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あまちゃんの功罪|月15万円の自炊日記#156

2023年12月18日(月)~23日(土)。
疲れました。
仕事や家事ではなく、まさに人生に疲れたような疲労感。
こんな時にインフルエンザでもなったら最悪なので、できるだけ大人しくしてます。


ケンジの言いぶん

日曜の夜より東北地方の親族宅に宿泊。
件のおばちゃんは、モノ盗られ妄想に憑りつかれており、1日の1/3ぐらいはどこか別の世界に行っている模様。

同居する伯父、私への暴言もまあまあ酷いが、こちとら20年以上東京でパワハラオヤジと対峙し培ってきた体幹があるので、さほど気にはしない。
ただし、いつまでもいつまでも同じ話を繰り返すので、三半規管はだんだんおかしくなってくる。

翌朝、朝食もそこそこに近くの萎びた区民会館みたいな場所で、社会福祉士さん、保健師さん、伯父、私、親族における若頭的存在のケンジ(←私からみたら従妹にあたるが、二回り年上なのでほぼおじさん)で話し合いの場がもたれた。

うすうす感じてはいたが、要はおばちゃんを厄介払いしたいので、親族の一人である私が引き取り、東京近郊の介護施設に入居させてほしいらしい。
キーマンであるケンジの思惑のもと進んでいた計画。

ケンジに対して言いたいことはあるが、私は事実関係の整理、知っている範囲での証言だけにつとめた。
なお、みんな、口頭であーだのこうだの言うため、全体像の把握のために、図解入りでレジメを準備して持参したら、行政の方にはとても感謝されたが、ケンジは引いていた。

事の顛末は、そのうちnoteに書いてみようかなと思っているが、現時点でひとつ言えるのは、昔の父権主義が支配するコミュニティだということ。

おばちゃんはもともと東京で慎ましく暮らしていた。だが実の姉(伯父の妻)が認知症になり、ケンジ指揮の下、故郷に呼び戻され、介護をしていたのだ。
しかも、当初は伯父宅ではなく、隣の生家(現在は空き家)に暮らしていた。水洗トイレもない、築70年の隙間風だらけのだだっ広い家にたった一人で。

平成後期、令和になっても女性は家族のヒエラルキーの中で最下層におかれ、汚れ仕事をさせられている事実を再認識し、とても悲しくなった。

そして、おばちゃんは姉が亡くなり、ぼっとんトイレでの一人暮らしも限界を迎え、隣の伯父宅に移住してきたのだ。

ケンジの表現では「そのまま居座った」となるらしい。

「はぁっ? 居座った? おばちゃんは、東京での生活を捨てて、姉のために無給で24時間365日献身的に尽くしたんだぞ!それなのに、用がなくなったから帰れっていうのか!」

もちろん、これまで一度も使ったことはないが、私はFワードを吐き捨てたい気分ではあった(言ってないよ)。

たしかに、認知症を悪化させ、夢の世界に飛び立ってしまったおばちゃんの罵詈雑言は酷いが、こうなった要因については呼び寄せた親族にも少なからず思い当たる節があるはず。
みんなの話を聞きながら私はそんなことを考えていたが、口には出さず、心のうちに秘め、淡々とレジメに沿って会議の進行につとめたのであった。

「せめて、私だけはおばちゃんの味方でいてあげよう」静かに心に誓ったのであった。

帰宅

結局、月曜日は複数の相談窓口を訪問し、同じ話を繰り返し説明させられた。もう、くたくた。ボロボロ。
酒を飲む気にもなれず、シャワーを浴びて爆睡。
本当は今週いっぱい、伯父宅に滞在し、在宅勤務をしながら様子をみるつもりであったが、とても仕事をできる環境にはないので、翌朝のチケットに変更した。
ほんとは、帰りに盛岡によって、迷惑をかけている証券会社さんを訪問がてら、ちょっと遊んで帰ろうかと画策もしていたがそんな気力はふっとんだ。

おじちゃん、ごめんね。春までには解決策をみつけるから、辛抱してけで。

帰りの東北新幹線は仙台で乗り換えが必要だったのだが、あまりにも疲れ果て、乗り過ごしそうになった。
あんなに慌てて新幹線を降車したの初めてかも。
なんだか鉛をのみこんだような、ずどーんと重たい疲労感と悲壮感でいっぱいだった。

東京駅に着きときは、心底ほっとした。
エキュートでハイカロリーなお弁当と総菜を買って帰宅。
お風呂で邪気を洗い流し、一人晩酌した。

出社

水曜日。
出社すると、いつものメンバーがいつもの席でいつものようにどうでもいい感じの話をしていた。

こういう平凡な会社生活をおばちゃんも経験していたら、違う老後だったのだろうか。潜在能力は高いが、満足いく教育や就業機会が与えられず、田舎の閉塞的なコミュニティで、一人もがいていたのだろう。
あのおばちゃんは、年金をコツコツ株式に投資し、2倍まで利益を増やしたツワモノだ。食って寝るだけのお年寄りより(というか私より)、生産性が高い。

合鴨を焼いたが、火の通りがあやしいので、結局切り身でもう一度焼き直した。
これもおいしいんだけど、ソーセージってなんだかんだシャウエッセンが優勝じゃないですか?

電話

木曜日。
保健師さん、証券会社さんから電話があり、それなりの尺を使って対応。
でも、以前はなんでもかんでも電話連絡だったけど、メールも併用してくれるようになったので、かなり楽。
みんな、親切で想像力をもって対応してくれており、ありがたいやら申し訳ないやら。

ちなみに、滞在中ケンジはずっと憮然として表情だったが(いつもはビジネススマイルを浮かべている)、私とおばちゃんの関係(子どもの頃は深ーい関係があったがここでは言えない)、私の視点からみたおばちゃんの行動の要因を粘り強くでも淡々と説明した結果、心変わりしたようで、東京に帰る前の夜、酔っぱらって謝罪の電話をかけてきた。
「さばかんなちゃんの気持ちを考えないで、悪がったなぁー」とかなんとか。

この際はっきり言っちゃうけど、私はそういうところがすんっごいイヤ。
だって、謝罪したいのって、自分が罪悪感から解放されたいからでしょ。
罪悪感から安易に逃れようとすんな! 
FFFFF!!!

こんな感じで、日常に戻っても、骨肉の争いからは逃れられなくなってしまった。
これを書いていて気づいたのだが、私も相当血の気が多いのではないかと思われる。おばちゃん然り、ケンジ然り、もしかして血筋?
これから発言にはより一層気を付けなくては。

ケンジにはケンジの、おばちゃんにはおばちゃんの、田舎には田舎の、都会には都会の事情があるため、歩み寄りが必要ではあるが、あちらはあちらで堪忍袋の緒がぶち切れているようなのであんまり時間をかけて歩み寄ってる余裕はない。
限られた時間で最適な答えを出さなくては。でも、なぜ、私が…?巻き込まれ事故感はいまだにぬぐいきれない。

新宿の喧騒

金曜日。
二度寝したけど、やっぱり疲れている。
在宅勤務で事務的にWeb会議や書類作成に励むが、のみこんだ鉛の塊が腹のなかで疼く。
せめて凝り固まった体はほぐそうと、ストレッチで気分転換。
背中がボキボキした。

ストレッチしていて気づいたのだが、田舎にいる間、ほとんど食事をとらなかったせいか腹周りが少しましになった。
ダイエットには、運動より酒断ち、食事制限が効くことを実感。でも、結局飲んでるけど。

夕方前に仕事で必要な用具の買い出しに新宿に向かう。
ついでに、伊勢丹に寄り、今日の夕食を探すが、うちは現在レンジが故障中のため、買うものが限られている。
悩んだ結果、フライパンで温め直せる餃子を購入した。
なんか、すごいまずかった。

焼きすぎたせいで肉汁ゼロ。素材はいいので伊勢丹に罪はありません。

Dr.Stretchでのお別れ

土曜日。
担当してくれた女性インストラクターさんは、店舗を異動するため、今日が最後。
新しく借りる1Kのお部屋の様子、カレシさんと取り付けた照明のこと、お正月の予定、施術中、限られた時間の中でいろいろお話してくれてうれしかた。
店を出る際、「開脚できるようになったら、新しい店舗に遊びに行ってもいい?」と聞いたら喜んでくれた(多分)。
ホントに行っちゃおうかな。
彼女は機転も効くし、生来持っているコミュニケーション力があるので、きっと出世すると思う。
そのうち、何かの媒体でお目にかかれるかな。

帰りはもちろんこれ。今年の食べ納めかな。

明日はお部屋改修の集大成となるTVボードとチェストの搬入日。
ちょっとでも体力を温存するため、久々にエプソムソルトのお風呂でゆっくりしてみた。
これから親族間のもめごとで疲弊するから、帰ったときほっとできるようにホームグラウンドは整備しておかないと。

Rodda’sのスコーン。クロテッドクリームってなんでこんなに美味しいの!

ケンジよ。次に会うときは、万全の準備で立ち向かうので覚悟しとき。
われいちびっとら、ほんまいてまうぞ。

ちなみに、今回の滞在中、改めてあまちゃんのすごさを感じた。
どこ行っても、のんちゃん、のんちゃん、のんちゃん。
時々、大谷翔平。
ちょっと宣伝頼りすぎだろ。I県。

あまちゃんの夏ばっばは、宮本信子さんが演じているので、気は強いけど上品で朗らかだが、実際に三陸の漁村があんな感じかどうかは疑わしい。

のんちゃんが一人称で「おら」を使うのは可愛い。
でも、地元のおばあちゃんが「おら」「おれ」って言うと、聞き慣れない人にしてみたら、ちょっとびっくりするかもしれない。
うちのおばあちゃん連中も一人称「おれ」なのだが、私が子どものころは軽くトラウマになる程度に怖かった。
今でもちょっと怖い。
※私の母は「わたしねぇ~」っておっとりしたしゃべり方なので、なおさら怖かった。

あまちゃんの功罪、少なからず。

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