卒業にかこつけて方針を変える話
前回の更新が1月上旬。2ヶ月以上に及ぶブランクが発生してしまった。
いや、発生したんじゃなくて自分で作ったんだろ、という突っ込みが入りそうだ。少なくとも私の心中にある2人目の自分はそう言っている。
まあそんなたわけた前座はどうでもいいとして、正直なところを暴露してしまうと、お題に沿って書くというのが非常に苦痛なのである。これが2ヶ月の空白が出現した根源。
noteを始めたとき、公式が設定しているお題について屁理屈で回答するということにしていた。始めてからしばらくの間は自分が決めたとおり、大人しくお題に沿って自身の体験だとか思ったことだとか屁理屈を並べ立てていた。
ただ、あまり面白くない、もっといえば書いていてあまり筆が乗らないことに気が付いてしまったのだ。というか、もう愚痴みたいになりますけど、書きにくいお題が多すぎる。例えば、
・オープン社内報 とか、
・熟成下書き とか。
いったいどんな記事に仕上がることを想定しているのか。熟成下書きってなんだそれ。それはもう下書きとは言えないんじゃないのか。熟成ヒラメみたいな言い方しやがって。
まあただ別にこうしたお題を設定したことについて非難しようとは全く思っていなくて、単純に書きにくいなあという愚痴である。
なぜ書きにくいのかというと、そのお題に沿ったテーマを用意するということが難しいからだ。これが本当に高いハードルで、もしも該当するような内容の話が思いついたとしても、それを数千文字にまで膨らませるのはさらに労力がいる。
そんなに書かなくてもいいのでは、と思っている3人目の自分も心の奥底にいたりするのだが、やはり書くならしっかりと書きたい。私はそんじょそこらのOLのブログみたいなものが書きたいのではない。あの嫌と言うほど改行してあるやつね。ああいうのとは全く逆のものを作りたいという思いがある。
だから基本的に3000字を最低ラインにしながら5000字を目安に書くという感じでやっているが、だんだん自分の中でも限界が来ている。
ではもうお題など無視して、自分の好きなものを書きたいように書けば良いのではないか、という話になるのだが(自分の心に眠る4人目はそう言っていたりする)、それじゃあlivedoorの方で展開しているブログと完璧に被ってしまう。あくまでlivedoorブログは旅記メイン、noteはお題メインという棲み分けは守りたい。
そんな2つに分けるのなんてやめて、どっちかに統一しようぜ、と言っているのは心の片隅に佇む5人目の自分。確かに、noteのお題を無視するようになってしまうと、livedoorブログと区別が付かなくなりそうだ。統一するのも手ではある。
とまあこんな具合に、私は道に迷っている。そしてどちらに進めば良いのかいまだ結論を出せずにいる。
本音を言うと、noteのお題など無視したい。好きなように書きたい。
しかし「お題に沿って書くことができる」というのもまた能力の一つであると勝手に思っている6人目の自分が心の一角に居座っているのだ。
6人の自分は心の中で激しい戦いを繰り広げている。死闘だ。源平合戦、関ヶ原の戦いなど霞んでしまうような争いが勃発している。
まあでもそうはいっても、結果はきちんと出す必要がある。このままnoteもブログも凍結状態にしておいてはいけない。何らかの方向性は見出さなければならない。
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パチパチパチ (卒業生が体育館に入場してくる、後方では吹奏楽部が「威風堂々」を演奏している)
ミシミシミイ (卒業生が無機質で冷え切ったパイプイスに座る)
タントントン (司会役の白髪の教師がマイクに歩いていく)
「これより、第1回、何かの卒業式を挙行いたします」 (若干くぐもった声)
「国歌斉唱」 (保護者もか弱い声で歌ってはいるが、お世辞にも上手とは言えない)
「卒業証書授与」 (身長193cmのアフリカからの転校生が舞台への階段でつまずく、足が絡まったもよう)
「校長のあいさつ」 (ストップウォッチを取り出す生徒が約3名、彼らによれば前年比-5.6%、構成に大きな変化なしとの評価)
「来賓紹介」 (ほとんどの生徒が上の空)
「祝電披露」 (前年度に離任した美術の先生から感動のメッセージ、会場に嗚咽が響き始める)
「在校生のことば」 (ネットに転がっているテンプレと93%の内容が合致)
「卒業生のことば」 (壇上に上がった青山くんは明らかに他地域の方言が混ざった独特の話し方、彼の世界に保護者も引き込まれている)
「校歌斉唱」 (歌詞を覚えていないため口パクで歌っている生徒が3割)
「これをもちまして、第1回、何かの卒業式を閉式いたします」 (明らかに授業の時と声が違う)
ギィィ (卒業生が立つ、目の赤い生徒と寒さで冷え切ってしまい震えている生徒が半々くらい)
パチパチパチ (卒業生が体育館を後にする、奥の方で吹奏楽部が「威風堂々」を演奏している)
カシャバシャカシャ (カメラマンが中腰の謎の体勢で高速連写、保護者も一心不乱にデジカメのシャッターを切っている)
ガヤガヤガヤ (緊張が緩みざわつく廊下)
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というわけで、今後はお題にとらわれずにnoteを書くことにする。今までのお題に縛られた生活は卒業する。書きたいものがあれば書く。一応旅記のようなものはlivedoorの方に、雑記系はこちらに書く。
livedoorとnoteには多少区別すべき点があると思っていて、例えば写真を多用した記事を作るにはlivedoorの方がやりやすい。一方で見出しを整理したり、行間が重要になるものはnoteの方が向いている。だからその辺りの特性は多少意識したうえで運用したい。
とか何とか言っていながらも実は今回、「卒業のことば」というお題で書いている。強引に方針転換と卒業を結びつけてみた。
よくアイドルとかが「わたし、○○を卒業します!」とかって喚いてるじゃないですか。ああいう感じね。
「卒業」という言葉はある意味では本当に使い勝手が良くて、何かを辞めるときに「卒業」と言えば途端に美談に近づくという魔法の言葉である。
例えば数年間勤続した職場を辞めるとき。「私はこの職場を卒業します」などと言うとずいぶん聞こえが良い。単に転職しますとか辞職しますとかって言うのとは雲泥の差だ。
さらに言えば、例えば不祥事を起こして左遷させられるときとか、事故なんかで免許を剥奪されるときも、「卒業」と言い換えるだけで急に善人ぶることが可能だ。
「この会社を卒業します」(実際は揉め事を起こして他所に飛ばされるだけ)
「自動車の運転を卒業します」(実際は事故を起こして免許を没収されるだけ)
おお、なんとも凜々しい印象になるではないか。言葉そのもののもつ善悪イメージというのは本当に大きいのだということを実感させられる。
もう少し別の場面で言えば、育児をするときとか、教育をするときにもこの「卒業」という言葉が見られる。
例を出すと、小学生高学年男子がやたらとしょうもないことをして先生に怒られている場面とか。
「なんでこんなことしたの!」
「そ、それは…」
「友達の筆箱に生きたままのザリガニを入れたりして!もう5年生のお兄ちゃんなんだから!」
「ご、ごめんなさい…、でもどうしてもこの前、筆箱にナマコ酢を入れられた仕返しがしたくて…」
「もうそんな嫌がらせはいい加減に卒業しようよ」
こんな風に「卒業」という言葉を使うことによって、反抗期の子どもに言うことを聞かせることができる。「卒業」が何故だか知らないけど妙にかっこよく聞こえる言葉で、なおかつ悪いイメージがあまりないので、子どもにとっても受け入れやすいのだろう。「卒業」の魔力とでも呼ぼうか。
きっと、筆箱から磯の香りがするこの少年にも先生の言葉は届いているはずだ。「卒業」しろというならまあ言うことを聞いてもいいかな、みたいに思っているはずだ。
卒業を経て人は成長する。
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伝え方というのは非常に重要である。先述したように、それぞれの言葉は固有にポジティヴなイメージ、またはネガティヴなイメージを持っている。もちろん無色透明なイメージの言葉もたくさんあるが、言葉の持つイメージをよく考えたうえで運用していきたい。
言葉の伝え方ひとつで、ひょっとしたら恋仲が進展するかもしれないし、友情に亀裂が入るかもしれない。
そんな言葉の重みを考えながら70日ぶりに記事を書いた。やはり言葉を慎重に選びながら書くというのは神経を使うね。
お読みいただきありがとうございました。
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