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オルタナ右翼(2016)

オルタナ右翼
Saven Satow
Nov. 17, 2016

「現実は自己主張するものだ」。
バラク・オバマ

1 オルタナ右翼とは何か
  2016年11月13日、ドナルド・トランプが首席戦略官・上級顧問に選挙選で最高責任者を務めたスティーブン・バノンを起用することが明らかになる。彼はオルタナ右翼のレトリックを垂れ流すニュースサイト『ブライトバート・ニュース』の会長を務め、極右として知られている。そこでは反移民・反イスラム・反ユダヤ・反フェミニズム・反LGBT・反エリートなどの言説に溢れている。この人事をめぐり、民主党のみならず、共和党からも右翼扇動者の政権幹部入りと非難が相次いでいる。

 「オルタナ右翼(Alt-right)」は「オルタナティブ右翼(Alternative Right9」の意味である。アメリカにおける主流の保守主義が現状維持であるとしてそれへの「代替案(オルタナティブ)」としての右翼だ。

 オルタナ右翼にはいくつかの特徴がある。ナショナリズムを訴え、多文化主義や移民、新しい権利に反対するなどリベラル・デモクラシーを攻撃する。また、エリートや既成政党システムは特殊意思の利益にすぎず、一般意思を反映すべきだという右派ポピュリズム──正確にはボナパルティズム──である。さらに、ドナルド・トランプを支持し、大統領選挙の投票結果を参考にすると、信奉者は白人男性が中心で、教育歴は必ずしも高くないと思われる。彼らの主な活動の場はインターネット上である。マスメディアも既成政治擁護していると見なし、ネットにこそ真実があると偏見やデモを都合よく理解・拡散している。言わば、米国のネット右翼である。

 トランプ当選により、全米で白人至上主義や女性蔑視、性的少数派差別などの嫌がらせが相次いでいる。例えば、高校生が校内で壁を作る映像がSNSに投稿されている。CNNによると、当選一週間も経っていないのに、11月15日時点で、すでに500件以上が人権団体によって報告されている。また、バラク・オバマ大統領も国粋主義的な振る舞いの危険性を警告している。あからさまな暴力は確認されていないが、今後エスカレートする危険性が高い。トランプ勝利がオルタナ右翼の言動・行動の公認と受けとめられている。

 オルタナ右翼はナショナリズムを中核にリベラル・デモクラシーを攻撃してアイデンティティを確認する。こうした右翼の台頭をアメリカの文脈だけで捉えることは適切ではない。と言うのも、先進諸国ですでにネオ右翼が伸長しているからだ。グローバルな現象と言える。

2 急進右翼とネット右翼
 欧州では1980年代末から移民排斥を掲げる「急進右翼(Radical Right)」が台頭している。ナショナリズムを中核にしている点は共通しているが、彼らは、戦間期に、復員兵を中心に伸長した規制右翼と違い、明確な反議会主義をとっていない。その区別のためにネオ右翼には「急進」がつけられている。

 なお、「急進主義(Radicalism)」は左右を問わず反議会主義の過激派を指す。ファシズムは右、ボルシェビキズムは左のそれぞれ急進主義である。

 急進右翼は、確かに、議会主義を敵視してはいない。実際、急進右翼は政党を結成し、選挙に参加している。しかし、秩序のために自由を制限したり、権威主義的手法に好意的だったり、ジェンダーやセクシャリティといった新しい権利に否定的だったりするなどリベラル・デモクラシーと対立する。

 急進右翼政党は競争的民主主義、すなわち各アクターの競争と牽制による政治のダイナミズムに肯定的ではない。他勢力に対して非妥協的・排撃的である。既成政党やエリートを特殊意思と攻撃し、一般意思による統治を目指す右派ポピュリズムである。

 急進右翼政党の主な支持者は男性で、労働者や宗教への帰属意識が低い人といった傾向がある。彼らは祖国が移民を始め脅威にさらされていると悲観的に見通しつつ、それを排撃すればよいという楽観的解決を提示する。そんな急進右翼はその時々の問題を批判し、選挙の際に得票を伸ばしている。

 急進右翼がリベラル・デモクラシー、すなわち多元的民主主義を標的にするのは、それが現代の国内外における共通理解だからである。今日の国際・国内政治はこの原理に立脚して進められる。もちろん、万能ではないのでさまざまな問題が生じる。社会を苦しめているのはそれが原因だと糾弾すれば、床屋の政治談義の内容と同じでも、自分たちの存在意義も示せる。

 ただ、概して、指導者の個性に依存し、個人商店のように、その人気に勢力の盛衰が左右される。また、党内民主主義を始め制度が未整備で、意思決定過程も不透明である。そのため、幹部に不満が募って内紛に発展したり、指導者の死に伴い党が衰退・離散したりする

 日本のネット右翼も急進右翼と同様にリベラル・デモクラシーを攻撃している。それを指向する戦後民主主義を排撃し、歴史修正主義を主張する。民主主義が抑圧された15年戦争期の工程であるから、議会の理想像は大政翼賛会がであろう。ただ、彼らは、従来の民族派と違い、戦後憲法にコミットメントする天皇にさえ罵詈雑言を浴びせかける。

 インターネットを主な活動の場とするネット右翼の出現は、その名称が示す通り、90年代後半からである。日本はほとんど移民を受け入れていない。彼らはその代わりに帝国主義・植民地主義政策によって日本に在住することを余儀なくされた人々を標的にする。その攻撃の反動として自らの自己同一性を確認している。また、概して、歴史修正主義の要求から三国同盟を正当化するため、ナチスに好意的で、反ユダヤ主義にも賛同する。

 ネトウヨは安倍晋三の熱狂的なサポーターとして知られる。また、彼のFBから明らかなように、安倍もネット右翼にシンパシーを抱いている。彼が政権を握ったことで、ネット右翼は自分たちの言動・行動が許されると認知し、それらを仮想・現実空間のいずれでも展開している。

 自民党は、従来、保守主義の包括政党である。しかし、安倍が総裁に就任すると、党内はアドルフ・ヒトラーに対するネヴィル・チェンバレンのように妥協し、彼の一派に党を乗っ取られてしまう。自民党は今やネトウヨ政党と化している。日本は、欧州と違い、ネオ右翼が統治を担当することを許している。

 このように、オルタナ右翼は急進右翼やネット右翼との共通点を持っている。だから、米国の文脈だけでその伸長を検討しても十分ではない。こういったネオ右翼が世界的に台頭するのに社会的・時代的背景が見出せる。最大の原因は社会の組織化の弱体化である。

3 社会的・時代的背景
 私的存在の個人は組織化された社会、すなわち共的空間を通じて公的領域の政治に関与する。アイデンティティはこの組織化が個人に与える。労働組合や地域共同体、職業団体、同業者組合、教会、モスク、黒人地位向上協会、フェミニスト団体などにより個人は複合したアイデンティティを持つ。これらの具体的な共同体や組織を共通基盤として他者と連帯感を抱く。アイデンティティは個人の自己同一性であるが、それは他社との共通性を前提にしている。私と共の複合がその人のアイデンティティである。

 リベラル・デモクラシーはこうした組織化された社会に基づき、コミュニケーションを通じて意思決定が追及される。多元的政治参加によって相互信頼が高まり、民主主義の制度はそれを前提にする。民主主義は制度が整備されていさえすれば、機能するわけではない。社会に信頼とお互い様の人間関係、すなわち社会関係資本が満ち、その制度の共有をお互いに信じられることが必要だ。民主主義が十分に機能するために、社会関係資本の蓄積を継続し、社会的包摂を進めなければならない。社会の分断の船頭はそれだけで民主主義を危機に陥らせる。

 ところが、都市化の進展や移民の増大、グローバル化により、政治的・経済的・社会的構造が変容する。それは社会の組織化を脆弱にしている。政治参加から疎外されているという意識が人々の間で強くなる。そのため、既成政治への不満が募り、民主主義への不信も高まる。

 その弱まりは個人のアイデンティティをあやふやにする。共が分断し、私が浮遊してしまう。そんな個人の中に私を国家と直結し、アイデンティティ取り戻そうとする動きが現われる。国家は、地域コミュニティに比べて、抽象的である。その分、汎用性が高く、失われたアイデンティティを埋めるにはお手頃だ。

 リベラウ・デモクラシーは多元的な社会を基盤とした国家を前提にする。しかし、国家にアイデンティティを見出す者にとってはそうではない。国歌と自己のアイデンティティが一体であるから。社会はそれを脅かすものとして映る。国家以外の複合的アイデンティティを許容するリベラル・デモクラシーを攻撃する。

 もともと、アイデンティティの危機を感じているので、自らの基盤は脆弱である。そのため、ステロ・タイプに依拠して多元的な他者を排撃する。彼らはそれによって自己の同一性を確かめている。

 国家は抽象的であるから、ネオ右翼はそれを具現する指導者を求める。その人物はリベラル・デモクラシーを侮蔑し、国家の誇りや栄光を取り戻すと叫ぶ。ネオ右翼は自分と同じ価値観を信奉すると共感し、指導者として支持する。彼らはその人物へのコミットメントが国家と自分をつなぐと信じる。

 この人物はシャルル・ド・ゴールのようなカリスマ性のある大物であってはならない。政治的意見が異なる人でさえ敬意を払う人物はリベラル・デモクラシーを反映しており、ネオ右翼の代表ではない。既成政治を罵倒する滑稽な反エリートでなければならない。常識ある人々が顔をしかめたり、嘲笑したり、呆れたりするエキセントリックな反知性主義者こそ望ましい。外部にとってそれは彼らの心情のグロテスクさを表象すると受けとめられる。けれども、指導者がそうした反応を巻き起こすほどネオ右翼は自らの信念を強化する。彼らは反発し指導者を強弁で擁護し、アイデンティティを確認している。

 ネオ右翼にとって最重要の関心事はアイデンティティである。それを正当化するために、その都度、さまざまな知識を動員する。彼らは曖昧な情報や都合のいい解釈、直観的な経験などを恣意的に組み合わせる。文化は継続性を意識させるので、それを断片的に寄せ集めて伝統に仕立て上げ、アイデンティティの根拠としている。

 経験科学的・学問的検証に耐えられないのだから、このアイデンティティは主観性に基づいている。彼らにとってそれが言語化せずともわかることが連帯感である。外部がそれを理解できないことが自らのアイデンティティの確からしさだ。実は、エリートを批判しながらも、彼らの態度はエリート主義的で、屈折した権力意識を底に見出せる。

 ネオ右翼の主張はグロテスクなパッチワークで、イデオロギーと呼べるほどの洗練も体系性もない。そのため、しばしば感情や信条と見なされる。ただ、そうしたまとまりのなさがその時々に都合のいいリベラル・デモクラシーへの批判を導き出せる。この場当たり的な姿によって彼らを観察する論者によって見解が分かれる。その場しのぎに過去を引き出すのだから、彼らの思想的起源を探る試みも無意味である。

 このような極論御持ち主はこれまでにもあちこちにいたことだろう。ただ、現在はインターネットがある。ネットが彼らを結び付ける。点と点がインターネットによって戦になり、そうしたグラフがコミュニティを形成する。かりにオルタナ右翼が各州に1,000人いたとしよう。一つの州でばらばらのこの人数であれば、政治に影響を与えることなどない。しかし、まとまった5万人なら、話が違う。社会の組織化が弱まっていると、この曲論の大声が効いてくる。

 このネオ右翼とネットとの関係は自称イスラム国を始めとするイスラム主義と共通している。彼らはイスラム主義者を自分たちと違うと主張するが、実際には、ネットの利用のみならず、信念の内容を別にすれば、認知行動の点でよく似ている。いずれの伸長も同様の社会的・時代的背景から検討を食わるべきだろう。

 また、このコミュニティにはサイバー・カスケードが働く。こうした同質的な集団では、異質な意見による修正がないので、過激化する。彼らは自らの信条に反する対象を攻撃している。その上で、自分たちに対する批判に反発することでアイデンティティを確かめる。

 このようにネオ右翼は形成され、成長してきている。彼らは社会の組織化の衰弱の産物であるオルタナ右翼も同様だ。今先進諸国で繁殖するネオ右翼はナショナリズムを中核にリベラル・デモクラシーを批判してアイデンティティを確認し、一般意思の統治を実現しようとする右派ポピュリズムであえる。議会主義を敵視していなくても、今日の国際社会の共通理解であるリベラル・デモクラシーを否定するのだから、極めて危険である。

 そのため、オルタナ右翼を始めネオ右翼の活動は社会の分断を促進させる。それが再帰的に自らの勢力拡大につながる。ドナルド・トランプはそれを具現化している。
〈了〉
参照文献
平島健司他、『改訂新版ヨーロッパ政治史』、放送大学教育振興会、2010年

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