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グッドモーニング,レボリューション(2)(2014)

2 ドゥルーズ=ガタリ
 残念だけど、フェリックスは彼らのサウンドを聞く前に亡くなっているんですね。フェリックスと呼んでます。私淑ってやつ、何か他人のような気がしなくて。心の師と言うか何と言うか。How do you remind me?やっぱ、時代はオルタナティブです。それをフェリックスは分子革命って概念で語っているんですね。詳しくは後でね。一九八〇年前後にさ、最近の「帝国〈Empire〉」とおんなじように、彼らの言説に由来した「スキゾ」=「パラノ」の二項対立があまりにも安易な比喩として現代社会分析の分析に使われていたけども、到来してきたのはスキゾ的社会じゃあない。非線形的社会。

 ネグリとハートの『帝国』と言えばさ、佐藤清文という批評家が2004年にその批判を欠いてんの。その人知ってる?知らないよなあ。無名だもの。まあ、いいや、で、その批判のタイトルが『コモンウェルス』っていうだよ!そう、当人たちがその後に書いた本のタイトルと同じ!笑わすよなあ!当時さ、健気に書いた原稿、あちこちに売りこんでてね、結局ダメだったらしいけど。『群像』の元編集長の渡辺勝夫さんにも見せて、気に入られたらしいけどね。

 その二項対立は、当時、フェリックスとジル・ドゥルーズとの共著『アンチ・オイディプス』に由来すると考えられている。欲望はさまざまな出来事を生産する機械であり、無意識は「欲望する機械(machine désirante)」の組み立てからなる工場。この「機械」という概念は拡大して使われ、欲望する機械のほか、社会機械や技術機械とかってのもあったけど、その間には特に違いはないんですね。伝統的に、西洋形而上学では欠如したものを獲得しようとするのが欲望の根本特性と見なしてきたのであって、その点では、ジークムント・フロイトも例外じゃない。女の子はちんちんのない男の子ってわけ。♪金太守って、金太守って。そうウィーンの精神分析医が言ったかどうかじゃなくて、そんなふうに解釈されてきたってことだからね。勘違いしないように。

 最初に言い訳しとくと、今回の話す内容をあらかじめメモってあるんで、途中書き言葉を読んでるみたいになることがあっと思うけど、そこは勘弁。そんなのダメだっぺ?暗記できるわけねっぺよ~。二時間以上もしゃべるんだっぺよ~。で、本のタイトルとか固有名詞とかは日本語だけでなく、原語でも紹介する。もうやってるよな?本とか論文とかの発表年も一応触れる。忘れることもあるかもしんないけど、そこも堪忍してや。

 ラジオは話し言葉だよなあ、あたりきしゃりきだけど、書き言葉と違う。話し言葉は話す傍から消えて組んで、相手にわかってもらうために、一つの文の情報量を減らして、繰り返しを使う。例えばさ、こんな文を考えてみ。「ここに三本の鉛筆がある」。司馬遼太郎みたいだな。書き言葉ならこれでいいんだけど、話し言葉だとそうはいかない。「はい、みなさん、ここにあるのは?そうです。鉛筆です。鉛筆があります。数は、一、二、三。三本です。鉛筆が三本、ここにあります」。これだけしつこくやっても話だと気にならないわけよ。田中角栄って知ってつでしょ?まあ~この~。角さんは話し言葉の典型。しゃべる、しゃべり、もうしゃべりまくる。でも、論理的脈絡がない。わかった気にさせるんだけど、よくよく考えると、わかんない。これが話し言葉。

 話し言葉はだいいたい一分あたり原稿用紙一枚換算なんだよ。個人差あるけど。ま、原理はね、書き言葉は共通語の話し言葉の表記なんだ。でも、話し言葉と書き言葉は違うんだよ。書き言葉と話し言葉を変換する時は、工夫が要んのよ。だから、おしゃべりなのはラジオのせい。パーソナリティのせいじゃない。あ、でも、ラジオのパーソナリティって言うか?混乱してくるねー。

 おまけに、日本語は同音異義語が多い。同音異義語。わかる?同じ音で違う意味の単語。例えば、「kiminonawa」と言われても、君の名前の「君の名は」なのか、それとも君のロープの「君の縄」なのかわからないってこと。メロドラマかSMドラマかわかんあい。え?違う?わかってるよ。お約束じゃないのよ!嫌だな―。「ほうそうかい」と言われても、メディアの「放送界」なのか法律関係の「法曹界」なのかわからないってことだろ?わかってるんだって!わかってる、わかってる、わかってるから、黙って俺について来い!

 同音異義語の時は誤解されないために、漢字や英単語で説明することがあるね。パンチョ伊東さんは、ドラフト会議で、「『せい』はセックスの『性』」とあの甲高い声で叫んでね、字はわかったけど、他に言いようないかねえ。

 わかると言えばさ、「わかる」には謙譲語がない。本当だよ。いいか、丁寧語は「わかりました」で、じゃあ、謙譲語は?「わかり致しました」?言わんだろう?日本語にはない表現ってのがある。これを考えることも楽しいぜ。ラジオのアナウンサーは「正しい日本語」に神経質な人が多いけど、それは文法って言うより、価値判断。「美しい日本語」と変わんない。言語は暗黙知なわけで、それを明示知にする方が知的だ。外国語としての日本語を考える。それをせず、正しい日本語とか美しい日本語とか言っているのは、詞好きの言葉知らずってとこよ。

 放送なんかやってるとさ、ほんの一つの単語だけ頭に残っちゃってね、全体の流れをまったく無視して、抗議してくる義憤にかられた正義漢がいるけど、そういう見切り発車はやめてよね。交通事故の原因だし。テレビで科学を使って料理など舵を簡単にすると言う特集でも、トラブルが起きているらしいね。ながらで視聴していてろくに内容を理解していないのが理由なのに、うまくいかないと局に抗議したり、ブログで非難したり。専門的に言うと、その人は読解モニタリングに欠けている。それは自分が理解しているだろうかと自問すること。まあ、こういう人に読解モニタリングをしろと言ってもしないだろうからね。全体の把握が下手な人はね、図にすると癖をつけるといいんだ。図にしようとすれば、一部だけに囚われていてはできないでしょ?A、B、C、D、Eとあってさ、図にするときは、それぞれの役割とか関係とか描かないといけないでしょ?Cでおしまいはないよなあ。やってみたら?

 無意識の欲望により生産されるのは、ま、無意識なんて精神医学の主流派は使わないんだけど、おちんちんみたいに、実在に欠けている幻想。これに対して、DG(浅田彰教授がこう呼んでます)、DGは実在的な生産過程を欲望に認める。こうして欲望は、実際に、個人の芸術活動から社会の歴史まで、政治だろうと経済だろうと美学だろうと、多様性を形成する過程として肯定されるわけ。欲望する機械は、家族や国家の中に閉ざされる以前に、哲学史上の巨匠ゲオルグ・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル教授の『法哲学』に反して、すでに社会や技術の歴史と密接な関連の中にある。

 そういや、ヘーゲルの自筆の書きこみ本が見つかったんだって?ドイツに留学していた獣医師の今泉さんって人が購入して、母校の旧制小田原中学に寄贈していた本がどういうわけか古本市場で売られていたらしいよね。名前も入ってたらしいけど、何でかねえ。なあ、こんな記憶があるんだよね。大学の時、図書館でバイトしててさ、寄贈された本の整理を一人でやっててね。とある有名なキリスト教の研究者がお亡くなりになって、所蔵していた本を遺族が大学に寄贈することになったらしいんだわ。遺族から送られてきた段ボールに入っってるのを出して、大学の御用意したこれまた段ボールに分類分けして移し替える。それが仕事。そこに、ルターの『キリスト者の自由』の初版あってね、マジ?と思ったねえ。ルターよ、ルター!”Hier stehe ich”よ。チョーすごくねー?A4サイズの封筒に入っててね、いやー、つい出来心でになりそうになって、あたり見回したもの。誰も見ていない。でも、こういう貴重な本は人類の財産なわけじゃネー?持ってるべき人や持ってるべきところが持ってるべきなんだよ。

 余談はこれくらいにして、資本主義の時代に突入すると、欲望生産はそのスキゾな姿を露出していく。病気の比喩ってあんまりいいもんじゃないです。差別助長もそうだけど、イメージに寄りかかってるとこもあるから。そんで、DGは無意識の欲望を顕在化させる作業をスキゾ分析、ちょっと発音には自信があるよ、schizo-analyseと呼ぶ。フランソワーズ・モレシャンもびっくり。芸術は、当然、欲望を生産する機械。近代資本主義社会は一種のレース。誰もが相手より少しでも早く、少しでも先へ進もうと必死になってる。その蓄積・増殖の拡大再生産を通じて、これが「パラノ社会」ってことなんだけど、今の世界は進歩と成長を成し遂げてきたとしても、もう違うんじゃないの、これからはスキゾよ、スキゾってニューアカが主張して、流行したというのが一九八〇年代前半。イラストレーターの渡辺和博の『金魂巻』がベストセラーになって、(金)と(ビ)が流行語。そういや、あれ、にっかつから映画化されたんだよなあ。知ってる?知らねえよなあ。そんな歳じゃないだろうしさ。当たり前田のクラッカーってとこか。

 そこ、ちゃんと笑う!何、その反応!ここ、笑うポイント!笑って、笑って六〇分。どうもすいません。本人が一番恥ずかしいんだから。ね、わかってやって。

 DGの主張には時代の限界も多い。はっきり言うとね。例えば、「無意識」は精神分析派以外はもうあまり使わない。なんでかっていうと、無意識は病気の原因を心に見出すために必要とされたものだから。精神医学の仕事は病気を治すことだろ?つーか、医者ってそうじゃん?世の中に原因のわかんない病気っていっぱいいあるじゃん?原因がわかんねーから、生活習慣病ってくくってるんだろ?精神疾患は原因がわからない者が多い。うつ病は原因がわからないからうつ病なのよ。よくわかんないけど、抑うつになっちまう。原因はわからないけど、ある種の薬を使うと、症状が改善したりする。ってことで、精神病は脳機能の変調だとして投薬治療をするんで、無意識は用がないんだよ。もちろん、精神療法もするけど、ちゃんと薬を飲んでもらうためとかで、無意識は用がないんだ。こういう時代の限界があるのを承知した上で、読まなきゃな。

 疲れたなー。普段使ってねー頭使うとやっぱ疲れんねー。この辺で一曲行こう。個々からさらに混乱する話に入っていくんだから、ラシッド・タハ(Rachid Taha)の『バーラ・バーラ(Barra Barra)』。アメリカ軍が介入に失敗したソマリアでの紛争を描いた映画『ブラックホーク・ダウン』でも使われている曲です。

BARRA BARRA hozd wel boghd ou zawara
barra barra fezd wel l'hozd ma b'qa amene
barra barra l'alach we ness menhoussine
barra barra la horma dolm wet ouboudia
barra barra nechfou l'widane helkou b'houratte
barra barra noujoum t'fate derguete chems
barra barra ma b'qa kheir la saada wala z'har
barra barra ma b'kate sadjra sektou la t'iour
barra barra ma bka lil ka n'har ghir dalma
barra barra jahanama ma b'ka zine
barra barra k'tar z'mane ma b'kate horma
barra barra fozd l'harb we dem isil
barra barra ghir l'hitane l'hitane waqfine
barra barra l'khaouf wa ness saktine
barra barra l'hozd wel boghd wa zawara
barra barra wel hozd ma b'qa amene
barra barra nechfou l'widane helkou l'bhourane
barra barra noujoum t'fate derguette chems
barra barra ma b'qa kheir la saada wata z'har
barra barra ma b'qa z'djour saktou la tiour
barra barra ma b'qa lil la n'har ghir dalma
barra barra gh'bina jahanama ma b'ka zine
barra barra k'tar z'méme ma b'qate horma
barra barra l'fezed wel harb wa dem isil
barra barra ghir l'hitane hitane waqfine
barra barra l'khaouf ness saktine
barra barra l'hozd fezd ou zawara
barra barra fezd wel hozd ma b'qa améne
barra barra noujoum t'fate derquéte chéms
barra barra ma b'qa kheir la saada la z'har
barra barra ma b'qa z'djour sektou lé tiour
barra barra ma b'qa lil ka n'har ghir dalma
barra barra djahanama ma b'qa zine
barra barra k'tar z'méne ma b'qate horma
barra barra,,,

 “Barra Barra”は英語で「”Get out!”、「出てけ!」って意味なんだけど、歌詞はアルジェリアのアンミーヤなんで何を言ってるかわかんない。アラビア語にはフスハーとアンミーヤがあるんだよ。フスハーはてっとり早く言うと書き言葉で、メディアではこれで話す。アンミーヤは話し言葉で、方言て感じかな。伊達弁でさ、息がきれるってのを「はかはかする」なんて言うけど、西の人はわかんないでしょ?でもさ、意味わかんあくてもいい曲でしょ?

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