ゴジラ-1.0、人間の意地と覚悟の戦いだった(感想・少しネタバレあり)

「誰かが貧乏くじを引かなきゃなんねぇんだよ」

「どうして我々が貧乏くじを引かねばならんのですか!」

「誰かがやらなきゃいけないならやりましょう、戦争よりマシです。死ぬと決まったわけじゃない」




これらはゴジラ-1.0でそれぞれ別の場面で、別の人物が発したセリフです。僕にはこの言葉である出来事を思い出し、そして泣きました。それは、初めて新型コロナウイルスと向き合った時の感情と全く同じだったからです。

劇中では、ゴジラという未曾有の危機、未知の巨大生物に対して戦後の焼け野原となり抗う術をほとんど失った日本人の戦いが描かれていました。この歴代ゴジラの中でも群を抜いて凶暴凶悪、そして理不尽であることは疑いようもなく、明らかに悪意と憎悪に満ちたゴジラはGMKを思い出させるものでした。

このゴジラには何かしら生物的な、何か明確な意図があるというわけでもなさそうで、身を守る術も、対応の仕方も手探りで見つけていくしかない状況というところでした。数々の犠牲を払いながらもゴジラの特性や効果的な対応がわかるようになってきたものの、それでも人間が相手にするには強大な相手であり、戦後の復興もままならない状況で人類が果たしてどこまで戦果を上げられるのかもわからない状況です。

そのような逆境に置かれながらも国を守るために、大事な人を守るために、そして生きていくために、あらゆる手を尽くして立ち向かう登場人物たち。彼らに対する感情移入は止まりませんでした。

そう、僕には途中から、このゴジラが新型コロナウイルスの権化であるかのように見えたのです。この数年間、医療者として幾度もこのウイルスと向き合ってきました。その中でも本当に最初の最初、まだCOVID-19の全容さえつかめず、ワクチンも治療薬のなかったころのことです。


その日はコロナウイルス患者として対応していた患者の容態がさらに悪化し、更なる治療を必要としていました。しかしまだウイルスに対して効果的な薬もなく、どこからどう感染するかもわからない状況です。個人情報が関わるので詳細は伏せざるを得ませんが、一縷の望みをかけてさらなる治療を行うことになりました。そのためには今までになかった方法でその治療の準備をせざるを得ません。一方で無闇にレッドゾーンに入れば医療者で感染者が増えてしまう恐れがあり、対応するスタッフは選抜せざるを得ませんでした。


そこでたまたま勤務していた自分が選抜されたのです。ある程度のその治療の経験があり、不測の事態でもそれなりに対応ができる人員として。




「どうして我々が貧乏くじを引かねばならんのですか!」


そう思いました。僕ではなくとも他のスタッフでもできはしましたが、その勤務帯にいた中では自分が最も適切な人員であることは自覚もしていました。

本当に怖いと思いましたし、経験やスキルがあることを恨みもしました。

なにしろ、どうやって感染するかはっきりわからない。

感染すれば治療法はなく、死ぬかもしれない。

当時の感覚でいえば感染すればほぼ死ぬだろうとさえ感じました。

感染すれば家で帰りを待つ妻と子にはもう会えない。

感染しなかったとしてもしばらくは会わない方が安全かもしれない。


しかし医学的には、その治療方法は妥当性があるもので、効果も期待できるものです。

この治療方法がうまく行けばCOVID-19に対する治療として多くの人を救えるかもしれない。

今ここでやらなければ、少なくともその人を助けることはできない。




「誰かが貧乏くじを引かなきゃなんねぇんだよ」


そう、誰かがやるしかない。

ある程度の危険があることは承知の上だし、それが仕事なので。

誰がやらないといけない仕事なのです。

誇張ではなく、家族に連絡を入れてから治療に入ることになりました。

僕だけではなくその治療に関わる全員が家族に連絡を入れました。

しばらく家には帰れないかもしれない。

もしかしたら感染して自分も同じ道を辿るのかもしれない。

だけどこの治療がうまくいけば、きっと未来につながっていくはず。

誰かがやらねばならないことなのです。



「誰かがやらなきゃいけないならやりましょう、戦争よりマシです。死ぬと決まったわけじゃない」


きっと自分が逃げても他の誰かが危険に晒される。

この場がよくてもこの後きっと後悔は残る。

確かに貧乏くじを引いたのかもしれない。

けれどそれは失敗を意味するわけじゃない。

必ず感染すると決まったわけじゃないし、かかっても死ぬと決まっているわけでもない。

これが効果があれば後に続いて救命できる方法を確立することができる。

基本的なことさえ守って、きちんと対策すれば理論的にはうまくいくはず。

だったらやりましょう。

その誰かに、自分たちがなるんだと。

家族がいるこの国を少しでも安心できる状況にするために、今が戦う時なのだと。




そう、登場人物たちのゴジラに対する心情や対応は、まさしく未知のウイルスと戦った医療従事者の自分たちと完全にシンクロしたのです。

だからこそ登場人物の機微や、その行動に心から泣きました。

僕は初代からほぼ全ての劇場版ゴジラを観てきていますが、ゴジラ映画でこのように感じて泣いたのは初めてです。

VSデストロイアの時は、ゴジラの最後の咆哮が苦しそうだったことやもうゴジラを観られない悲しさがありました。

シン・ゴジラの時は、日本のゴジラ作品の復活や災害から立ちあがろうと国全体で立ち向かうとなった姿に心が震えました。

-1.0はもはや怪獣というより、何かの化身で歩く災害と化したゴジラに対して、あるもの全て使って勝ち目が薄くとも諦めず、抗うために、そして生き抜いていこうとする人間の意地と覚悟に自分たちの数年間を重ねて泣きました。


映画の捉え方は様々だと思いますし、あのゴジラをどう捉えるかも人それぞれだと思います。

少なくともシン・ゴジラの時は3.11を重ねましたし、そして-1.0はコロナ禍を彷彿とさせました。

しかしそれぞれ未曾有の脅威に晒されても、人間として泥臭くとも生き抜く意地と、這いつくばってでも戦いぬく覚悟が描かれたように思います。

令和になってゴジラとこのような形で再会できたことは忘れられない記憶になりました。

-1.0のゴジラをこのように捉え、深く心に残る体験ができたとはあの日の自分は知る由もありません。


この映画に関わった全ての方々に感謝を申し上げます。

素晴らしい映画体験をありがとうございました。

そしてこれからもこの作品が多くの方にとって、鮮烈な映画体験となることを願ってやみません。