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スポーツクラスの女子が美術クラスに移った話

「ねえねえ、リタもコレやってみなよ」
 そう言ってモニカが差し出してきたのは二つ折りになったカードだった。カードの隅には生体パルスを読み取る薄いパネルが組み込まれている。
「何、それ。オーラ判定?」
 リタはうさんくさげに眉をしかめた。モニカは歯列矯正の金具を光らせて楽しそうに笑っている。背の低いモニカには制服のジャンパースカートがよく似合っている。筋肉質で肩幅の広い、肉感的なリタと並ぶとまるで大人と子供だ。
「そんなとこ。生体光を利用した性格判断テストかな。レオナのオーラすごいんだよ。パキッと原色で現代アートって感じなの!」
 モニカの後ろでは女生徒たちが輪になっていた。輪の中心にいるのはレオナだ。美術クラスの小さな女王様。神経質そうな細身の美少女で、白雪姫のような黒いストレートヘアを結いもせず頬にまとわりつかせている。どうやら彼女たちはレオナのクロッキー帳をめくりながら、何やら話し込んでいるようだ。
 リタは無意識に自分のカーリーヘアに手を当てた。ベリーショートから伸ばし始めて、今が一番うっとうしい頃合いだ。ボリュームがあって、隣の家のトイプードルと似た感触がする。一度でいいからあんな風に耳にかけるように髪をかきあげてみたいものだ。
 ──終業のチャイムが鳴ったらとっとと帰りたいんだけどなあ。
 ぽってりとした唇をすぼめて、リタは小さく溜息をついた。モニカに悪気はないのだ。むしろ孤立しているリタに対して、仲間になろうと誘ってくれている。いいヤツだ。所属しているグループが女王様のところでなければ、もっと良かったのだけれど。
 リタはもともとサッカー選手としてスポーツクラスに所属していたのだが、ラフプレイが原因で靱帯を損傷してしまった。日常生活を送れるほどには回復したが、いままでのようにサッカーをすることは出来なくなってしまった。出席日数も足りず落第し、悩んだ末にこの九月から芸術クラスに転入することにした。
 運動が好きだ。同時に美術も好きだ。サッカーが得意なほどには絵を描くのが上手ではないが、それでも好きだ。だからこそ絵のことをもっと勉強していきたいと思っている。変わり者が多いという美術クラスの中でも、確かにリタは変わり者だろう。だが、才能が乏しいからといって美術クラスを選択してはいけないなんて道理はない。それなのに、女王様のグループはそうは思わないらしい。
 女王様は直接リタに対して罵りや嘲りの言葉を投げかけてきたことはないが、腰巾着のようにつきまとっている親衛隊がリタに対して罵詈雑言を投げかけたとしても止めようとはしない。薄く笑っているだけだ。直接言ってこない分、心証としてはレオナの方が嫌な奴のように感じられる。自分で手を下すことのない女王様。関わりたくない、というのが一番の気持ちだが、それすらも許されないらしい。
「レオナがすごいのはよく分かったよ。──それで、あたしの生体オーラがどんななのか調べて、それでその後はどうするつもり? 馬鹿にするためだけにやりたいんなら、お断りだよ」
「馬鹿になんて……みんなで楽しく盛り上がってたから、リタもどうかなって思っただけで」
「そうだね、モニカ。あんたは優しいから、一人ぼっちでいる子を見過ごせなかったんだよね。分かるよ。──でも、あんたらは分からない。何がしたいんだ? あたしを笑いものにしたいだけなら、そろそろ本気で怒らなきゃいけないかもね?」
 リタは女王様の一団を見つめた。拳を固めて、自分のてのひらでバチンと受ける。皮肉っぽく口の端を上げて笑うと、腰巾着の親衛隊の一人が、小さく悲鳴を上げて女王様の後ろに隠れた。おいおい。親衛隊なら親衛隊らしく、女王様をお守りしなさいよ。
「……別に笑いものにしたいわけじゃないわ」
 一歩前に出ると、レオナが血の気のひいた顔色で、唇を震わせながら声を上げた。かぼそいが良く通る声だった。リタはおや、と眉を上げた。直接レオナと言葉をかわすのはこれが初めてだ。言い訳だとしても、彼女の真意がどこにあるのか興味はあった。
「わたしはただ、あなたの才能の方向性が間違っている気がするから、それを確認したいだけ」
 リタは落胆した。そんな答えなら別にいらなかった。またか、と思った。どうせ絵を描くのにむいていないとか、やめた方がいいとか、そういうことを言いたいのだろう。それなら今までにだって散々聞かされている。リタはそのたびに我慢をしてきたのだ。だが、それももはや限界だった。
「──へえ。初めて自分の口で言ったね。そんなにあたしが目障りなの? 下手くそは絵を描いてちゃいけないって?」
 レオナは意味が分からない、というように眉をひそめた。リタにはレオナがとぼけているようにしか思えなかった。またしても馬鹿にされたと感じて、リタは癇癪を起こしたように大声を上げた。
「いい加減にしてよ。才能がないと思うんなら、放っておけばいいじゃない! どうせあたしじゃあんたの敵にもならないでしょ。もう構わないで!」
 レオナは細い顎をつんとそらせた。
「あなたが何を怒っているのかわたしには分からないわ。──いいからカードに指を当ててみなさい。そしたらわたしの言いたいことも分かるはずよ」
「はあ!?」
 レオナはリタを真っ直ぐに見た。淡い空色の瞳が綺麗だった。じっと目を見つめていると、いつの間にか冷たい手が触れた。気がつくと手の中にカードを握らされていた。
 リタは気圧されてしまって、だが、言いなりになってしまっているようなのが悔しくて、乱暴に親指をセンサーに当てた。指の腹が、じん、と熱くなる。
 レオナの様子をうかがうと、満足そうに小さく頷いた。視線だけで、カードを開くようにうながされる。
 恐る恐る開いてみると、そこには、まるでたっぷりと水を含んだ厚手の紙にパステルカラーの水滴を落としたような、淡く、滲んだ、優しい色合いの模様があらわれていた。
(──きれい……)
 リタは息をのんだ。薄紅色や、空の色。春の野原のような柔らかい色彩がそこにあった。もちろん、好きだ。大好きな色だ。けれど、自分には似合わないと避けてきた色だった。
 一番はじめの授業で、公園にスケッチに出かけたとき、一枚だけこんな色合いの絵を描いた。けれど結局、気恥ずかしくなって破り捨てた。かわりに黒や原色を多用して、尖ったように見える絵を提出した。それがクラス一の腕前を持つレオナの作風と似通っていることも知らずに。
「これが本来のあなたよ。いい加減に素直になりなさいよ」
「なんで……」
 レオナはどうして分かったのだろう。リタが好ましく思うものが。
 まさかあのとき破り捨てた一枚を見られていたとでもいうのだろうか。それとも、上手い人には分かってしまうのだろうか。こういう風に見られたいと思う自分を演じて、無理をしているということに。
 心の中の固くて冷たい何かが、じゅわっと溶けて崩れていくような気がした。
 ぶっきらぼうなレオナの口調に、リタは一つだけ気がついたことがある。レオナは今までも、そして今も、リタに対して才能がないとは一度も言わなかった。もちろん、真似をするな、とも。レオナは何一つ悪意のある言葉を投げかけてきたりはしなかった。ただ、ずっと何か言いたげな視線を投げかけてきていて、何を言われるのか分からないからそれがずっと怖かった。
 美術クラスに入った自分を蔑んでいたのは、もしかしたらレオナたちなどではなくリタ自身だったのかもしれない。
 サッカーが好きだし、得意だ。──得意だった。今できることの中で本当にやりたいことは何だろうと考えて、リタは美術クラスを選択した。やりたいことをしているはずなのに、くすぶった気持ちを抱えているのは周りから受け入れられないからだと他人のせいにした。──本当は全部、自分の気持ちの問題だったのに。
 胸を満たした熱い何かが、そのまま目頭にのぼってきて、視界を揺らす。
「な、なんで泣くのよ。これじゃ、わたしがいじめたみたいじゃない。わたしはただ、あなたが窮屈そうにしているのが見過ごせなかっただけで──」
 レオナは動揺を隠せない様子で、おろおろと助けを求めるように周囲を見渡した。女王様の情けない姿に、思わずリタは笑ってしまう。
「……違う。そうじゃない、そうじゃなくて」
 自分が情けないだけだ、とは言えなかった。感情を素直に出すこと。その重要性を説かれたばかりだというのに、一歩を踏み出したばかりのリタにはこれだけいうのが精一杯だった。
「ありがとう、レオナ」
 手の甲でぐいと涙を拭うと、リタは感謝の気持ちを込めてレオナを見つめた。動揺がおさまりきらないらしく、レオナはおろおろと視線をさまよわせて「そんなことくらい別にいいのよ」と口の中で呟いていた。レオナの困った顔は年相応で可愛らしかった。リタは笑った。自分では気が付かなかったけれど、美術クラスに移って以来、初めての心からの笑顔だった。

                                      ー了ー

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