ドライな自分


ドライとよく言われます。
スキーの滑り方でさえもやる気がないように見える、と…。

先日、熱量を持ってしゃべっている人の話を立て続けに聞いて、自分に足りないものは何かわかりました。

パッションてやつです。

物事に対するパッションを持ちにくいのだと思います。特に、それが誰かから与えられた任務ではなく、自発的に生み出した任務である時に。

私はいつも成績は優秀な方で、与えられた課題には一生懸命取り組むことができました。事務処理的なことも得意で、仕事は早い方です。要領はいいんだと思います。

ただ!

パッションがどうにも、ないのです。高校時代にも、一年生の時に入った委員会の先に、3年後にめざす役職みたいなものがすでに決まっていました。そのとき、3年後にその役職について得られるものなんてたかが知れてると、16歳ながらにして変に俯瞰して考えたのをよく覚えています。

今の仕事でも、担当していることに対しては人に対しても物事にも対しても愛情を持って接することができますが、そのレベルを向上させようとか、他者からの意見を取り入れてみようとか、そういう試行錯誤のパッションが欠落しています。

だから、やる気を求められた時、辛いんだと思います。がんばりたくてもがんばれないから。エンジンを入れる場所がそもそも欠落してるんだと思います。

仕事にはパッションが必要だという考えもありますが、一方で私は、与えられたタスクのみを一生懸命しゃかりきに取り組んで誰かのために役に立ちたいのだという結論に辿り着いたのでした。

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