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STAP細胞事件と科学者のエートス(2014)

STAP細胞事件と科学者のエートス
Saven Satow
Apr. 17, 2014

「的は、必ずしも命中させるために立てるのではなく、目印の役にも立つのである」。
ジョセフ・ジュベール『思索・箴言・随想』

 STAP細胞事件をめぐる報道にゴシップめいたものが少なからずある。中傷記事は論外だが、科学社会学的観点から見ると、そこにも科学技術と社会の関係が現われており、意義がある。それは、現在の研究者を動かすエートスが何であり、なぜそうなのかという考察である。

 科学の研究者を動かすエートスについて、米国のロバート・K・マートン(Robert King Merton)が、『科学、技術、および社会(Science, Technology & Society in Seventeenth Century England)』(1970)において、その共同体の基礎にある価値観に求め、それを「CUDOS」であると述べている。

 Communality(公有性)
 Universality(普遍性)
 Disinterestedness(無私性)
 Organized Skepticism(組織化された懐疑主義)

 この四つの価値には説明が要るだろう。第一の「公有性」は研究社共同体で見出された知識は個人に所有されるものではなく、公共財だという意味である。第二の「普遍性」はその知識はTPOに限定されるものではないということだ。第三の「無私性」は研究成果が個人の利益と無関係なことを表わす。第四の「組織化された懐疑主義」は物事を鵜呑みにしてはならないが、むやみに疑うのではなく、科学的検証を伴っている必要があるという姿勢である。科学には懐疑が不可欠だ。けれども、研究社共同体が妥当と認める手続きを経て確証された成果はひとまず信頼する。

 マートンによるこの主張は、率直に言って、理想論である。このエートスに則っている研究者もいるだろうが、一般化するには無理がある。全体主義を始めとして政治が科学に介入して知見を歪めたことも少なくない。また、組織や企業、業界が利益を守るために科学に圧力をかけたり、取りこんだりすることもある。さらに、研究者が功名心や嫉妬、我欲にかられて醜悪な行為を働いている。「自分の協力者が研究成果に対して持っている貢献を一切無視する、後継者が自分の研究の成果を利用しないようにするために醜い工作をする、ライヴァルと思われる研究グループにスパイを送り込む、他人の研究成果を横取りする、他人の優秀な研究成果がなるべく発表されないように画策する、報道に携わる者を脅迫してそうした悪評が世間に流れないようにする……」(村上陽一郎『新しい科学史の見方』)。

 ゴシップ記事も科学のありようから離れているわけではない。STAP細胞事件でも同様である。

 こうした実情を踏まえて、英国のジョン・ザイマン(John Ziman)は、『縛られたプロメテウス(Prometheus Bound: Science in a dynamic steady state)』(1994)において、「CUDOS」に代えて「PLACE」が今の研究者のエートスだと主張する。

 Proprietary(所有的)
 Local(局地的)
 Authoritarian(権威主義的)
 Commissioned(請け負い的)
 Expert(専門家的)

 このエートスにも説明が必要だろう。第一の「所有的」は知財の発想である。第二の「局地的」は、知識は専門家コミュニティだけで認められ、利用されていればいいという認識である。第三の「権威主義的」はそのムラ社会では権威が幅を利かすということだ。第四の「請け負い的」は事業を請け負って研究・開発したり、成果が社会利用されるのを待ったりしている科学者の姿を指している。依頼された内容と費用に応じて集められたメンバーでプロジェクトを組み、研究・開発に取り組んで成果を出すのが今では普通だ。また、成果が真理として認められるよりも、それを公的機関や企業に売りこむことに科学者も熱心である。第五の「専門家的」は専門バカの意味である。

 この科学者コミュニティのエートスは、全員がそうではないにしても、実態をよく示している。科学者にとって研究はもはや好奇心を満足させるものではない。キャリアを上昇させるために利用するものだ。

 STAP細胞事件をめぐる報道には、この「PLACE」を伝えるものも少なくない。インパクトの大きさを演出する派手な記者会見を行っている。小保方晴子研究ユニットリーダーは私物のパソコンで研究データを管理している。理研の調査委員会は疑惑の範囲を6点に限定してしまっている。論文の共著者は他の研究者による記述に目を通していない。笹井芳樹理研副センター長は論文押上げに協力しただけと責任逃れに走る。挙げればきりがない。

 ただ、これには科学と技術が融合し、研究と開発が絡み合っている状況が影響している。現代社会にとって科学技術を欠かすことはできない。製品やインフラだけでなく、制度もそれに立脚している。国家は成長戦略として期待を寄せている。科学技術に対する社会の需要は増加する一方だ。

 研究は開発を前提に行われ、科学者と技術者の境界が曖昧になっている。それどころか、研究・開発プロジェクトのリーダーにはマネジメント能力も要求される。経営者でもあるというわけだ。科学研究の環境はチャールズ・ダーウィンの頃と大きく異なっている。

 ちなみに、科学論文の不正行為は次の3種類に分類される。

 Fabrication(捏造)
 Falsification(改ざん)
 Plagiarism(盗用)

 この頭文字をとって、通常、「FFP」と呼ばれる。「CUDOS」が守られているなら、この不正は起きないはずだが、残念ながら現状はそうではない。

 STAP細胞事件は現代の科学技術と社会の関係における問題点を体現している。この再発防止は科学者共同体が「PLACE」から距離を置くにはどうしたらいいかになる。その際、「CUDOSと反省的に向き合うことが求められよう。もちろん、マートンのエートスは理想である。しかし、科学研究には理想の想定も必要だ。その上で、条件を変えた時にどうなるか仮説を立てて、実験を行って検証する。敗北主義は科学者の態度ではない。
〈了〉
参照文献
村上陽一郎、『新しい科学史の見方』、日本放送出版協会、1997年

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