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思考停止が止まらない。

私の友人(男女とも複数人)から言わせると、「どんなに好きな男でも、パパ活でパパをやってるって分かった時点で気持ち悪くて嫌にならない?」とのこと。

確かに私が20代の最後を賭して、3年間せっせこと逢瀬を重ねた男が同時進行でパパ活をやっているのを知った夜は、衝撃のあまり一睡も出来なかった。

「この人しかいない!」「大好き!カッコいい!尊敬してる!」と叫びながらサイリウムを振って渾身のダンスを踊るほどに執着していたMy honeyが、一気に「若い素人好き買春おじさん」に成り下がった瞬間だったんですもの。おいおい私だって払ってもらえるなら払って欲しいよ。

くやしい、かなしい、すら感じなかった。眼がギンギンにさえたよね。翌日仕事が身に入らな過ぎの私を見かねた上司(男性)がこえをかけてくれたので、正直に愚痴っちゃったよね。(爆笑されたよね)

彼に本命のパートナーがいたらそれだって私にとっては相当辛い話なのだけれど、「彼を心から信頼している本命の方がこれを知ったら、私よりショックを受けるだろうに」と、誠に勝手で失礼ながら憐憫の情も湧いた。

そして「この男はもう、こういう人なんだな」と一旦諦めがついて楽な気持ちになったのも覚えている。

しかしそんな辛さをも数日経っていくと忘れてしまう。これが私の悪い所であり、毎度のパターンなのだ。

彼と共にあることが私のレゾンデートルであるとも言わんばかりに、「彼はもうこういう人なんだし仕方ない。乗り掛かった船だ。全てを許容し、彼が私を求めてくるうちは彼を楽しませてあげよう」と悪い方に考えを改め始める。

一度はゴミ箱に捨てたサイリウムを漁って再びその手に握りしめる。ハチマキも巻いたハッピも着たよ。

私は臆病で面倒くさがりだから「都合のいい女」でいることが既に心地良いのだ。

旦那の浮気を知らないフリして家庭の調和を守るタフな嫁か、もしくは「私はずっとお前の味方だよ」と無償の愛を与える母親にでもなったつもりで自分の行動を正当化しているのかも知れない。

その方が意義があるから。

でも実際の私は彼の賢い嫁でもなく、腹を痛めて彼を産んだわけでもない。そんな信頼や愛情はもちろん(まったく、とは思いたくないけど)お互いに無く、ただ思考停止して問題をやり過ごしているだけ。彼を失った後の自分の変化が想像できず、怖いのだ。

あとは、彼からもらった少しのいい思い出に浸って離れられないのもあると思う。

そんなのかき集めたって、悲しい思い出の何十分の一にしかならないのにね。

またなにか、私が彼に落胆するようなことは起きるだろう。そして私は一旦は彼を諦め、また忘れてから会う。何か強制的な力が働かない限りこのサイクルは続くと思う。

どこかでまだ期待しているのかもね。これだけ想っていれば、いつかは報われると。

おめでたいですこと。

めでたいついでに踊っとくか。

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