自己紹介で自己紹介をする

自己紹介とは、情報の取捨選択のことである。

おそらく、我々がふつうに生きていればそれこそ数え切れないほどの自己紹介をしてきているはずだし、また、されてもきているはずだ。

誰だって上手に自己紹介をしたいと思っている。わざわざ自己紹介でダダ滑りしたいと思う人は少ないだろう。

では、どうしたら上手な自己紹介になるのだろうか。今回はそんな話。

0. 自己紹介とはそもそも何か

冒頭で述べたとおり、自己紹介とは究極の取捨選択にほかならない。

基本的に自己紹介をするのは相手と初対面の場合である。ということは、相手は自分について何も知らないはずだ。風の噂で、アイツはプレイボーイらしいとか、家が花輪君顔負けの豪邸で庭の池に時価3000万相当の錦鯉が5匹棲んでいるらしいとかくらいは知っているかもしれないが、まあ基本的にはほとんど何も知らないだろう。

だから重要になるのは「何を伝えるか」である。

当然、自分は相手よりも自分についての情報を多く持っている。その中からどの情報を抽出するか、という点に全てがかかっている。

そしてその情報は相手が知りたがっているものでなければならない。だから正直な話、好きな食べ物とかどうでもいい。自己紹介で好きな食べ物とか話すヤツって絶対いるじゃないですか。だから何?っていう話なんですよ。リンゴが好きって自己紹介で言われたら、リンゴでも恵んでやればいいんですかね(好きな食べ物について紹介するくらいなら、嫌いな食べ物を紹介した方がいい。相手にとって価値のある情報ではないが、後々の護身につながる。)。

ともかく、いかに状況を判断し、相手にとって有用な情報を提示できるかが勝負になる。そうすれば相手にだって印象に残るはずだ。

あとは伝え方の問題だが、ここは無難に話した方が良い。芸能人の声真似をしながら話すとかは、お笑いサークルの自己紹介とかでもない限りやめるべきだ。印象を与えられるのは確かだが、同時にイタイ奴というレッテルを貼られる可能性がとても高い。そうなったらその後の生活は悲惨だ。


というようなことを踏まえつつ、過去の自己紹介について(個人情報が秘匿される範囲で)講評を加えてみたいと思う。頭の中で上記のような理論が分かっていたとしても、それを実践に移すのはかなり難しい。


1. 中学1年生、新しいクラスにて

私はとある中高一貫校に入学したため、クラスのほとんどが知らない顔だった。中学生にもなると本格的に自我が芽生えてくる頃でもあり、また多感な時期でもある。さらに、中高一貫校ということもあり、このメンバーは6年間固定だ。この場で大失敗をしたら、暗黒の6年を過ごすことになる。文字通り、生活のかかった自己紹介だったのである。

ところが、当時の自分はそんな重大な局面にあることなど全く理解できていなかった。それよりも受験に合格したという喜びが大きくて、今思い返してもちょっと有頂天になりすぎていた。端から見ればただのキモいやつだったと思う。

以下がそのときの自己紹介である。

「1年3組の○○です。(中略) ボクは鉄道が好きなので、今からこの学校の最寄り駅のアナウンスをしようと思います。 (謎の間を一呼吸置いて) 次は、△△、△△です。お出口は、左側です。□□線は、お乗り換えです。」

書きながら胸が痛んだ。頭おかしいんじゃないのか、コイツ。自己紹介で電車のアナウンスをするなど、はっきり言って狂ってる。

ただ、結果から書いてしまうと、評判は思ったより良かった。

担任の先生が笑ってくれたのが大きかったんだと思う。ひょっとしたら、その先生も私の学校生活を暗黒化させないように笑って場を取り繕ってくれただけかもしれないが、最悪の事態は回避できた。

オタクに優しいという学校の風土もどうやら味方したらしい。

ちなみに、この後半年くらいにわたり、クラスの女子から「電車くん」というあだ名を頂戴することになる。

総評: 4点。思い切った発言をしようという姿勢は素晴らしいが、方向性を誤った。担任が笑ってくれなかったらイバラ色の中学生活を送っていたのは間違いない。担任と、受け入れてくれた寛大なクラスメートに心からの感謝の意を表したい。


2. 中学3年生、理科の授業にて

中高一貫校において、中3というのは最も中だるみしやすい時期である。別に高校受験というものがあるわけでもなく、住み慣れた校舎でのんべんだらりんとみんな平和に暮らしていた。

ところが、やはりいくつになっても自己紹介というのはつきまとってくる。ヒトはその人生において、自己紹介の呪縛から逃れることはできないのだ。中学校はご存じの通り、科目によって先生が違うため、その都度自己紹介をさせられるというケースが多々ある。この時も年度をまたいで理科の先生が変わり、それで初回の授業時に自己紹介をすることになった。

以下がそのときの自己紹介である。

○○です。 (やはり謎の間を一呼吸作って) 最近の悩みは、旅先で知らないお年寄りにしょっちゅう話しかけられることです。 よろしくお願いします。

なんじゃこりゃ。

いつ思い返してもなんじゃこりゃという感想しか出てこない。これには先生も困惑したはずだ。「話しかけられないよりかは寂しくないんじゃない」みたいな適当な相づちを先生は打ってくれたけど、なんとも申し訳ないことをした。

まあ確かにこの頃はよく一人旅をしていて、旅先でいろんな人に話しかけられた。片田舎の町を見ず知らずの中学生がウロウロしていたら不審がるってのは分かるんだけどね。

あるときは地元の餅つき大会に誘われてトラウマになるくらいの量の餅を食べさせられたり、またあるときは工場をクビにされたというおっさんが延々と話してきたり、ひたすらトンネルの名前を聞いてくるおじいちゃんに捕まったりと、実際少し困ってました。反面少し楽しんでいたのも事実だけれど。トンネルの名前なんか知ってるわけないだろ。

総評: 3点。理科の授業関係無いし。まるで相手の求めていない情報を話してしまった。成功か失敗かと問われたら失敗。


3. 高校1年生、新しいクラスにて

高校生になっても、残念ながら同級生の顔ぶれは変わらなかった。中高一貫校に通っている以上致し方ないのだが、一方で気心の知れた連中が多いというのはどこか安心もする。

しかし、担任の先生は新たに赴任してきた若い男の人で、また例によって自己紹介という一種の通過儀礼が執り行われることになった。

今回は、クラスメートはもう私のことをある程度知っている。もちろん初めて同じクラスになった人もいるが、3年間も同じフロアで暮らしてきている以上、全く知らないという人は少なかった。

ということは、この自己紹介は新しい担任の先生向けということになる。なるべく早く顔と名前を一致してもらうために、少しでも印象づけられるようなことを発言するべきだ。

っていうあたりまでは理論上、理解できていた。周りのクラスメートが「音楽が好き」とか「テニス部に入ってる」とか言っている中で、どうにか差別化を図らなければならない。当たり前のようなことを言ってはいけない。

以下がそのときの自己紹介である。

○○です。 (謎の一拍を置いてから) 鉄道に人生捨ててます。よろしくお願いします。

アホか。

どこぞのギャンブラーみたいな発言である。だいたい、まだ15歳かそこいらなのに人生捨ててるとか言ったらダメだろ。

これには先生も苦笑いで、「お、そ、そうか」みたいな反応だった。

この自己紹介の致命的な点は、恐ろしく情報が偏っているということにある。ただ、自分の中では「鉄道が好き」ということだけを何としてでも伝えようという魂胆だったので、結果からすればオーライということになる。

まず、部活の情報は必要ない。なぜなら、着ていたジャージに「陸上競技部」と大きく書かれていたからである。見れば分かる内容をあえて口で言う必要は無い。まあ種目とかの話をしてもよかったのかもしれないけど、それはまたおいおい話してもよいだろう。

あと、好きな教科とか苦手な教科とかは後々行われるテストの様子で判断できるだろうし、好きな食べ物とか死ぬほどどうでもいい。

だから伝えたいことは一応伝えきれたはずだが、完全に言葉選びを誤った。自己紹介で「捨てる」とかいうネガティブな言葉はあまりよろしくないだろう。

総評: 5点。情報の取捨選択はまあまあ。伝え方がダメだった。「相手に印象を与える=変なことを言う」っていう図式をどうにかしないといけない。


4. 高校2年生、新しいクラスにて

高校2年生になるとき、クラス替えが行われた。もう受験を見据えたクラス編成になっていて、文系理系の別がかなり意識されたものであった。

ただそうはいってもやはり周りは知った顔ばかりで、担任も去年授業を受け持っていた先生だったので、正直自己紹介で何を話すべきかといった感じだった。しかも、どうやら私の鉄道好きは学年内にそこそこ知れ渡っていたらしく、今さら鉄道が好きとかどうとか言ったところであまり意義が無さそうだと感じていた。

そこで、今回は少し踏み込んだ話をしてみようと思い立った。ひょっとしたら、それで「思いのほか造詣が深い奴だ」みたいに思われて印象も良くなるかもしれない。よし、やってみよう。

以下がそのときの自己紹介である。

○○です。先月開業した北海道新幹線が事故を起こさないか心配な日々を送っています。よろしくお願いします。

もう完全にどうかしている。事故を起こしているのはお前の自己紹介だろ。

実はこのときの担任の奥さんが函館出身らしくて、それも踏まえたうえにさらに時事ネタも踏まえて話したわけだが、だからどうしてそう事故の話にしてしまったんだ。自己紹介でネガティブなワードはタブーだろ。

これに対しては担任も「え、あれって事故るの!?」みたいな反応をしてきたが、開業から数年経った今も事故などは起きていない。

まあ確かにこのときのJR北海道は特急が火を噴いたり、貨物列車の脱線事故が頻発したり、社長が行方不明になったりと危機的状況だったが、物事を短絡的に考えすぎていた。北海道新幹線は事故など起こしていない。

とりあえず北海道に詫びようと思う。その節はごめんなさい。

さて、自己紹介的な話に戻ると、今回の自己紹介の一番おかしい点は自己の紹介になっていないという点である。もはや評価のしようがない。なぜそんな話をしようと思ったのか、当時の自分がまるで理解できない。

総評: 採点対象外。アイウで答えなさいという問題に対してABCで答えたようなものである。完全な事故紹介だった。紛うことなき0点。


5. 大学1年生、英語のクラスにて

これが最後の自己紹介の紹介になるが、実は自己紹介には2通り存在する。①何を話してもよい形式のものと、②話すべき項目が設定されているものである。ここまで紹介してきたのはいずれも①の形式で、こちらの方が自由研究的要素が強いため難しい。

一方で、②の形式は比較的楽である。なぜならお題がすでに与えられているわけで、あとは事実を的確に伝えられればゲームクリアとなるからだ。

今回の大学1年生の自己紹介は②の形式で、「嫌いなもの(こと)」を話すというのがお題だった。英語のクラスなので、もちろん英語で話さなければならないし、周りの人は知らない人ばかりである。

以下がそのときの自己紹介である。

Hello. My name is ○○. I don't like swimming. Nice to meet you.

水泳の情報いるか??何かもっと他に話すべき内容があったのではないだろうか。仮定法が嫌いですとか関係代名詞が嫌いですとか、そういう話をした方が良かったのかもしれない。

しかし、他の人も例えば虫が嫌いだとか、朝が嫌いだとか、トマトが嫌いだとか言っていたので、まあこんなものなのかもしれない。先生は「嫌いなものを知る方がその人の人となりが見える」的なことを言っていた。

泳ぐことが嫌いだという発言から人となりが見えてくるのかは甚だ疑問であるが、まあこの際もうどうでもいい。

ともかく、これは私の記憶にある数少ない失敗しなかった自己紹介である。

総評: 7点。可もなく不可もなく。生まれてからこういう自己紹介を続けていれば、未来もけっこう違ったものになったんじゃないかな。


さて、ここまで自己紹介を5つ振り返ってみたが、少しまとめをしてみたい。

ここまで幾多もの自己紹介をしてきて分かってきたのだが、自己紹介で大事なことはほどほどに集団に埋没することなのかもしれない。特に初対面の人が多い場合はなおさらで、なるべく周囲と歩調をあわせたようなものが望ましいのだろう。

なぜなら人間(特に日本人)は異質なものを確認した場合に、まずは「排除」の方向で動くからである。

だから集団の中で異質な存在になってはいけないのだ。自らの異質さを発揮するのは、ある程度打ち解けてからにするのが正解なような気がする。

それに気付かないとイタイ人間になってしまう。個性を活かそうとか言われているわりに、現実はこんなものである。

私の話をするならば、学校が悪ければイタイ人間になってしまっていただろう。しかし、そうならなくて済んだのは周囲のみんなの理解があったからだ。そういう意味で、私は中高時代のクラスメイトには本当に感謝している。


そして将来を見据えると、たぶんまだまだたくさんの自己紹介が私を待っているはずだ。対象はどんな集団なのか、どんな相手なのか、考えるべきことは無数にある。

そう考えると、自己を紹介するというよりかは、自己を的確に他者に伝達すると表現した方がよいのかもしれない。

自己紹介は自己のことを話しているようで実は他者のことを一番考えなくてはならないのだ。情報の取捨選択であるという言葉の本質はそこにある。相手が欲している情報は何か、興味を引き出せるような内容は何か、自分のことだけを考えていたら絶対に自己紹介は上手くいかない。

だから自己紹介が上手な人は、相手のことをよく考えられている人だ。

私もそうなりたいと切に思う。




おしまい

お読みいただきありがとうございました。

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