特に日本語の場合、一つの漢字に複数の読み方があり、「青空」であっても次の「空」が出てくるまで「青」は「あお」なのかどうかわからない。「天」がくれば「せいてん」なので「青」の読み方は「せい」になる。我々が文章を読む場合、現実的には熟語を塊として捉えるているが、こうして後ろから判断しないと前にある言葉の音声がわからないという事態も生じるのである。

ということでね、シュレディンガーの猫的な状況、こうして量子力学的な視点で言語学を分析してみるのも面白いですね。で、さっきからぺちゃくちゃうるさい『しょうじ』さん。ええっと、『しょうじ』さんでいいんだよね。聞いてますか、『しょうじ』さん!

「え、私ですか?私は『しょうじ』ではありませんが……『とうかいりん』という者ですが」

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